膨らむ想い、恋の丸焼き大作戦 3

 前庭に石を積んで造った簡素な炉の周りを、串に刺したオナガウサギの肉がぐるりと囲む。さらにそれを皆で囲めばちょっとしたガーデンパーティーだ。

 日が落ちて薄暗くなった空に燃える炎が色を添え、集う面々をやわらかく照らしだす。

 その輪の中の一人である令嬢もぱちぱちと弾ける音に耳を傾けこの雰囲気を堪能していた。


 昼間に「お嬢様、セドリック殿下が森で魔獣に追われているようです」とカインから知らされた時は、驚きのあまり握っていたシーツを思わず裂いてしまい、一緒に寝室の改装をしていたメリルに「布は貴重なんですから!」としこたま叱られた。

 私、主人なのに……わざとじゃないのに……。

 この憤りをぶつけるためにカインの指揮の元、セドリック殿下たちに加勢した結果に大量のオナガウサギを確保でき私の鬱憤もしっかり吹き飛んだのだった。


「それにしても、あのおとなしいオナガウサギをあれほど怒らせるなんて。一体何をしでかしたんですの?」


 炉を挟んで対面に座っている面々、王子と愉快な側近たちに気になっていたことを尋ねてみる。

 今思い出しても身震いする――主に腹筋が――なかなかに愉快、いや衝撃的な光景だった。セドリック殿下に怪我がなくて本当に良かった。


「いやぁ王子が巣穴に派手にカマしてくれちゃいまして」

「俺のせいじゃないよなアレ⁉ 確かに巣穴に攻撃はしたけども!」

「殿下の立てた作戦通りですね」

「まったく作戦通りじゃなかっただろ! 怒らせたのはサイモンだしそもそもヨハンが逃がしたから……」


 サイモンとヨハンがそれぞれ端的すぎる説明するとすかさずセドリック殿下のツッコミが入る。主従関係なのに仲がいいのね。

 微笑ましい光景を前に表情が緩み、三人に生暖かい目を向ける。そんな私をみれば今度はこちらに矛先が向く。

 

「ちょっと待て、レティシアも信じるな! お前らもいい加減にしろ!」


 お構いなしに言いたい放題の騎士たちに「ふざけるな!」とかキレ散らかす初めて見る彼の素の姿は新鮮で、こんな一面もあるのだなとまじまじ見つめてしまう。

 私の視線に気付いたセドリック殿下が一瞬はっとすると気まずそうに顔をそらす。心なしか顔が赤い。

 揺れる炎に照らされる赤く染まった横顔は端正な造りで、憂いをはらんだ表情が艶っぽさを醸している。いけないものを見ている気分になってこちらの顔までつられて赤くなってしまう。

 これが炉焼きの魔力なのかしら、と得体のしれない雰囲気にやられそうな脳に喝を入れ、焼けた肉にかじりついた。



 宴を終えるとメリルとカインは残ったオナガウサギの処理を始める。素材となる羽毛類を手際よく刈り、肉は保存用に燻製にするらしい。

 私も手伝おうと立ち上がったが


「お嬢様は今日一番多く魔獣を倒してお疲れなんですから休んでいてください!」


 メリルにピシャっと言われ追い出されてしまった。

 代わりに騎士二人が呼ばれ


「そこのボンクラ騎士様方! 手が空いてるならそこの羽毛を倉庫部屋に運んで、あ、ついでに薪も取って来てください!」


 テキパキと指示を出していく。メリルは誰に対しても容赦がない。「うへぇ~い」となんともやる気のない返事をしたサイモンが動き出すとヨハンも無言で続く。

 追い出された前庭に背を向け、んん、と伸びをしていると、少し離れた瓦礫群に腰を下ろすセドリック殿下が目に入った。

 長い足を投げ出しリラックスした様子でぼんやり空を眺めている。


「お隣よろしいかしら?」


 近付き声をかけたら考え事をしていたのかちょっと驚かれたが、すぐにスッと居住まいを正す。


「折好くこの場には大きさ形とも様々な腰掛が取り揃っておりますゆえ、どうぞお好きな瓦礫に」


 慇懃な礼をとり、瓦礫の椅子をすすめてくれる。彼のユーモアに思わずくすくすと笑いが零れてしまう。

 遠慮なくセドリック殿下の隣の瓦礫に腰を下ろした。


「とても素敵な晩餐でしたわ! 炉を囲んで食事するのがこんなに楽しいだなんて。それに大量のオナガウサギの羽毛が手に入りましたでしょう? ちょうど寝台に置くクッションが欲しいと昼間にメリルたちと話してましたの、最高のクッションが作れそうですわ……!」


