これからの事、私の行く末

 朝、太陽が昇り森から小鳥たちの囀りが聞こえだすと廃墟領でのお転婆令嬢の一日は始まる。

 廃墟城の二階、東向きの壁が崩壊している私の居室にはダイレクトで日が差し込み否応なく起こされるのだ。

 朝は強い方ではなかったが、澄んだ空気と静かな森の環境にすっかり体が馴染んだようで、目覚めて三秒で寝台から立ち上がる。壁代わりに天井から垂らしたシーツの隙間から外を見れば、城前の空き地にて体を動かす二人の人影が見える。

 我が従僕のカインと陽気騎士のサイモンだ。筋骨隆々マッチョな者同士で気が合うのか、毎朝日課のように肉体言語でコミュニケーションをとっている。

 さわやかな朝なのに若干暑苦しさを感じる。微笑ましい光景だ。

 溜めておいた水で顔を濯ぎ着替えを済ませると、大樹の枝を滑るように降り、庭に降り立つ。


「おはようカイン、サイモン! 今日もいいお天気になりそうね!」

「「おはようございます!」」


 元気な挨拶が返ってくるタイミングで寡黙騎士のヨハンがやってくる。


「……おはようございます、レティシア様」

「おはようヨハン!」


 早起きはできるが寝起きが悪いらしく朝の機嫌はすこぶる悪い。眉間に皺をよせふらふらと歩きながら筋肉二人の朝稽古に合流する。

 始めの頃はハラハラしながら眺めていたが、木剣代わりの木の枝を振り回す手元は確かで、さすが騎士団随一の剣の使い手であると感心したものだ。

 対する二人は慌てながらも器用に攻撃をいなしていく。無駄のない動きに見とれながら、騎士二人はともかく普通に混じっているうちの従僕は何者なのかと考えたりもしたが、無駄なのでやめた。カインは私の護衛も兼ねてるからね、優秀なのよ!

 自慢の従僕にうんうんと満足しつつ鍋に湯を沸かし始める頃になると、メリルも起きだして朝食の支度を始める。


「おはようございますお嬢様! 皆さん朝から元気ですねぇ」


 前日に用意しておいた食材と明け方のうちに筋肉二人が汲んでおいてくれてる水を使い、心許ない設備であっても器用に調理を進める。

 メリルは侍女だが料理の腕も一流なのだ。ちなみに私は調理はできない。なので野菜を洗ったり鍋や皿を運んだりといった手伝いをすることになる。

 庭に設えた大き目のテーブルに六人分の食事が並ぶ頃、ようやく最後の一人が起きだす。


「おはようございます、セドリック殿下!」

「…………ぉはよう……」


 まだ寝てますわね、歩いてはいるけど目は開いていませんわ。ヨハン以上に寝起きが悪いらしい萎れた姿は普段のきらきら王子様姿からは想像もできなくて、このギャップに驚きつつもちょっと可愛いとか思ってしまう。男性に可愛いは失礼かしら?

 サイモンに頭から水を浴びせられてようやく頭も覚醒し、皆で席につくと一日が始まるのだ。

 この皆で食卓を囲むお転婆スタイル、新入りたちは大層困惑したが私が号令を下すとおとなしく従ってくれた。

 廃墟ルールへの順応がすさまじいなと三人を見ればそういえば皆騎士隊出身なのだと思い出した。騎士って過酷な職業なのね……。今度からおかずのお肉を増量してあげましょう。

 

 日中は狩猟と森の探索の時間である。

 罠を仕掛け、またかかった獲物を回収しつつ、危険な獣や魔獣が生息している痕跡がないか注意深く観察する。

 幸い今のところ危険生物の気配はない。食べられそうな植物もチェックしマップを作製していく。

 罠に獲物がかからない日は弓の出番だ。

 ふふ、実はちょっと自信あるのよね。馬から落ちるようなヘマをしたのは領地で初めて狩りをした時だけ。ブランクはちょっと心配だったけど、廃墟領での最初の獲物は見事私が仕留めたのだった。

 引きこもりとはいえダンスレッスンは厳しいものだったから体力には自信があるのだ。丸々とした体に派手な羽根を纏った鳥の魔獣を引きずって帰ったときはセドリック殿下が声も出ず硬直して意識を飛ばしてしまった。

