第9話
「……どういう事だ……? アンヌは俺を愛しているんじゃ……? だから俺の事を何でも許してくれていたんじゃ……?」
「興味ないからですね。約束の時間を過ぎてから断りの使者を入れたり等、あまりに無礼すぎるので、途中からは呆れて物を言う事すらなかっただけです。その前に、ろくに会う事すらありませんでしたが」
ジャンはどこまで己惚れていたのだろう。
私の言葉に、貴族の夫人令嬢達は目を見開き、令息達は見下した目をジャンに向けた。そんな視線を感じ取っただろうジャンは膝から崩れ落ち、顔を上げる事が出来ないようだ。
「お父様……!?」
ブリジット嬢は、どういう事だと噛みつかんばかりの勢いでクレシー侯爵の方へ視線を上げるが、クレシー侯爵は視線を違う所へうつし、合わせないようにしている。
「そりゃそうよね」
「ブリジット嬢はご存じないのよ」
「世間を知らないのね」
周囲から漏れ出る言葉に、ブリジット嬢は何が起こっているのかと見渡すが、誰も教えてくれるわけがない。
「どういう事よ……っ! こっちは侯爵家で、あっちは子爵家じゃない……っ!」
悔しさからか、とうとう本音を漏らしたブリジット嬢だが、自分の失言に気が付いていないようだ。
シーンと、周囲の貴族達が黙るが、その瞳はもう何も映していない程、クレシー侯爵一家を呆れた瞳で眺めているだけだ。
「時に……ブリジット嬢は医師に診てもらっているのですか?」
パチンと扇を閉じて放った私の言葉に対し、縋るような瞳を向けたのはクレシー侯爵だ。
「義姉さんを診てくれていた医師が、もう来る事は出来ないと言ったんだ……! アンヌは何か知っているのか!?」
ジャンも、顔を上げて私の方を見て放った。私はそれに対して、溜息を吐く事しか出来なかった。
――本当に、何も知らないのだと。
クレシー侯爵のプライドで隠していた……?
否、知ろうとすらしなかったのだろう。少し調べればわかる事だし、医師に関してはちょっとだけでも話をすれば分かる事なのだ。
「……他の医師に診てもらえば良いではないですか」
今までの鬱憤を晴らすつもりはないのだけれど、つい焦らすかのように答えてしまう。
マリーが居れば何かしら言動を起こしてくれて、私自身が第三者の視点に立てるけれど、居ない今は、つい口が止まらない。
積もり積もった怒りや不平不満が、全て言葉となって舞っていく。
「今まで色んな医師に診てもらったけれど、駄目だったんだ! やっと出会えた医師だったんだよ! アンヌ!!」
ジャンの声に、クレシー侯爵もこちらに視線を向け、頭を下げた。
「頼む……っ! 今までの事ならば謝る! ブリジットの為に、医師を派遣してくれ!」
「お父様……っ!?」
ブリジット嬢は何が何だか分からないと言った様子だったが、自分が医師に診てもらえないのは私のせいだと言う事が理解できたのだろう。私に対して、突き刺さるような鋭い目線を向けて来た。
「あんたのせいなの……?」
「私のせいではありませんよ。しいて言うならばクレシー侯爵のせいでしょう」
「お父様が私に対して、そんな事する筈がないわ」
「そうだ! 私がブリジットの為にならない事をするわけがない!」
ざわつく周囲。今の状態だと、私はただの悪役令嬢にしか見えないだろう。
これは、きちんと説明しなくてはいけないと思えば、口角が上がる。
選ぶ場所を間違えたわね、否、誘導したとも言えるかもしれないけれど。
「失礼ですがクレシー侯爵は、我が父であるヴァロア子爵と結んだ新たな契約書を一読いたしましたか?」
「契約書……?」
言って、クレシー侯爵はハッとした顔をする。
「まさか……そんな……ヴァロア子爵は、いつも情けを……」
「あんなに侮辱されてまで……ですか?」
「お父様?」
「義父上?」
愕然としたクレシー侯爵を目の当たりにして、ブリジット嬢とジャンは狼狽えた。
私がここまで言えば、周囲の貴族達の目も、また変わる。むしろ一体どんな契約を結んだのか、侮辱とは?と言った疑問の声が聞こえて来た。勿論、そこにはクレシー侯爵は契約書をまともに読まないという馬鹿にした声もあった。
「ブリジット嬢を診ていた医師は、ヴァロア子爵の領地に住む医師で、周囲の者になくてはならない者です。それを遠路はるばる、わざわざとクレシー侯爵の邸に出向いていたのですよ?己の持つ患者達を診る時間を削って」
厭味ったらしく言ってしまう。けれど、周囲はまだこちらの味方だ。
だってそうだろう。医師は1人でも多くの患者を助けようとしているのだ。既に居ついた土地に自分が診ている患者なんて多く居て当たり前なのだから。
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