出会い
そこは初めて立ち入る王宮内の中庭だった。
10歳になった私は公爵家の息女として王妃様主催のお茶会に招かれていた。
「レティシア・グランドールと申します」
子供ながらにいっぱしのカーテシーを決め主催者である王妃様に挨拶をすませると、周囲に視線を巡らせる。
自分と同じ年代の貴族の令嬢たちが集められたこの茶会、思い思いに着飾った彼女たちがなんとも華やかに庭を彩る。
今日は未来の王太子となる第一王子ルーファスの婚約者となるにふさわしい令嬢を見定めるという事実上のお見合いパーティーであり、ホストにとってもゲストにとっても重要な催しなのだった。
「王子様の婚約者、未来の王妃様ねぇ。興味ないわ」
公爵家の令嬢として問題のある発言だとは十分承知している。
茶会の喧騒から抜け出し、迷路のように区画されたバラ園を歩き独り言ちる。ここならば誰も来ないだろうと安心して本音が漏れだす。
「王宮はとても美しいし素晴らしい所だわ。でもここには山も森も川もないし狩りの獲物もいないもの。公爵領を飛び回る方がずっと刺激的ね」
公爵家に生まれた時点で嫁ぎ先を選ぶ自由がないことくらい理解している。それでも奔放に育った幼き日を思うとふぅと溜息が漏れるのを止められない。もうお転婆が許される年齢はとうに過ぎたのだ。
「それならばせめて、好意を持てる方と結ばれたいですわ」
バラのつぼみを指でつつき、再び溜息をついた。
バラ園の隅でしゃがみ込む令嬢に気が付き、少年は眉根を寄せる。
急病か? なぜあんな離れた所に一人で?
疑問はいろいろ湧いてくるが考えがまとまるより先に体が動く。
自分を取り囲む令嬢たちをするりとかわし休憩を装いその場を後にし、人目につかないようバラの生垣沿いにそっと蹲る少女に近づいてみる。
どうやら急病といった様子ではない。
バラ園の隙間に配置された小さな花壇の前で、真剣なまなざしでじっと一点を見つめている。
しばらく少女を観察してみるが一向に動く気配もなく、何をしているのかも分からない。
埒が明かないので直接尋ねようと声をかけることにした。
「何をしている?」
「芋虫を観察しているのですわ」
「いも……⁉」
少女は振り返ることもなくさらりと答える。その透き通るような高く美しい声で似つかわしくない単語を紡がれ、一瞬言葉に詰まる。
そんなこちらに気を払うこともなく、誰かに話しかけるでもない独り言のような言葉を少女は続ける。
「お前は大きくなったら自由に空をはばたくのね。うらやましいわ。たくさんお食べなさい。王宮の花壇だもの、きっと栄養満点に違いないわ」
彼女の隣に同じように腰を下ろすと、視線の先で一匹の芋虫が懸命に葉を噛んでいる。
横に視線を向ければ幼いながらも美しく整った顔が、その様子を瞳を輝かせながら嬉しそうに見つめている。
とても不思議な光景だった。
「……怖くはないのか?」
「何故ですの?」
「他の令嬢や侍女らが前に芋虫を見て悲鳴を上げていたから」
きょとんとした顔をこちらに向け不思議そうに傾ける。美しい外見とは違いその仕草はとても子供っぽく愛らしかった。
「まぁ、そうでしたの! でも芋虫は嚙みつかないし吠えもしない事は知ってますもの。怖いものではありませんのよ!」
質問の意図に納得し答える。
ドヤ! と効果音が付きそうなその得意気な表情に思わず吹き出しそうになるが、何とか堪える。
「なるほど、知っているから怖くないか。確かにそうだな」
口を開けば自然と、わずかに頬が緩んでしまう。
それまで無感情に淡々と質問をしていたその表情が綻ぶと、こちらにまったく興味を示さなかった令嬢が驚いた様子でまじまじと見つめてくる。
芋虫以上に気を引いたようだが、果たしてこれは喜んでいいのだろうか?