 そういえばセドリック殿下って王宮にいたころの私しか知らないのよね。完璧公爵令嬢からお転婆令嬢にクラスチェンジ、ダウングレード? した私は少々刺激が強すぎたようだ。意識を取り戻した後は「ああ夢を見ていたんだな……」などと光を映さない瞳でぶつぶつと戯言を吐いていた。

 しかし現実からは逃れられないのだ。

 それから私の破天荒っぷりを目撃し魂の逃避行を繰り返すうちに慣れた。「まぁ、そういうこともあるよね!」と持ち前の変わり身の早さを見せる。これちゃんと現実を見れてるのかしら? 尻尾をぶんぶん振っているような笑顔を向けてくるのだからまあいいか!

 騎士二人は私の前情報がない分受容は早かった。多分考えるのが面倒くさくなったのだろう。



 そんな感じで暮らし始めて一週間が過ぎた。

 廃墟生活スローライフにも大分慣れ、とりとめのない毎日を送る日々。

 気持ちも生活も落ち着いてふと冷静になると、これから自分はどうすればいいのだろうかという考えが脳裏に浮かぶようになる。

 つい先日には王都からいくつかの手紙が届いた。

 一通は公爵である父からで、社交辞令な気遣いの言葉に始まり、ルーファス殿下と私の婚約破棄の手続きは現在粛々と進められているといった報告から、物資の支援の申し出などが淡々と纏められていた。

 情もなくさっさと追い出したわりにマメなことである。

 私は廃墟領での暮らしを楽しんでいるので、物資については丁重にお断りすることにする。

 ほかには数少ない友人であるご令嬢たちからの手紙もあった。

 ルーファス殿下とオリヴィア嬢がそれはもう仲睦まじいだの『最凶悪役令嬢』である私の武勇伝――もとい根も葉もないのにヒレだけは何十枚とついている事実無根の噂話だの、王都でのホットな話題がそれぞれに書き連ねられている。

 私の噂話に関しては、逐一否定しているものの焼け石に水で到底火消しには至らず申し訳ないとの添え書きまであり、逆にこちらが申し訳なく思う。ほんとごめん。


 ひとつ溜息をつき、王都から持ち込んだ荷物の奥からレターセットを取り出すとそれぞれに簡潔に返事をしたためる。

 長年愛用しているペンは公爵家の紋が入ったお気に入りの逸品で、気の乗らない言葉だろうがすらすらと紙に文字を乗せていく。

 封をして使いの者に手紙を預け、立ち去る姿を見送れば王都の懐かしい香りが風に乗り消えていった。


 再び机に戻り、ペンを指で転がしながらぼんやりと廃墟城を眺める。

 あんなにつらかった王都での生活から解放されたというのに、ぽっかりと心に穴が空いたようだった。

 あの頃の私――つい二週間ほど前のことだけど――はそれはもう生気のない繊細な人形のようだった。

 感情に蓋をし、自己を主張することは許されず決められた動作だけを正確に行い、婚約者の陰でただただかしずく存在。あれ、王太子妃ってなんだっけ。

 そんな疑問を持つ余裕もあの時はなかったんだなと改めて気付かされる。

 それまでの自分の生き方が間違ってるとは言わないけれど、もう少しうまく立ち回れれば、あそこまで追いつめられる前に何か手を打つことができていれば、今の自分の立場はもっと違うものになっていたのかもしれない。

 ……今更だ。

 私の居場所はこの廃墟領で、もう後戻りはできないのだから。

 そうやってこの地に来て身も心も解放されて自分を取り戻しつつあるというのに、未だに心に空いたその穴を埋めるものは見つからない。

 私は何のためにここにいるのだろう。ここで何ができる、何がしたい?

 このままずっとこの地で暮らし続ける? 領地を整え正式に領主として認められ……るかは分からないが、この城と森を守り暮らすこと。そんな未来もあるのかもしれない。いいじゃないか、それも悪くない。

 それでも……。

 手を中空に伸ばし何かを掴もうと握りこむが空を切るだけだった。

 心に引っかかるそれの正体がわからず、インクの匂いがまだ残るペンを再び荷物の奥へしまい込んだ。

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