嘘つき

真島まる

二人で過ごした記憶の中に


「嘘つき」


 こぼした声は激しい怒りに満ちていた。胸がきつく締まり、奥歯を噛み締める。目を閉じて深呼吸を繰り返す。こうしなければ私は自分を見失ってしまいそうだった。

 

 私の手に握られたスマホには一人の女性が幸せそうに笑っている写真が映し出されていた。美しいウェディングドレスに身を包み、隣にいるのであろう夫と腕を組んでいる。左の薬指には銀色に輝く指輪があった。彼女は結婚したのだ。私を置いて。


 彼女とは高校で知り合った。趣味も、まとう空気感も合ったからすぐに親友になれた。社交的な彼女と内気な私。彼女にとって私は大勢いる友人の一人にすぎなかったのだろうけど、私は違った。彼女は私にとってたった一人の特別な人だった。彼女と過ごす三年間はとても楽しかった。たとえ大学が離れたとしてもずっと連絡を取り合い、これから先も友人であり続けるのだろうと信じて疑わなかった。


「大人になったらシェアハウスしない?」


 高校二年生の夏。彼女はふと思いついたように言った。

 

「猫とか飼ってさ、絶対楽しいよ!」


 私は息を呑んだ。彼女の提案は私にとってこれ以上ないほどの福音だった。


 家にいても私の居場所はどこにもなかった。いつも不機嫌な父親。仕事で帰りの遅くなる母親。無関心を貫く兄。認知症の祖母。ここでは暮らしていけないと思った。ここにいたら、いずれ私は腐って死んでしまうとそう思っていた。


「うん! する、シェアハウス!」


 大人になったら。

 それはいつだろう。高校を卒業したら? 大学生になったら? 社会人になったら? わからないけれど、今を耐えれば彼女と共に暮らせるのだと思うと私はなんでもできる気がした。

 彼女は笑った。私はあの笑顔を何があっても忘れない。


 けれど、時が経つにつれて彼女はシェアハウスのことを話題に出さなくなった。彼女にとってあの言葉はただの気まぐれだったのだろう。今ならわかる。だが私はいつまでもそれに縋りついていた。どんな家に住むか、どこに住むか。そんなことをずっと考えていた。それだけで幸せだった。


「ねぇ、まだそんなこと言ってるの? 冗談じゃん」


 そしてある日、彼女は言った。

 卒業式を控えた寒い日だった。いつもの帰り道。いつもの電車。いつもの会話。シェアハウス。呆然とする私に彼女は困ったように眉を下げた。


「本当にシェアハウスなんてできるわけないでしょ」


 私だけが浮かれていた。彼女と暮らせると思い込んでいた。いつまでも一緒にいられると。

 じゃあね。彼女は最寄駅で降りて行った。短いスカートがふわりとひるがえる。白い太ももが眩しく光る。カバンにつけたお揃いのキーホルダーが軽い音を立てた。

 私はその時の光景を何があっても忘れない。まぶたの裏に焼きついている。


 あれから何年も経った。大学進学を境に連絡を取らなくなり、自然と疎遠になっていた。唯一繋がっていたインスタの中でだけ彼女の存在を認識することができた。彼女はいつもたくさんの新しい友人と遊んでいた。きっと私のことなど覚えていない。私はずっと覚えているのに。


「嘘つき」


 吐き出す。布団にくるまり、煌々と光る液晶を見つめる。

 なんて幸せそうな顔をしているんだろう。隣にいる男はいったいどんな人間なんだろう。彼も笑っているのだろうか。画面の中の彼女は見たことがないくらい輝いていた。


 私だけが取り残されている。高校時代、二人で過ごした記憶の中に。私だけがみっともなくしがみついている。おそらく死ぬまで。


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嘘つき 真島まる @marubell

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