 庭で後始末を続ける四人を見ながら先刻の宴に思いを馳せる。

 子供の様に無邪気に話す私を見て、セドリック殿下は見守るような笑顔で相槌を返してくれる。

 その表情に混じる安堵の色を感じ取り、私はようやく気付いた。ああ、そうだったのか。


「ありがとうございました」

「ん? なんの話だ?」

「本日の狩りですわ。セドリック殿下が私のために計画して下さったんでしょう?」

「……確かにその通りではあるんだが、現実は作戦を失敗した挙句レティシアの手を煩わせる羽目になったわけで」


 なんともばつが悪いと自嘲気味な苦笑いを浮かべる。


「結局俺は何もできなかったな」

「そんなことありませんわ。私のために行動して下さったことは事実で、私の心が軽くなったのは間違いないのですから!」


 自信をお持ちになって! と必死に励ますとセドリック殿下の肩がますます落ちていく。

 目の高さまで低く垂れた頭に不意に手を伸ばし、わしわしと乱雑に撫でてみる。柔らかなプラチナブロンドの髪が指に絡まりくすぐったい。うむ、素晴らしい撫で心地である。

 驚いてぱっと顔を上げる彼とばちっと目が合う。しまった。しょぼんとしたわんこを前にして衝動に抗えなかったのだ。


「!、⁉」

「ご、ごめんなさい、そんなにしょぼくれられたら、つい……撫でてしまいたくなってしまって……っ」


 慌てて手を引っ込めてしどろもどろに言い訳するが全然言い訳になってない。互いの顔は目も当てられないほどに真っ赤だ。


「いや……構わない……それにしても、しょぼくれるとつい撫でたくなるのか……」


 小さい声でセドリック殿下がぶつぶつと何か言っている。「まんざらでもない」とか「いやまて」とか葛藤の様子が窺えるが、自分の心音がうるさくて耳まで届かない。

 よし、ここは話題を変えよう。


「そ、そんなことより! そんなに周りに心配をかけるほど落ち込んでいたなんて、私は自分が情けないですわ!」


 ツンと顎を上げ、取り澄ました表情を作る。

 確かに最近気の浮かない日が多かったのは認める。だが周りに心配をかけるほどだったとはまるで自覚がなかった。晩餐の最中にはメリルとカインに「楽しまれてるようで何よりです」と気遣いの言葉をかけられる始末。

 この廃墟領での暮らしをエンジョイして見せると言い張っていたのに、なんとも不甲斐なくそんな自分が腹立たしい。

 先ほどまでの緩んだ空気が一転し険しい表情のまま押し黙ってしまった私の言葉を、セドリック殿下がゆっくりと引き継いだ。


「レティシア嬢はずっと兄上の婚約者として生きてきたんだ、そう簡単に割り切れないのも仕方ないさ」


 仕方ない。そうなのだろうか。口を引き結んだまま先の言葉を待つ。


「それでもこうして新しい環境に身を置くことになったんだ。今はもう少し、周囲に目を向けてみてもいいんじゃないかな」

「周り、ですか」

「そう。貴女には貴女を信じる人がいる。甘えたり頼ったり、時には弱音を吐いたとしても支えてくれる大切な人たちが。貴女は独りじゃないと、気付いてほしい――」


 そう語る殿下の言葉のひとつひとつが私の頭の中を木霊する。

 ふと隣に視線を向ければセドリック殿下の視線が私を優しく受けとめる。意識を周囲に広げれば大切な従者たちと気のいい騎士たちの賑やかな声が聞こえる。

 それはここ最近ずっと目にしていたはずの光景で、それがこんなにも尊いものだったなんて。

 ああ私はこんなにも独りよがりだったのだ。


「私は……今までずっと恵まれた環境に身を置いてましたわ。それを失くした今でも、私を信じ慕ってくれる人たちが側にいて。ここには物もなく豊かではなくとも自由があって、ありのままの私を受け入れてくれて、そんな幸せがこんなに満ち溢れているというのに。私には、何も見えていたかったのですね――」


