怪奇 廃墟領の亡霊 2

 サイモンが確認したところ、調理場にキノコの毒胞子が飛散しているといった様子はなかったとのこと。

 だったら食べられる⁉ と色めき立ったが声に出す前に「それはまた別の問題なので駄目です」とカインにぴしゃりと言われてしまった。

 後でサイモンが魔法で燃やして排除するそうだ。特定の対象だけを燃やすことができるなんて、見かけによらず本当に器用だわ。


 さて、問題は何一つ片付いてないどころが増えているわけで。


 「他にも何か異変がないか確認した方がいいかもしれません」


とのカインの進言のもと城中を調査してみれば、あちこちから悲鳴が出るわ出るわ。


「うおー!俺の外套がああ!」とサイモンの方を見れば、中庭に干してあった近衛騎士団を示す立派な外套が煤まみれで吊るされて、

「なっ……」と短い声をあげ忌々し気な顔のヨハンを見れば、手に持つ訓練用のお気に入りの木剣がなにやらスライムのような粘液にまみれて重たい雫を垂らし、

「はぁ…………」と長い溜息をつくカインはその手にティーポットと蓋を持ち、顔を出すカエルとにらめっこをしている。


「……亡霊、なんですかね? コレ」


 メリルの疑問に大いに同意する。

 その異変のあまりのみみっちさに、さすがの私も恐怖が薄れてくる。


「呪いというよりもはや妖精の悪戯だわ」

「妖精?」


 セドリック殿下の疑問に「ええ」と言葉を返す。


「昔から公爵領、特にこの廃墟領ルシーダには妖精に関する伝承が数多く残されておりますの」

 

 曰く昔はこの地には妖精が多く存在し人と共存していた、と。

 妖精とは人とは違う人に似た種族。人化した精霊とも言われ、精霊の加護によって魔力を操ることに長けた者たちだ。

 人に姿を見せることは滅多にないが、友好的な相手には幸運を、嫌悪する相手には災いをもたらすと云われている。だから妖精の機嫌を損ねるような真似をしてはいけない。

 幼い頃、存命だったおばあ様によく言われたものだった。


 「なるほど。この一連の怪奇現象が妖精の仕業だとするなら、我々は何か妖精の気に障ることを――」


 びしゃっ


 セドリック殿下の言葉を遮るように容赦なく降ってきたそれ、多分熟れたトマト的なヤツは、セドリック殿下の脳天を直撃し端正な顔に赤い汁とどろりとした果肉を滴らせる。

 思わず「うわぁ」と哀れみの目を向けると、セドリック殿下の方がプルプルと震えだす。


「……いい度胸じゃないか、妖精。必ず捕まえてみせ」


 びしゃっ


 追撃とは相手もなかなかやりおる。

 私とメリルは巻き込まれ被弾しないようすすすと後ずさり木の下へ避難した。


「ヨハン! サイモン!」


 怒気をはらんだ声で二人を呼ぶと「相手は妖精だ」と簡潔に状況を説明し、陣形を組む。

 騎士たちも大分イライラが溜まっていたのかヤル気に満ちた表情をしている。


「あの、殿下! もし相手が妖精ならば、あまり酷いことはなさらないでいただきたいの」


 鬼気迫るといった状況におずおずと水を差す。

 心的外傷はそこそこ大きかったとはいえ実際に受けた被害は軽微なものである。

 グランドール家にとって妖精とは友のような存在であり決して敵ではないのだ。できれば傷つけたくない。

 そう思っての言葉だったが返ってきたのは予想外の答えで。


 「その殿下という呼び方、やめてもらえないだろうか。できればその、愛称とか……」


 ええぇ……今そういう話しするぅ?

 隣のメリルも非常に残念なものを見る目でこのやり取りを見ている。

 ちらちらと不安そうにこちらを窺う横顔は見事に赤い果肉まみれで、文句をいう気も失せた。


「セドリック様、お願いしますわ」

「……うむ、任せろ」


 妥協案が通り改めて戦闘体制に入る。

 それにしても姿が見えない相手にどう立ち向かうのだろうか。

 緊張が高まり握る拳に力が入る。


 ひゅっ


 と三度その音が空に響く。

 音に反応し顔を上げたセドリック様の顔面を真っ赤な塊が直撃すると思わず目を瞑る。

 柔らかそうなので痛みは然程でもないのだろうが、とにかく絵面がひどい。いたたまれない。

 その瞬間、ごうっと空気が哭き地面から強い風が吹き上げる。

 何事かと再び目を開けば、セドリック様たち三人が囲むその空間に水で出来た巨大な球状の膜が浮かぶ。

 ……一体何が起きてるの? 

 状況が掴めないでいると、いつの間にか側に来ていたカインが「解説しましょう」とメガネをくいっとあげる。


「相手は見えないというだけで実体はありますから。殿下に対してトマトを落とす瞬間は真上にいると見越して、サイモン様が準備していた魔法で風を思い切り吹き下ろし、地面に叩きつけた瞬間すかさず殿下の水魔法で囲い閉じ込めたのでしょう」


 ふんふんなるほど、とメリルと共に納得する。

 たいして言葉を交わしていた様子はなかったのに即興でそんな連携をとるとはさすが本職である。心の中で素直に称賛の拍手を鳴らす。

 再び目の前に意識を向け、水球を注視する。


「ではあの球体の中に妖精がいますの?」

「おそらく」


 カインが答えるが、透けて見える内部には何かがいるようには見えない。


「さて、今姿を現し謝るのなら許すことも考える。だがその気がないというのなら、中の空気を燃やし尽くす」


 セドリック様が水球に向かって恐ろしいことを宣言する。

 やだこの王子怒らせると怖い。わんこと思って侮っていたが考えを改めてなければならない。狼だって犬なのだ。

 さあどうなる?

 息を呑んで見守るが一向に姿を現す気配はない。

 狼王子はふぅと息を吐き左手を挙げて合図を送る。

 それに応えるようにサイモンが左手を前に出し、指を鳴らそうとした。その瞬間――


「わー! バカバカ! やめろよバーカ!」


 なんとも語彙の乏しい小柄な少年が水球の中に姿を現した。あれが……妖精?


「あのオンナが言ってたろ、ひどいマネすんなって! そんなだからフラれんだバーカ!」


 命知らずの少年妖精は言いたい放題である。やめて。セドリック様と私のライフがガリガリ削られていくわ。


「……まだフラれてはいない」


 絞り出すようにそれだけを口にする。

 こめかみの血管が浮き出て、切れるんじゃないかとハラハラする。思わず呼吸を忘れ、カインに「お嬢様」と耳打ちされてようやく肺に空気を取り込む。

 青ざめた表情で見つめる私に目を向けたセドリック様は多少落ち着きを取り戻し、妖精に向き直る。


「お前には一連の事を説明してもらう。そうすればそこから出してやる」

「魔法の解除が先だね」

「解除すれば話すのか?」

「……ああ、いーよ」


 話がついたようでセドリック様がパチンと指を鳴らすと、水の膜が弾け空気に溶けていった。

 と、目線を外した隙に妖精を見失う。


「バーカ!」


 と嘲笑うような捨て台詞が聞こえたと思うと――いつの間にかセドリック様の背後に周りこんでいたヨハンの足元にスライム状の粘液にまみれた物体が転がる。


「うう……卑怯だぞ……」

「自業自得だな」


 スライムまみれになり後頭部を抱えてうずくまる少年妖精は、どうやらヨハンの木剣によって沈められたようだ。

 目にも留まらぬ早業で妖精絶許捕獲作戦は無事コンプリートされた。

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