黒い童話

シバゼミ

42 65 13 症

 どんぐりって、いつ落ちるの? 

 いがぐりって、いつ割れるの? 

 まんまるの太陽に、いつの間にか下り坂。ドンドンと落ちていく。跳ねながら落ちていく。でも、落ちていく本人は気づかない。


 あてどなく歩いていた私。遠い空、すんだ空気。周りの街路樹には赤やだいだいといった紅葉の木々に、つがいのとんぼが飛んでいた。それをさえぎる、うるさいほどの電線。スピードを上げていくトラックたち。その終点には十字路でした。

 もう、タイヤで踏み潰されたどんぐりです。その十字路ではどの方角も同じような景色に見えてうんざりです。そんなとき、ふとほのかに明るい路地裏に目を奪われます。

 どこかなつかしい。でも、忘れてしまった。私は思わず、走り出していました。


 急いで曲がると、足もとには赤やだいだいのブロック。踏み押すと、ピアノのけん盤のように音が出ました。

 ドレミファソラシド♪ 

 ちょっと楽しい。すると、なぜかビルがにょきにょきと生えてきたのです。それはナイフのようにのけぞり、スプーンのように歪んでいました。さらには目の前には少女の姿。腰の高さぐらいでしょう。私と同じ迷い子でした。


 つやのある赤いくつ。白いフリルのスカート。お人形様のような上着もいいです。アラッ? その手には買い物かごですか。きっと、初めてのおつかいでしょう。しかし、近くにはご両親の姿は見当たりません。逆に、怪しげな四人が遠巻きで少女をつけていました。

 彼らには影がありませんでした。そして、顔もありませんでした。正確には凹凸だけののっぺらぼう。フードのついた青いパーカーに、黒のスウェットズボンは動きやすい。手袋をつけ、それはボサボサに使い込まれていました。 

 がにまたで、四つんばいで、スローな動きで関節を曲げ、奇妙なパントマイム。ただ、少女はまったく気づいていません。あれだけ動いているのに、なぜ? とにかく怪しげな彼らを近づけないためにも、私は思い切って少女に声をかけます。


「お嬢ちゃん、どこでどう迷っているの? こんなところで危ないよ!」

 少女は少しムッとして、

「わたし、迷ってなんかいないよ。ただ、お店を探しているの」

 ええ、強がりなところもいいですね。

「じゃあ、どこへ行きたいの?」

「あのお店!」

 少女が指を差した先。そこはビルとビルとのすき間。とんでもなく細長い文房具屋さんでした。


 ナンでしょう? 店内の商品はどうも大きなものばかりです。きれいに並ぶ緑の六角形。なんとも長い鉛筆が立てかけられてありました。おそらく四メートルはありそうです。また、身長ぐらいのコンパス。三日月の分度器。おそらく少女の買い物かごに入らないと思いました。

 でも、のんきに想像しているどころではありません。また、あの四人ですよ。コミカルな動きでしたが、真後ろまでせまっていたのです。

 私は急いで少女の背中を押していました。


「ひとりで行ってらっしゃい!」

「うん、わかった!」

 私は早めに少女をお店へ入れて、盾になるようにがんばります。

『おかいもの おかいもの ちゃんとできるかな?』

 彼らはそう言いながら、ずっとニヤついていました。気色悪く、低い声で言い続ける。それは不安で、不規則で。おどおどと、あざけている。

 しかし私の警戒もむなしく、少女は何も買ってきませんでした。


 これには文房具屋さんも悪いと思ったのでしょう。わらわらと4、5人の店員さんが出てきます。

 どうにかお店の商品を良いものだと証明して欲しい、と。少女がダメならあなたで代筆して欲しい、と。そう、願うのでした。

 あわれに思った私は震えた字でサイン。その緊張の場面も彼らはクスクスと笑う。私ははずかしいやら、腹立たしいやらで、四メートルはある鉛筆をへし折っていました。 

 ただ、その横で万華鏡のように目を輝かせた少女は言います。

「今度はあのお店に行ってみたいの!」

 私は困ってしまいます。次に向かった先は鼻くそ屋でした。



 さて、私と手をつなぎスタスタと歩いていきます。すると、大きなダンゴ鼻のオブジェへ着きました。面白いことに、呼吸に合わせて鼻の穴がヒューヒュー動いているのです。そのサイズは型破り。鼻毛ののれん。そののれんでうんていしながら、お店に入っていくのでした。

 ただし、またあの四人ですよ。今度はヨボヨボとイモ虫のように地面をはいつくばっている。それでいて、こちらの監視を絶やさない。 

 私は少女に言うしかありませんでした。


「こっから先は一人で行ってらっしゃい!」

「うん、わかった!」

 ええ、とてもいい返事。逆に四人は歯なしの口で、

『売り切れだよ 売り切れ 売り切れているの知らないの?』

 彼らは呪文のようにうめいていました。ふと、私は生きているあいだに何時間、鼻くそをほじっているか気になりました。


 10分、10時間、10日? 生き方の9割がくだらないことに思えます。ただ、その1割でさえはたして覚えているのでしょうか? 

