訪問者は王子様でした
「あれは……セドリック殿下⁉」
私の名を呼んだ男の顔を見て思わず声が漏れる。
馬上の三人の男たちの顔が一斉にこちらを向く。しまった、と思ったがもう遅い。迂闊。背後から二人分のため息が聞こえたが聞き流そう。
仕方なく建物の影から前に進み出る。こちらの姿を確認すると三人の男たちも馬から降り歩み寄ってきた。
「お久しぶりにございます、セドリック殿下。ご機嫌麗しゅう」
殿下の前で淀みなくカーテシーをとる。廃墟の中心でメリルの自信作である改造ドレスを身に纏い優美に膝を折るさまは違和感しかないのだが、持ち前の悪役令嬢然とした容貌と長年の王太子妃教育によって培われた堂々たる立ち居振る舞いは、有無をも言わせぬ威厳を放っていた。
殿下の後ろに控えていた二人、服装から騎士と思われる男たちが一瞬息を呑む。
「……久しいな、レティシア嬢。思ったより元気そうで安心した」
「左様でございますか。殿下のお心遣い、感謝いたしますわ」
緊張した面持ちを崩さず、こちらを観察するような眼差しでセドリック殿下が挨拶をすると、すかさず礼を返す。
冷静に、淡々と。こちらの機微を気取られないよう注意深く。
頭を下げたまま思考をめぐらす。何しに来た? 殿下が直接、数人の護衛のみを伴って?
怪しさしかないこの状況。つい先日、自分の迂闊さで大失態を犯したばかりなのだ。数分前の小失態からは目をそらしつつ、最大限に警戒して相手の出方を探る。
そんな私の取り澄ました態度を見て、セドリック殿下はやや眉尻を下げた。
セドリック・ベルナード第二王子殿下。我が婚約者であったルーファス殿下の弟君だ。年齢は私と同じ18歳。柔らかなプラチナブロンドに碧眼を煌めかせた人好きのしそうな顔立ちに苦悩の表情を浮かべたその人は、内面も外面も鉄面皮の冷徹兄とは正反対の印象を与える。
個人的な接点は余りなかったのだが、王宮での彼の人当たりの良さの評判は耳にしていた。感情を隠そうともせずこちらに向けるのを見るところ、噂通りの人物のように思える。
「あなたの怒りは尤もだ」
私のそっけない態度を怒りと受け取ったらしい殿下は真摯な眼差しを向けそう言うと、ゆっくり頭を下げる。
「貴女をこのような処遇に追いやったこと、謹んで詫びよう」
「セドリック殿下⁉ おやめくださいまし!」
慌てて殿下を止める。いくら周囲には従者が数人しかいないからといって、王族がほいほい頭を下げるのは大問題だ。互いの従者も殿下の突然の所業に困惑してアワアワしている。
「殿下にお詫びいただくことではありませんわ! それよりもなぜ殿下がこのような所にいらっしゃるんですの?」
初手からの奇手に面食らってしどろもどろになった私は、もう面倒なのでストレートに聞いてみる。警戒だの探り合いだの知らん。
王宮にいたころはこんなに容易く動揺することなんてなかったのに、たった一日のスローライフで随分と心がやわになったようだ。それでも警戒レベルを下げる気はないが、まるで叱られた犬のようにしょんぼりした殿下をみているといたたまれなくなってくる。まるで私が苛めてるみたいじゃないの。いくら悪役令嬢ポジションだからって勘弁してほしい。
私の必死の説得と話題逸らしが功を奏して殿下が顔を上げる。う……まだ瞳がウルウルしている。そんな目で見ないでほしい。
「……そうだな、突然の訪問で驚かせてしまった。改めて説明させてもらえるだろうか」
きりりと表情を引き締めるが、私の中でこの人はもうわんこ王子という地位が確立してしまった。淡いクリーム色の、おなかに顔をうずめるとお日様の匂いがする系のわんこだ。この認識はもう覆らない。
とりあえず落ち着くために場所を移しましょうと促し、拠点としている半壊城の前に広がる空き地に移動した。
城内から使えそうなテーブルを発掘し椅子代わりに崩れた石を積み上げれば、即席のお茶会会場の出来上がりである。殿下をもてなすにはあまりにも粗末だが、周囲の廃れっぷりを見て許容してほしい。
怒らないかとちょっとドキドキしながら席に促すと殿下は素直に腰を下ろしてくれた。しつけの行き届いたわんこである。
馬を木に繋いでた護衛騎士二人が戻り王子の後ろに控えると、ちょうどそのタイミングでメリルが茶を配す。周囲を紅茶の香ばしい香りが満たし空気が弛緩した心地になる。
