黒幕

 それが『魔族』と呼ばれる存在だったことは私が知ることはなかった。




「オリヴィアお嬢様、書斎で旦那様がお呼びです」


 社交シーズン真っ只中、王都にあるノクシー男爵家のタウンハウスで夜会の準備に忙しい私にメイドが声をかけてきた。


「はぁい、今行くわ」


 持っていたドレスをぽいっとメイドに渡し、ぱたぱたと階段を駆け下りるとロビーにお父様の姿が見える。


「お父様、何か御用?」

「オリヴィア、はしたないぞ」


 にこやかに声をかけると厳しい声で窘められる。よくみると、あら、お客様がいたのね。

 しまったという顔をしていると厳しい顔の老紳士にじろりと睨まれる。


「これがオリヴィア嬢か、ふむ。まあいいだろう。後は任せる」

「はっ」


 コレとは失礼ね! 憤慨している私をよそに、偉そうな老紳士に対しぺこぺこと頭を下げるお父様。

 老紳士はそんな私たち親子に対して冷たい一瞥だけ向けるとさっさと立ち去って行った。


「オリヴィア、ウェイバー伯爵に対してなんという失礼な態度だ! 書斎に来いと言っただろう!」

「伯爵様だったのね、道理で偉そうだと思ったわ」


 何を言っても動じないマイペースな私を見てお父様は大きなため息をひとつ。背はそれほど高くもなく、だからといって小柄とは呼べない横幅のずんぐりとした体を揺らし、屋敷の奥へ体を向ける。