 結局、少女は何も買えませんでした。でも、そのツメが、髪が、足がとっても長く美しくなっていました。お店でもお友達を作ったようでわらわらと4、5人が出てきます。そして、こっそりと私に打ち明けるのです。少女の鼻にマスクを埋め込みましたよ、と。いつか使えるかもね、と。

 ただ、そこでも彼らはニヤついているのでした。でも、少女は気にせず私の手を引っぱります。

「次はあそこにしようよ!」

 これが若さなんでしょう。ただし、今回の私は一息つこうと提案します。なぜなら指差した先はとっても遠くだったからです。振り返ると、鼻の穴には大きなどんぐりが刺さっていました。



 ナンでしょう? 看板を読むと、つらら屋です。そこには見上げるほどのソフトクリームのような建物がありました。そして、そのてっぺんにはなにやらピカピカと光るもの。きっと、あそこが店舗なのでしょうか? さすがにエレベーターでもなかったら、行けない高さです。ちょっと、雲までかかっていました。

 もちろん、戻ってくるお客さんは外のグルグルのすべり台で楽しそう。大声を出し、まばたきもしないまま降りてきます。少女はそれを見て、さらに目を輝かせていました。逆に、あの四人はゾンビのようにビクビクとおとろえていました。


『……だまされるな ……上には不幸しかないよ』

 しゃがれた声で、吐息まじり。でも、ここで初めて耳を貸している私です。だって、あまりの寒さに身震いですよ。ここでも寒いんだから、上へ行ったらもっと寒いはず! さらには降りてきたお客さんたちも手ぶらでした。

 それは、つまりですよ。

 何もわからないまま上へ行って、おみやげもなしなんてありえない! ただし、少女はノリノリでした。


「早く行こうよ!」

 かけ声とともに、私の手を引っぱるのです。仕方なくそのまま中へ入るのですが案の定、ソフトクリームの内側は大きならせん階段でした。

 エレベーターもなし。上の店舗までどれぐらい時間がかかるのでしょう。それも手すりはなく、上に行くほど真っ暗でした。

 さすがに私も困ってしまいます。ですが、どんどんとお客さんたちが集まってくる。それもやる気満々の、ひざの曲げ伸ばし運動。元気よく背伸びまでしている。だから、彼女もせかすのでした。


「早くしないと行き遅れちゃうって!」

 すでに口紅と香水をつけていました。逆に私の髪はちぢれ、歯が抜け落ちていました。そして気持ちもなかなか、すすみませんでした。

 だって、落ちたらどうするの? 途中に給水所はあるの? 休憩所はあるの? そこには不安しかない。ですが、彼女がどうしてもと言う。

「わかったわ。でも、ちょっと待って!」

 私はある作戦を思いつきます。

 地上フロアの中央。目の前にはマント屋がありました。今度はソフトクリームのカップを裏返したような赤とだいだいのお店があったのです。



 ナンでしょう? マント屋って。もしかしてマントをつければ、ひとっ飛びで上まで行けるかもしれない。それがダメでも寒さをしのぐアイテムがあるかもしれない。私はそう考えたのです。

 今回ばかりはぐずつく彼女の手を引っぱり、私から入店します。すると、パラソルのようにかざられたマントの数々。これなら希望の商品もあるかも! 

 わずかに心をおどらせる私です。ただ、空飛ぶマントは見つけられませんでした。

 そのうちに、パーカーをかぶった店員が奥から出てきます。


『お客様、お探しのものは見つかりましたか?』

「いえ、まだなんです。そこで聞きたいのですが、ひとっ飛びで上まで行けるマントって、売ってないですか?」

 店員はうなずきます。

『はい、ございますとも。ただし、あなたが『これ以上はムリ』というときにお使いください。ええ、お代は後払いでケッコウですよ。ご使用した感想をそのまま、お値段にしていただければ、ケッコウです』