そう思いつつ、こちらも彼女に対して随分と興味が出てきた。
上質なドレスを纏い丁寧に整えられた身なりを見た所なかなか上位の貴族令嬢なのだろう。それが一人で芋虫観察とは。
彼女は第一王子の婚約者……つまり俺の伴侶となることに興味はないのだろうか。他の意欲旺盛な令嬢たちとは明らかに毛色が違う。
「ところで茶会の方はいいのか?」
「?」
尋ねれば先ほどと同じく首を傾ける。ちょっとアホっぽい所が相変わらず愛らしい。
どうやら俺の質問は少し言葉が足りないようで言葉を付け足す。
「みな王子の婚約者になろうと必死のようだが」
「必死になるのは令嬢ではなく王子様でなくて?」
「王子が?」
今度は俺が首をひねる番だ。
「王子様にとっては生涯を共にする相手を選ばなければならないんだもの。ハズレを引いたら悲惨だわ」
「ハズレ」
なかなか容赦のない言葉だが尤もな話だ。選んだ令嬢が『ハズレ』だったらと考えると……身震いがする。
「いいこと? 令嬢はみな美しい仮面をつけてますの。あなたも貴族ならその仮面の内の素顔を見極められる男にならなくては駄目よ」
俺のことを令嬢の付き添いできた貴族令息と思っているらしい彼女から高説を賜る。
「仮面の内。美しい蝶になる前のこの芋虫の姿のように、か」
「この芋虫はマダラメチョウの幼虫ですから、美しい類の蝶にはなりませんわね」
「……そうか。物知りだな」
物知りと言われてフフッと嬉しそうに彼女が微笑む。つられて苦笑いを浮かべつつ、俺は心の中で一つの決断を下した。
レティシアがこの時の少年が第一王子ルーファス殿下であったと知るのは、公爵家に婚約の打診が届いた後のことになる。
◇ ◇ ◇
廃墟領の城奥庭園の菜園で野菜を収穫している手を休める。
目の前をマダラメチョウが横切り、ふいに昔の出来事が頭に浮かんだ。
思い返せばあれが始まりだったのよね。ルーファス様はなぜあのやり取りで私を選んだのかしら。……ナゾだわ。
しかし今となっては考えても意味のないことだった。
昨日のセドリック殿下との会話を思い出す。そして気付いてしまった。
「そうか、私はまだルーファス様のことを想っていたのね――」
ぽつりと声が漏れる。
幼い頃に王子と結ばれた婚約はもちろん政略の意味合いが強い。しかし数多くの令嬢の中から指名されたこと、そしてその後の彼の婚約者として過ごした日々。その中で確実に彼に対する恋慕の情は育っていった。彼からも慕われていると信じてた。
だからこそ冤罪をかけられたことや追放されたことよりも、彼に捨てられたことが何よりも傷が深かった。あまりに勢いよくバッサリいかれて、自分が傷ついていることにすら気付かなかった。
自分の鈍感さに呆れるわ。
「お嬢様、今日は溜息が多いですねぇ」
突然の声に吐こうとして溜めていた息がヒッと止まり、勢いでむせ返る。
「っ、急に話しかけないで、メリル」
「野菜を採りに行ったお嬢様がいつまでも戻ってこないから様子を見に来たんですよ!」
げほげほとせき込みながら涙目でメリルを睨むが、反省の色もなく抱えていた野菜を取り上げられる。
「昨日、セドリック殿下と何かあったんですか?」
しれっとしながら、容赦なく急所をバシバシ突いてくる。
獲物を捕らえたこの侍女の眼からは何者も逃れることができないことを私は身をもって知っている。こうなったら諦めて口を割るほかないのだ。
「その、セドリック殿下にす……好意を伝えられてしまって……」
たどたどしく語るとメリルは「ええっ⁉」と大げさに驚き、抱えていた野菜が一つ二つ腕から零れ落ちる――と思いきや空中でぱぱっとキャッチし何事もなかったように腕の中へ納める。達人の業である。
「まさか、今まで気付いてなかったんですか⁉ さすが鈍感さに定評のあるお嬢様ですね……」
驚きの理由はどうやら鈍感な部分らしい。
私だってついさっき自覚したところだというのに定評があるとは、こちらも驚きだ。
……て、ちょっと待って。メリルは気付いてたってこと?
「本当に気付いてなかったんですか? 初日からあんなに分かりやすくアピールしてたのに?」
「え、そうなの?」
「この廃墟領で気付いてないのはお嬢様だけですよ」
衝撃の事実である。なんてこったい。
両手両膝を地面につき深くうなだれる。しばらく立ち直れる気がしない。
「まぁ、お嬢様はルーファス殿下一筋ですからねえ」
本当に聞きたくない言葉をピンポイントでよこすわね。
憎々し気にメリルを見やるがどこ吹く風といった様子。
「ルーファス様にはとっくに愛想をつかされたわ」
「じゃあもう好きではないんですか?」
…………
沈黙が流れる。
「そんなの、決まってるじゃない」
弱々しく答える。だからこそこんなにつらいのよ。
言葉を続けられず立ち上がるとメリルがよしよしと頭を撫でてくれる。
幼い頃は落ち込む度にこうして慰めらていれた。あの頃と違い今は私の方が身長が高くなっているので、メリルは腕を精一杯に伸ばす形だ。
その手に涙目のまま体を預けた。
「私は何があってもお嬢様の味方ですから。お嬢様が幸せになることを何よりも望んでおります」
「……ありがとう」
ルーファス様への想い、セドリック殿下から向けられた好意。それらがこれからどうなっていくのかなんて全く分からない。それでも目をそらさずにきちんと向き合って、この気持ちを大事にしよう。
そう決心し、笑顔を作りメリルへと向けた。
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