ティーセットは公爵領から持参してきた物で、優美な佇まいのそれは私のお気に入りの逸品である。茶を囲む人々と景色を端からすいと眺めれば、なんと滑稽だろう。思わず笑みが零れてしまう。
「レティシア嬢?」
「ごめんなさい、なんだか愉快なお茶会だと思いまして」
「たしかに、おかしな茶会だ。このような場所で貴方と向き合う事も、そのような笑顔を向けられる事も」
ころころと笑う私を不思議そうに眺め、やがてセドリック殿下も表情を和らげる。
「ご用件をお伺いしても?」
「私は兄上の下した決定に反対だ」
はっきりとした口調で私に告げる。
「貴女は何も悪くない」
その瞳の奥には静かな怒りが燃えているように見える。
「騒動を聞いて愕然とした。まさか貴女に対して不貞の嫌疑をでっち上げ、挙げ句に廃墟領に追放とは」
「あら、証拠はあったそうですわよ?」
「あんなもの全て状況証拠に過ぎないだろう。それにその言い方、貴女も自身の潔白を主張しているのだろう?」
「まぁ、そうですわね」
「……随分と落ち着いているんだな」
私の軽く流すような相槌に不満げな感情を隠さずに向けてくる。
なるほど、この
兄君にも爪の垢を煎じて飲ましてやりたい。
「確かに私も罪には納得しておりません。ですが噂を放置し助長させたのは私の落ち度ですもの。罰は甘んじて受け入れますわ」
「私は納得がいかない」
ナゼだ。私がいいと言っているのだからいいではないか。
「貴女は明確な悪意を以って嵌められたのだ。そして尊厳は踏みにじられたまま、その悪人どもは貴女のいない王宮で素知らぬ顔で笑みを浮かべているのだ。……私にはそれが許せない」
「確かにそれは腹が立ちますわね」
うむ、よく考えてみれば確かに腹が立ってきた。私にも落ち度はあるといっても悪事を働いた事実はないし、あれ? 私、悪くなくない?
「ああ、理解ってくれたか! ならば共に王宮に戻り真相を暴……」
「分かりました! ならば私はこの
セドリック殿下の苦々しい表情から「解せぬ」と声が聞こえてきそうだが知ったこっちゃない。
私はずっと未来の国母となるため日々努力を重ねてきた。なのに王となるはずの婚約者はいつの間にか見知らぬ令嬢と良い仲になって、邪魔者となった私を追い出した。
あの傍若無人王子ルーファスを見返してやりたい。
そのために私ができる最大の仕返しといえば、罰を罰とせず、褒美のごとく好き放題やることではないだろうか。
実際、王太子妃教育から解放されて生き返った心地だ。浮気者とも縁が切れたし万々歳である。
「私がこの地で幸せに暮らすことこそが、私を陥れた者たちに対してするべき報復なのですわ」
確固たる決意をキツめの瞳に乗せ、セドリック殿下を見据える。
せっかく手に入れた
「……そうか」
はぁ、と溜息をつくと諦めたようにセドリック殿下が力なく漏らす。勝ったな。
「今は意固地になるのも無理はない。まずは貴方の心の傷を癒やすことを優先すべきなのかもしれない」
うん? なんだか風向きがおかしい。
「ならば私は、貴女の
待って、今ここで暮らすって言った⁉ 言ったね! 背後の騎士たちの顔が引きつっていますよ殿下! ついでにウチの従者たちもドン引いてますよ!
覚悟を決めたら変わり身が早い。今までしょぼくれていた表情がぱっと輝きだす。犬耳がピンと立ちしっぽがぶんぶん振れているのが見て取れるようだ。
「い、いやちょっとお待ち下さい殿下! 仰る通りここは何にもない所ですので、殿下をもてなすことなどできませんわ!」
慌てて殿下を制止する。慌てすぎて言葉が乱れたが気にする余裕もない。せっかくお転婆令嬢としてのびのびと
「もてなす必要などない。騎士隊にいたころは野戦の訓練で野宿やテント生活も経験しているしな、レティシア嬢よりよほど手馴れているぞ!」
あ、これ梃子でも動かないやつだ。自信満々でにっこり満面の笑みを向ける。……負けた。
こうして想定外の住人、わんこ王子一名・騎士二名・馬三頭を迎え、私の
ふと、言い出したら人の意見を聞かないところは何となく兄のルーファス王子と似てるな、なんて思いつつセドリック殿下の横顔を眺める。
『貴女は何も悪くない』
その言葉は誰からもかけられず、一番欲していた言葉でもあって。想像以上に弱っていた私の心に深く響いていた。
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