その頃王宮では

 コツ、コツ、とヒールが床を叩く音が響き渡る。

 繊細な細工の施された柱が立ち並ぶ王宮の回廊を軽やかに歩く一人の令嬢。


 ついに私ことオリヴィア・ノクシーは未来の王妃の座を手に入れたのだと実感がこみ上げ足取りはふわふわ軽く、響く足音もリズミカルになる。

 とはいっても今は以前の婚約の破棄手続き中とかで、まだ王太子の婚約者の座には収まれてはいない。難しいことはよく分からないけど邪魔者は排除できたみたいだしいいかな。

 邪魔者であったレティシア・グランドール公爵令嬢を王都から追い出して一週間が過ぎた。

 公爵派の貴族から恨みを買っているかもしれないから身の安全のためと、ルーファス様が離宮内の客室を用意してくれそこに滞在している。憧れの王宮暮らしだ!

 部屋も調度品も超一流なうえ、洗練された侍女たちが甲斐甲斐しく世話をしてくれる。自分も貴族の端くれとはいえ男爵家。その快適さはとても比べ物にならない。

 ルーファス様は足りないだろうとドレスや装飾品も贈ってくれて、まるで巷で人気のロマンス小説のヒロインにでもなったような夢見心地で過ごしていた。


 浮かれた足取りでぱたぱたと歩く様を王宮付きの侍女がたしなめてくる。

 分かってるわ、未来の王妃に必要な所作くらい! それでもこの先の明るい展望が私の心をくすぐりどうしてもヒールを打ち鳴らしてしまう。

 そのたびに侍女が苦言を呈してくるがそれすらも軽やかにいなし、私の足は未来の旦那様であるルーファス様の元へ向かうのだった。


 ルーファス様の執務室の扉の前にたどり着くとコンコンとノックをし、返答を待たずに中へ入る。

 忙しく動き回っていた文官たちがぎょっとした顔を一斉にこちらに向け立ち止まるが、それを気にも留めずルーファス様の座る執務机の前までずずいと歩み寄った。


「ルーファス様、お仕事お疲れ様です! そろそろお昼の時間なので昼食のお誘いに参りました!」


 自慢の笑顔を振りまき元気よく声をかける。

 私の笑顔はさながら可憐に咲く花のようだとよく褒められる。場を和ませ人を癒す力があるのだと。だから勿体ぶらずに全力で振りまく。この執務室内の空気は実に悪い。息が詰まりそうなほどに淀んでいる。ほら、ルーファス様へ書類を渡そうとしていた文官の顔も真っ青だ。浄化が必要ね!


「オリヴィア嬢、私のためにわざわざ執務室にまで足を運んでくれるとは恐れ入るな」


 書類に落としていた視線を上げこちらに向けるルーファス様。髪から指先、襟元に至るまでピシッと整えられた隙のない佇まいは今日も完璧だ。

 固い眉をわずかに緩め、ねぎらいの言葉をかけてくださる。


「折角の誘い申し訳ないが今は忙しい。またの機会にしてくれないか」

「まぁ、だったらなおのこと休憩はしっかりとらないと! お体を壊しては大変です!」

 

 最近のルーファス様は随分お忙しいご様子。そんな真っ黒な職場は健康によくないわ。 前の婚約者であるレティシア様はこんな仕事中毒のルーファス様を労わることもなく放置していたとか。そんなのだめよね。私が旦那様をしっかり管理してあげないと!

 笑みを絶やさずルーファス様の手をぐいと引くと、握っていたペンを置き重い腰を上げる。


「……オリヴィア嬢の言うとおりだ。少々休憩を入れる」


 書類の束を抱えた文官たちを押しのけ、ルーファス様の手を引いてランチの用意された中庭に向かう。今日はお天気もいいしいい気分転換になると思うの!

 後にした執務室からは「うう……サインを……」だの「あああ決裁がぁ!」だのゾンビめいた呻き声が聞こえる。ほんと陰気な職場だわ!


 鮮やかに花が咲き誇る王宮の中庭で、軽食をとりながらゆったりと流れる時間を過ごす。見目麗しい王子様と手入れの行き届いた庭はとても絵になる組み合わせね。

 まるで夢のような時間。少し前までは自分がこんな場所にいることなど想像もできなかった。



 出会いは昨年の社交シーズン。初めて参加した王宮での夜会で王太子と横に並ぶ婚約者を見たときのこと。

 煌びやかなシャンデリアの下、その光に霞むどころか逆に引き立てるほどに美しく立つその姿に、ひと目で心を奪われた。

 それからは夜会のたびに、どうにかして近づけないかとばかり考え、ほかの多くの令嬢と同じようにひたすら姿を追っていた。

 ある時、同じく追っかけをしていたほかの令嬢にぶつかり、ドレスをワインで汚してしまった。誰も手を貸してくれず俯いている中、たまたま近くにいたルーファス様が私に気付き、侍女に命じて着替えなどの世話を焼いてくれた。

