神霊の泉

「歴史、ですの?」

「そう、ここルシーダのひいてはベルナード国の歴史」


 そう言ってテーブルを囲む面々をぐるりと見渡す。

 お兄様の向かいに座る私とピッテ、隣にメリルにカイン、そしてセドリック様とサイモンとヨハン。


「グランドールの人間と、……王子の取り巻きか。まあ、いいだろう」


 よほど重要な話なのか、慎重な面持ちで確認するようにつぶやく。

 それにしても王子の取り巻きとはまた随分な言い草ね。

 「お兄様、口が悪くってよ」と苦言を呈すも言われたサイモンとヨハンは特に気にしていない様子。

 あら、もしかして顔見知り? 二人は騎士団でも指折りで私でも知っていたのだからおかしくはないわね。


「では改めて。レティはこのルシーダのことをどの程度知ってる?」


 話を振られて思考する。

 私が知っているこの地の歴史は――


 400年ほど昔。

 国全体を巻き込むほどの大規模な戦乱が起こった。

 終息後、戦乱の中心地であり荒廃したこのルシーダの地をグランドール公爵家が領地として賜り、以来再び争いの火種にならぬよう城を建てこの地を管理していた。

 その後しばらくは平穏が続いたが、国内の主要都市が成長し街道が発展しだすと物流において僻地であるこの地からは人流が減り、やがて領としての運用の価値がなくなると判断され放棄された地となった。

 

 ――というものだ。


「うん、そうだね。国内の書物のほとんどには概ねそんなことが書かれているね」

「それは、その内容が真実ではないという意味か?」

「えー何それ? オレの知ってるハナシと全然違うよ!」


 セドリック様が訝しげに問うのと同時に意外なところから声が上がる。

 私の隣でピッテが椅子から立ち上がりぴょんぴょんと跳ね抗議する。


「じゃあ今度は君が知ってる話を聞かせてくれるかい?」


 お兄様が促すとピッテは「任せろ!」と揚々と語りだす。


 ~昔々、魔族と呼ばれる異界の存在が地上を荒らし、ここ妖精の国も滅亡の危機にありました。

 そして勇気ある妖精の姫様と人間の王子様が立ち上がり、力を合わせて魔族を打ち滅ぼしたのです。

 妖精の国は平和を取り戻し神聖な水を湛える泉を中心に栄え、妖精の姫様は人間の王子様と結婚し幸せに暮らしました。

 しかし平和は長く続きません、妖精の国に人間が増えると聖なる泉が枯れ、森の空気は淀み、やがて人間も妖精も誰もいなくなりました~


 その妖精の国がここルシーダなのだという。

 確かにピッテの話は私が語った内容と随分違うわ。

 しかし一致する点もある。昔戦乱があったこと。どちらの話でも起点となっている出来事だ。


「レティの語ってくれた歴史、妖精くんの教えてくれた話はどちらも真実です」


 お兄様がセドリック様に先程の質問の答えを返す。

 つまりまとめると。

 400年ほど昔。魔族と呼ばれる異界の存在が地上を荒らし、国全体を巻き込むほどの大規模な戦乱が起こった。

 そして妖精の姫と人間の王子が魔族を打ち滅ぼした。

 平和を取り戻したルシーダの地はグランドール公爵家が領地として管理をし、泉を中心に妖精たちと平和に暮らしていたが、泉が枯れたことを期に住民が離れ廃墟に変わっていった。


 ということ?

 魔族に妖精の泉の存在と、分からないことだらけである。

 疑問を口に出すとお兄様がひとつひとつ解説を始める。


「まずは魔族だね。人を惑わす邪な存在として、妖精と同じくおとぎ話の中の生き物として多く語られるけど、実態は異界の魔力から発生する魔物のことを指す。

 精霊のような霊的存在で、精霊と違ってこの世界で存在するには依り代となる肉体が必要となるんだ。

 魔族は異界に追放された精霊のなれの果てとも言われていてね、こちらの世界をひどく恨み渇望し、境界のひずみからこちらの世界への侵攻を繰り返してるんだ」


 すでに温くなったコーヒーを口に運び一息つくと、さらに続ける。


「そして400年前にこの地で大きなひずみが発生し、魔族の大群がなだれ込んできた。

 当時の人間は妖精と協力し、精霊の力を借りて魔族を浄化し、ひずみを封印することに成功した。

 精霊の力を大量に注ぎ込んだひずみはやがて水が湧き、この地を守る神霊の泉となった。

 これが泉の成り立ちさ」


 あの泉が元は異界と繋がる門だったとは。驚きすぎて言葉も出ないわ。

 というより内容がぶっとび過ぎていて想像力も働かない。

 そういえば一昨日泉の側で洗濯をしていた時、カインのシャツのボタンが一つ転がり落ちて行方不明なのよね。あのボタンも異界へ流れついたりするのかしら……?