「もういい、ついて来い」

「はぁい」


 どすどすと歩き出すお父様の後を追って書斎へ入った。


「この箱を開けて見ろ」


 そう言われて示されたのは、机の上に置かれた手のひらに乗るサイズの黒く薄汚れた木箱だった。

 彫金の施された金具が申し訳程度に取り付けられている、どう見ても高価な品が入っているようには思えない粗末な造りだ。


「何? この汚い箱」

「これは伯爵様より贈られた大事な物だ。汚いのは年代物だからだ、文句を言うな」

「汚いものは汚いわ。それにしても伯爵様みたいな偉い人がこんな物を人に贈るの?」

「これは、妖精の加護が詰められた箱だそうだ」


 聞きなれない言葉に首をかしげる。


「妖精の加護とは……つまり、アレだ、幸運をもたらす祝福のようなものでだ……」


 ごにょごにょと言い淀んでいる辺りお父様もよく分かってないのね。


「ゴホンッ、最近お前が社交に熱心なのを伯爵にお話ししたらな、好意で下さったのだ。感謝しなさい」


 わざとらしく咳払いをして威厳を取り戻すように取り繕う。

 そうなのだ。今年初めて王宮での夜会に参加してからというもの、私の社交に注ぐ熱意は留まるところを知らない。

 だって王太子様と婚約者様を目の前で見てしまったんだもの、何が何でもお近づきになりたくて日夜作戦を練っていた。


「そうだったのね! この箱の中の加護?を手にしたら、王太子様とお近づきになれるのね!」

「何⁉ よりにもよって婚約者のいる王太子殿下に……っ⁉」


 なんて素晴らしいアイテムだろう! お父様が何か叫んでいるが全く耳に入らない。

 汚い小箱をさっと手に取り、動きの悪い留め金をギギギと持ち上げればあっさりと蓋が開く。

 一瞬、くらりと視界が揺れる。

 箱の中から塵のような物が舞ったと思うとそれは空気に掻き消えていった。


「オリヴィア、どうした?」

「……中身は空だわ」


 ふわふわとした不思議な感覚に包まれながら、ぼんやりと空の箱を見つめた。


 ◇ ◇ ◇


 王宮内の王太子執務室――


 慌ただしくノックがされ、返事をする間もなく扉が開かれる。

 入ってきたのは近衛騎士団に所属する二人の男だった。


「ルーファス様、今いいかい?」

「申し訳ありません、少々お時間をいただけますでしょうか」


 対照的な態度だが遠慮なく俺の時間を要求するのだから同じことである。

 サイモンとヨハン、俺が信頼を寄せる側近たちだ。


「欠片もよくはないのだがな」


 そう言ってため息交じりに手に持った書類を机の上にばさりと置けば、周囲の文官たちがびくりと体を震わせる。

 文句があるのならその騎士ども、あるいはそいつらに厄介ごとを持ち込ませた元凶に言ってくれ。

 そんな心の声を言葉にするわけにもいかず、無言で立ち上がり騎士二人を引き連れ執務室を後にする。


「急な用件か」


 人払いを済ませた私室で二人に問う。無駄話をするほど暇ではない。早々に本題を促す。


「ウェイバー伯爵家に潜っていた諜報からの報告です」


 その名を耳にして感情が急激に冷え込む。サイモンがわざとらしく腕を抱えてぶるぶると震えているが知らん。

 ヨハンが差し出した封書を受け取りさっと中身に目を走らせる。

 ウェイバー伯爵と言えば、もう何代も前から王家に対してよからぬ感情を抱く一族だ。

 歴史は長く、昔は公爵位を得ていたにもかかわらず問題を起こしては爵位を下げられている。

 厄介なのは問題は起こしてもその都度巧妙に逃げおおせ、貴族籍のはく奪に至るまでの罪を負わせられていないことだ。

 王家に対する逆恨みの感情だけが無駄に積み上がり面倒なことこの上ない。

 読み終えた書類に呪文をぶつけると手の中でぱっと炎が上がる。ひとり凍えているサイモンに投げつけてやれば「あぶねぇ!」とぴょんと跳ねつつも、燃える書類が落ちないよう風の魔法でうまくキャッチしている。相変わらず器用な奴だ。


「良くない報せ、でしたか」

「そうでもない」


 俺の返答が意外だったのか、二人がこちらに真顔を向ける。


「これほどのことをしでかしたなら、間違いなく伯爵家を取り潰せるだろう」


 良くないどころかとても悪い知らせだったこと悟ったようで、がっくりとうなだれる。


「俺が王位を継ぐ前に事を起こしてくれたことに感謝をせねばな」


 表情を崩さぬまま言葉に愉悦を含ませる俺を見て、二人は諦めたように覚悟を決めた。



 ひとり執務室に戻り日々の業務に手を動かしながらも、頭の中では先程の報告書の内容を反芻する。

 報告書にはウェイバー伯爵が遺跡から発掘された小さな木箱を法外な金額で買い取ったと記されていた。

 なるほど、随分厄介なものを手に入れたようだ。

 ウェイバー伯爵が手に入れたソレは、400年前の大戦の遺物だった。

 俺がこの大戦についての正確な知識を得たのは偶然――幼い頃に婚約者に見せられた光景がきっかけだった。

 王宮の書庫に眠る封をされた書物を漁ればそれはあっさり知ることができた。

 知ったことで、隠されている理由も理解した。


 魔族の氾濫。それはルシーダを中心に国中に戦禍を降らせた。

 多くの魔族は精霊の力によって浄化され、また依り代を得られず霧散していったが、受肉を果たし暴れ回る魔族も存在した。

 そうした個体は多くの犠牲を出しながらもなんとか魔石に封じ込め、神霊の力が宿る木で作られた匣に封印したのだった。そしてその匣のいくつかは戦後の混乱で行方知れずとなったままであると――。


 ウェイバー伯爵家は400年前は公爵家として大戦に参加している。当時の記録が密かに残っていてもおかしくはない。

 何せウェイバー家の王家への逆恨みはその大戦から始まったのだから。

 魔族と妖精を混同して両方打ち滅ぼしたというのだから愚かとしか言いようがない。

 罪は功績と相殺され侯爵位への降格でとどまったようだった。


 さて、魔族を封じた匣を手にしたウェイバー伯爵はどう出る?

 標的はもちろん王家だろう。そして高齢の父王よりも王太子である俺が狙われる可能性の方が高い。……上等だ。

 ひとつ気がかりなのは我が婚約者のことだ。王宮に居れば当然巻き込むことになる。

 廃墟領へ避難させられればそれが一番安全なのだが、理由も話さずに納得するような素直な女でもない。

 彼女は妖精の系譜であるグランドール家の人間だが後継者ではないため、恐らく大戦の歴史については知らされていないだろう。

 兄のアルフレッドに事情を話せば力を貸すだろうが、あのバカは相変わらず放蕩していて行方がつかめない。肝心な時に頼りにならん。

 それに、近頃の彼女はひどく疲弊している。俺が自分の忙しさにかまけて気を回せていないのが原因だが、泣き言ひとつ言わない様を見ると、もう少し頼ってくれてもいいのではないかと嘆きたくもなる。

 自然に囲まれた、というか自然しかないあの廃墟領なら頑固で破天荒な彼女の心と体を癒やすのに持って来いだろう。何とかうまく彼女を廃墟領へ送れないだろうか――


 妙案を得たのはそれから数日後、例の匣がウェイバー伯爵からノクシー男爵の手へ渡ったと報告を受けてからだった。

 ノクシー男爵家には年頃の令嬢が一人いることは知っていた。最近の夜会で秋波を送ってくる令嬢たちのひとりだったからだ。

 その令嬢が匣を開いたのだという。

 魔族とはひどくゆがんだ存在で欲望を抱く人間に取り付きやすいというが、はたして彼女は魔族のお眼鏡にかなうかな。


 「ふ」と思わず息が漏れると周囲にいた官吏たちが凍り付いたように固まる。

 レティシアを廃墟領へのバカンスに招待する算段が付き、彼女の屈託のない笑顔が戻ることを想像すれば、自然と笑みが浮かぶのだった。

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