 私は使用方法を聞きます。

 このティッシュのような白い布を顔にひろげてかぶせるだけだ、と。目を閉じ、鼻を閉じ、口を閉じれば夢叶う、と。

 私は人目もはばからず、ニヤついていました。


 さて、らせん階段です。面白いことに、ここにも赤やだいだいのブロック。案の定、ピアノのけん盤のように音が鳴ります。

 ドレミファソラシド♪

 とても楽しい。彼女も笑っています。そして、他のお客さんたちも笑っています。どうやら、レースと思っていたのは私だけでホントは皆、声をかけ合って協力して登っているのです。

 でも、私の足はドンドン、ドンドンと重くなっていく。途中、手を貸してくださる人もいましたが、私はその手を振り払っていました。だって手を引いてもらっても、どうせ途中まで。そのうちに手かせ、足かせになっていくだけ。耳が遠くなって、悪口しか聞こえなくなっていくのが目に見えている。

 その目だって、すでにぼんやりです。

ドンドン、ドンドンと下ばかり見て。

ドンドン、ドンドンと取り残されていく。

もう、足音も聞こえなくなっていました。いつしか彼女の姿さえ見失っていました。

 空気が薄いのでしょう。呼吸も苦しい。上からのぞくとマント屋も点にしか見えなくなっていました。

 そうか、ここがあのマントの出番かもしれない。



 ふと、外の窓を見ます。ここから、外へひとっ飛び!

 一気に出し抜いて、上の店舗にたどり着き、後からきた彼女たちを驚かせてやりたい。それこそが一番の夢!

 一歩ずつ踏んでいく楽しさなんて、あきてくる。さあ、翼をください!


 でも、間違いでした。何ですか、あれは?

 外の風景です。なぜか私の生きてきた名場面、珍場面、そしてよくなじんだ思い出がそこに描かれていたのです。

 だが、事もあろうかあの四人が壊していく。

 その手にはツルハシ。あるいは大きな消しゴム。口から白い煙をはいて、さらにはストローで吸い込みながら。あの四人はせっせと私の思い出を壊していく!

 それも何気ない日常まで消していく。三日坊主の日記から走り書きのメモまで。愛した人にかけた言葉も。言ってしまったあの言葉も。

 私は必死にさけびます。

「止めて! 私の過去を返して!」

 それは私という最後のとりで。

 私が私という存在を失っていく。言の葉という記憶。モノクロの夢。ずっと開かなかったアルバムさえ!

 以前は思い出せていた感情、いらだち、喜び、ひがみ。そして多くの出会いと別れまで。

 したっていた後輩。将来をすすめた先生。その名前すら思い出せないなんて!

 四人はすべて消し去って、ただのふきさらしの更地にしていくのでした。

 最後。看板には私の名前だけ。それすらあの四人が引き抜いてしまうのでした。


 で、で、私はダレダッケ?



 ナースステーションで緊急コール。

「889号室の患者からです!」

 私はドンドン、ドンドンと窓ガラスをたたいて、さけんでいました。

「ここから出せ!」

 かけつけた看護師に同室の患者が言うのです。

「あの人さあ、鼻にどりぐりがつまったって、チューブを勝手に引っこ抜いたのよ。かんべんしてよね。あの人だけ、部屋を移動してもらいたいよ」

 また、同じく同室の患者も言うのです。

「あの人さあ、いがぐりを体に入れられるって、点滴の針を勝手に抜いちゃったのよ。もう、怖いやら何やら。違う施設に送った方がいいよ」

 そして、となりの患者も言うのです。

「あの人さあ、前にお孫さんたち来たけど、すっかりわからなくなちゃって。手をにぎったら、すごい剣幕で振りほどいていたのよ。ああなっちゃ、お終いだね」

 ただ、マスクをつけた看護師はニヤついてさとすのです。

「まあ、大丈夫ですよ。ここにサインがありますから。明日から彼女には拘束具をつけてもらいます。

 親族ももう、許可いただいていますから。文句を言う人は誰一人、いないでしょう。そう、誰もね」

 顔のない、彼ら四人はニヤついていました。でも、私には思いっきり聞こえているのよ!

 そうだ! あの布。白い布。早く顔にかぶせなきゃ。

 きっと、失った思い出もよみがえる。くだらないことも、何気ないことも、すべては大事だったんだから。取り返すのよ!

 ポケットに手を入れた私。やっぱりあった! 

 でも違う。そこには赤やだいだいのハンカチでした。

 それは先に亡くなった夫の最後のプレゼント。

 窓をたたくのを止めます。そうか、思い出した……


「私の名前は……」


 手ぶらだけど、それでいい。あざやかな走馬灯がよみがえる。

 最後に、最後に、思い出したよ。

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