 私の気の抜けた思案顔に気付いたお兄様は残念な妄想を察したらしく苦笑いを浮かべる。


「現実味のない話なのは分かるけど、俺たちに無関係な事でもないんだよ」

「あら、どういうことですの?」

「さっき妖精くんが語ってくれた妖精の姫様と人間の王子様の話さ。すなわちこの国の王子が妖精の姫を娶り、そしてグランドール公爵を名乗りこの地を治めたってこと」


 つまり、それは。


「レティはオレと遠い親戚ってこと⁉」


 ピッテが声を上げて飛び跳ねる。

 親戚、とは違う気もするが、少なくとも私とお兄様のご先祖様が妖精というのは事実なのだろう。

 嬉しそうに私にしがみつき、柔らかいほっぺを私の胸にぐいぐい押し付ける。かわいい。

 その様子を愛憎をない交ぜにした様な複雑な表情で見つめるお兄様と、射殺すような形相で見つめるセドリック様。そしてその二人を非常に残念そうに見守るお付きの者たち。

 さっきまでの神妙な空気はどこへ行った。


「お兄様もピッテくんの親戚だよー?」

「オマエはこわいからキライ」


 妖精とお近づきになりたいお兄様がおずおずと手を差し出すも、あえなく撃沈。世の中は厳しいわ。

 緩んだ空気に皆の緊張も解れる。



「にわかに信じがたいお話ですが……」

「泉を実際見ちゃうとなぁ」

「……俺は王族であるのにそのような歴史は何一つ聞いたことがなかった」


 ヨハンとサイモンが顔を見合わせながら軽口を言い合っていると、セドリック様がぽつりと言葉を落とす。


「この話は王宮でも一部の者しか知らないことですから。国王陛下とグランドール家当主、あとは僅かな人間のみが知る歴史です」

「なぜそうまで隠す必要があるんだ?」


 納得がいかない様子のセドリック様が食い下がると、お兄様はじっとセドリック様の瞳を見据える。

 相変わらず王子殿下に対して不敬だわ。ルーファス様に対してもこうなのかしら。

 そんなことを考えていると、視線を外し再び口を開く。


「一番の理由は泉の存在ですね。聖水の湧く泉をいち公爵家が保有しているとなると、国内の貴族の力関係にも悪影響を及ぼします。それにここはもともと妖精たちの住まう地であり、王家とグランドール家はそれを守る義務もありますから」


 だから今後も内密に願います、とのお兄様の言葉に皆が頷きを返す。

 成程と納得するも、それよりもっと根本的な疑問があったことを私は思い出した。


「泉って、枯れたのではなかったの?」


 そうなのだ。それがここが廃墟になった原因でもあったはずだ。


「そう思われていたんだけどね、十数年ほど前だったかな。泉が復活したことが確認されてね」


 十数年前ならばまだルーファス様とも出会う前ね。

 あの頃は領都にある公爵本邸で過ごすことが多く、王都に留まり戻らない両親が恋しくてお兄様とおばあ様にべったり甘えていた。懐かしいわ。


「それで、レティはどうして泉の存在を知ってるんだい?」


 思い出に浸っていると、これまた本題であった質問が再び投げかけられる。


「それは、その、以前お父様と視察でこの地へ来た時に、ひび割れを見つけて忍び込んだことがあって……」


 お転婆の黒歴史を暴露すると「レティには敵わないな」と笑いながら私の頭をぽんぽんと優しく撫で、「なるほど、それでか……」と一人納得した様子でつぶやいた。




「廃墟領の歴史も泉の秘密も理解したわ。でもそれは今の私には何も関係のないことに変わりはないわね」


 だって私がここに来たのは偶々ですもの、と続けながら立ち上がる。

 長い歴史講義が終わり、夕食をお開きにしようと食器をまとめ始めればメリルやカインもそれに続き、皆もそれぞれに席を立つ。

 たとえ妖精の血を引いてようが神霊の泉が存在しようが、私はただの廃墟に追放された公爵令嬢で、結局やることは廃墟生活スローライフを満喫するほかにないのだ。

 決意を新たに城を見上げ、ひとり拳を突き上げる。


「本当にそう思うかい?」


 その背に静かに問いかけるお兄様の言葉。


「どういう意味ですの?」

「レティが今ここにいるのは本当に偶然なのかってこと」

「それって……?」


 意味深な言葉だけを残し「悪いけど今日は先に休ませてもらうよ」と私に背を向けると、ハルの懐に潜り込んでいった。

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