 初めて声を掛けられその瞳を受け止めて、「この人の側にいたい」とより一層願うようになった。

 それからは顔を合わせる度に声をかけてくれるようになった。「男爵令嬢の分際で」と陰口が聞こえてきたりもしたけど、持ち前の癒しスマイルをルーファス様に向ければ私の瞳を覗くその表情の堅牢さが少し和らぐことに気付いて、周囲の雑音はもう何も耳に入らない。

 そのうち周囲の令嬢の恨みがエスカレートしてきて、ぶつかられる、階段から突き落とされる、休憩室で貴族令息に襲われかけるなんて散々な目にあったけど、そのたびにルーファス様が駆け付け助けてくれた。

 男に色目を使うふしだらな令嬢だなんて噂を流されたこともあった。


「そんなのでたらめです! 誰がこんなひどい噂を……」


 と傷心していればルーファス様は「気に病む必要はない」とそんな噂を一蹴して優しく慰めてくれる。


「ああ、私を信じてくださるのはルーファス様だけです……!」


 唯一私の味方でいてくれるルーファス様。いつしかルーファス様は私を守るために時間の許す限り側にいてくれるようになった。

 婚約者であるレティシア様といえば。日頃の王太子妃教育が忙しいとかで夜会も茶会もほどほどにしか参加していなかった。

 たまに顔を合わせたときは文句のひとつでも言われるかとビクビクしてたけど、我関せずといった様子で絡んでくることもなく。正直何を考えているのかわからなかった。

 ルーファス様はよく鉄面皮だの感情が読めないと(でもそこが素敵! とも)言われるけれど、私といるときの彼は控えめながらとても優しい人で、レティシア様の人形のような眼差しのほうがよっぽど冷淡に見えた。

 ある茶会では見知らぬ令嬢にこんな言葉をかけられた。


「レティシア様がこの間のお茶会でおっしゃってましてよ。品位のない下級貴族の令嬢が婚約者の周りを蠅のようにぶんぶん飛び回って不愉快だ、と」

「そんな……!」


 とても信じられない……と思いたかったけどレティシア様のあの瞳を思い出すと何も言葉が出てこなかった。

 ルーファス様もこの話をどこかで耳にしたのか、顔を合わせるといつもの優しさの陰に傷ついた心が見えた。

 初めて見る儚げな姿に思わず心が揺れる。

 ルーファス様の心を労わるどころかこんなに傷つけるレティシア様。私の方が王太子妃にずっとふさわしい!

 そんな思いがどんどん膨れ上がり心が熱くなる。 


「ルーファス様はいつも冷静で何事にも動じない方ですけど、本当はとても繊細でお優しい方なんですね。いつも助けていただいてるんです、お辛いときはどうか私を頼ってください」


 そっとルーファス様の手を自分の両手で包んだ。とても冷たい手だったけど私の体温で少しずつ温かみを増していくのが分かった。

 熱を宿した瞳でルーファス様の瞳を見上げる。


「貴女こそつらい目にあっているというのに……優しいひとだ」


 私の瞳に静かにつぶやき、そっと手を握り返してくれた。

 そうしてひとつの決意をかため――あの断罪劇に至ったのだった。



 王宮の中庭での昼食に意識を戻しルーファス様の顔を覗くと、心ここにあらずといった感じで遠くを見ている。きっと中断した仕事のことを考えているんだろう。

 休憩時間は休まないとダメですよ!

 なんとか別の話題を振ろうと、気になっていることを尋ねてみた。


「レティシア様とは婚約破棄されたのですよね?」


 意外な質問だったのかちょっと驚いたようにこちらに目を向ける。


「今は手続きの最中だ。公爵家をあまりないがしろにするわけにもいかぬから根回しは慎重にせねばな」


 ふぅ、とひと呼吸をいれ紅茶を口に運ぶルーファス様を見ながら思う。婚約破棄って面倒なのね。小説では紙切れ一枚で済ましていたような感じだったのに、現実はままならないわ。


「そう……ですか。私はルーファス様とレティシア様の仲を裂きたかったわけではないのです」


 ただ未来の王妃としてふさわしくない相手がルーファス様の側にいるのは許せなかった。


「わかっている。貴女が誰も傷つかぬよう心を砕いていることは知っている。だから貴女が気に病む必要はない。レティシア嬢が我が妃たる器ではない人間だと気付かせてくれたこと、礼を言う」

「そんなこと……私にはルーファス様が傷つかれることが何よりもつらいのです。レティシア様があのような方だったとは信じられませんでした。そんな方がルーファス様の隣に立つことが、私の方が……」


 そう言い淀んで俯くと、ルーファス様が体ごとこちらに向き直り、私の手を取る。私の名を呼び顔を上げさせると、私の瞳を見据え静かに言葉を紡ぐ。


「改めて問う。貴女は私の隣に立つことを、未来の王妃となることを望むか?」

「私が……王妃に。私にルーファス様をお側で支えることをお許し願えますか」


 ルーファス様の手が答えるように力を込め私の手を包む。その手はいつかの時とは違いとても熱を帯びていた。

 一陣の風が中庭を吹き抜け季節の変わり目を感じた。

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