 深く息を吐きながら溜まった思いを言葉にし、ゆっくりと吐き出していく。そして


(そんなだから愛想をつかされるんだわ)


 ぽつり、と声に出すつもりのなかった気持ちが漏れていた。


「兄上のことかい?」

「なんで⁉」


 心の声に反応され思わず素頓狂な声が出る。激しく狼狽えたせいか素の言葉遣いがでている。

 令嬢としてあるまじき態度の私を前にセドリック殿下はくすくすと肩を揺らしている。なんという失態。

 むぅと頬を膨らますとあわてて「ごめんごめん」と謝罪された。

 気を取り直し殿下が続ける。


「わかるよ。ずっと見てたから、貴女を」

「私を……ですか?」

「ああ、王宮で。兄上の隣に立とうと懸命に努力する貴女をずっと見ていた。どんな困難に直面しても一人で立ち続け、傷つきながらも前だけを見て一歩一歩進んでいた。そんな貴方を邪魔しないよう、もし倒れてもすぐに支えられるよう、ずっと……」


 記憶を辿り、在りし日の私の姿をセドリック殿下が追う。その中の私が向く先は、


「その瞳に映るのはいつも兄ルーファスだけで……それでも構わなかった。しかし今あなたの瞳の中にいるのは――」


 私の瞳に映る自分の姿を確認し、静かに告げる。


「俺は貴女が好きなんだ」


 予想だにしていなかった言葉に心臓が跳ね上がる。

 今、何て……? すき? 私を、セドリック殿下が?

 ぐるぐると名状し難い感情が体中を駆け巡り混乱の極みだ。

 どうする、何と返せばいい?

 目を回しそうな思考の勢いのままに立ち上がり、くるりとセドリック殿下へと向き直る。

 背筋を伸ばし腕を組み、ザンと一歩踏み出すとさっきまでとは違う居丈高な口調で言い放つ。


「貴方が好きなのは王太子の婚約者であるレティシア・グランドールではなくて?」


 ああなんてかわいげのない。

 殿下の言葉を受け止めきれないと見るや反射的にフルスイングで言葉を打ち返す。

 やっぱり私は悪役令嬢というやつなんだろう。本当にかわいくない。

 今すぐに逃げ出したい気持ちを抑えながら視線を彷徨わせているとセドリック殿下がたまらず噴き出す。


「はは、確かに。最初に好きになったのは令嬢然たる貴女だ。しかしこの地へ来て貴女の別の一面を見て、僕自身が視野が狭かったことに気付かされた。廃墟の中でのびのびと暮らすあなたを見て気付かされた。素直に笑い怒る表情、頑固で言い出したら聞かないわがままなところ、意外と短気なところ……」


 饒舌に語りだす殿下はとても楽しそうで……待って、なんか褒められてなくない?

 私の不満と混乱をよそに愛おし気な瞳をこちらに向ける。


「……貴女はとても魅力的なひとだ」


 真っ直ぐ放たれる言葉にもう逃げることはできない。

 今度こそちゃんと受け止めようとセドリック殿下の言葉をひとつひとつ飲み込むと、ぼろぼろにひび割れた心に染み入るようにすっと入り込む。

 この人は私の過去も今も知ったうえで受け入れてくれるというのだ。

 氷のように固まっていた私の心がトクンと揺れると、思い出したかのようにゆっくりと動き出す――と同時に、その奥につっかえるものがあることに気付く。


「私は……私が想いを寄せるのは――」


 その先は言葉にならなかった。そうだ、思い出した。自分の心の最奥で大事に守られるように眠っていたその感情を。

 ……自分の心すら見えていなかっただなんて。

 気付くとセドリック殿下が側に立ち、私の頬を手で拭う。涙の跡に風がひやりと染みる。


「すぐに受け入れてもらえなくていい。今はただ、傷ついたあなたを傍で支えたい」


 握られた手を振りほどくこともせず、体を預け、静かに時間が過ぎていった。

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