第8話

「大変だったわね」

「あんな常識のない……初めて見たわ」

「何もかもブリジット嬢が決めたと言うのは本当なの?」


 結婚誓約書に署名をする事もなければ、そのまま帰宅した私は勿論の事、初夜を迎えていない。むしろ婚姻自体が上げていない事になるし、会場に居た人達は婚約も白紙撤回、というか破棄して当然だという事は理解しているのだろう。

 夜会に参加すれば、当たり前のように囲まれた。


「まぁ……」


 事実なのだから否定する必要はない、けれど、あからさまに肯定するのも私が悪女のように見えるかもしれない。

 困ったように微笑んで、小さな頷きだけで返す。そうすれば、話しかけてきた人だけでなく、周りに居て私の反応を見ていた人達も含め、まぁ!と声を上げた。

 あの醜態は随分と大きな噂となっているようだ。

 心の奥底で、盛大に喜びガッツポーズをする私だが、表面上だけは狼狽える仕草をして内心を隠す。


「侯爵家と言ってもね……」

「あれでは、落ちぶれたのも理解できますわ……」


 ボソボソと話す声。更にこれも噂となって貴族達に広がっていくだろう。

 その時、一際盛大なざわつきが耳に聞こえ、更には大きな足音がこちらに近づいてくるのが分かった。


「アンヌ!!」


 声の主は、元婚約者ジャン・クレシー侯爵令息だ。

 険しい顔つきをして、私の方へ足音大きく歩んできている。……周囲の視線など、全く目に入っていないのだろう。


「これは……クレシー侯爵令息」

「何でそんな他人行儀なんだ!」


 他人のように呼び、他人のように頭を下げて挨拶すれば、それが気に入らないとばかりにジャンは叫ぶ。


「……もう婚約者ではございませんので」


 頭を下げたまま、事実のみを答える。

 周囲に居る貴族達も、またコソコソと話始めるのが分かった。きっと、今のジャンを、またもクレシー侯爵家の醜態として噂するだろう。


「俺は納得していないぞ! 式まで挙げておいて、どういう事だ! しかも、何度邸に行っても取り次いですらくれないどころか、門前払いじゃないか!」


 周囲の貴族たちは揃って蔑みの目でジャンを見ている。しかし、それすらジャンの視界には入っていないようで、全く淀む事なく言葉を放った。


「私は式を挙げていませんので」

「何を言っているんだ!?」


 心底分からないと言った様子のジャン。頭を上げて、扇で口元を隠しながら、小さく溜息を吐いた。


「あれは私の式ではありませんので」

「俺とアンヌの式じゃないか!」

「隣に私は居ましたか?」

「隣には……っ!」


 義姉が居た。という言葉を飲み込み、ジャンは目を見開く。

 やっとここで、私に一切の笑顔がない事に気が付いたのだろう。ジャンは周囲を見渡し、私と同じように蔑んだ目をした貴族達に、やっと気が付いたようだ。


「それは悪かったと思ってる」


 ジャンの後ろから、クレシー侯爵が神妙な面持ちで現れ、話しかけてきた。その腕にはブリジット嬢がくっついている。

 勿論、そんな二人を歓迎している様子な貴族なんて一人も居ない。皆が皆、軽蔑の眼差しで様子を見ている。


「そんなに思いつめていたなんて……私のせいで……ごほごほっ」

「ブリジット!」

「義姉さん!」


 謝罪の言葉を口にする事なく咳き込んだブリジット嬢へ、クレシー侯爵は勿論、ジャンまでも心配そうに駆け寄る。

 けれど、確かに今日のブリジット嬢は具合が悪そうだ。顔は青いし、ふらついていて一人ではしっかりと立つ事も出来ない様子で、今もしっかりとクレシー侯爵の腕にしがみついている。


「けれど、こんなの酷いわ……。嫌なら言えば良かったじゃない……。いきなり門前払いだなんて、いくらなんでもジャンが可哀そうよ……」


 体調悪そうにしながらも、言葉を紡ぐブリジット嬢だが、辛いのか、途切れながらになっている。

 ならば、こんな場所へ来なければ良いのにとも思うが、私どころかお父様にすら会えないからこそ、話をするならば出て来るしかなかったのだろう。


「断りましたよね」

「……っ!」


 ハッキリと言い放つ私に、ブリジット嬢は厳しい目つきをする。

 子爵家如きが侯爵家に歯向かうつもりかと言わんばかりだ。まぁ、ここが夜会でなければ、ブリジット嬢は確実に言っていただろう。


「断りましたし、それを聞き入れる事もなく式を強行されただけです。不信感しかない相手を、どうして敷地内へ招き入れる必要がありましょうか。手紙のやり取りだけで充分です」


 頷く周囲の貴族達。信用していない者を邸に入れないなんて、そんな防衛は当たり前だ。

 ブリジット嬢の隣で、クレシー侯爵は言い返せないのだろう、歯を食いしばっている。


「不信感しかないなんて……今まで愛し合ってきた相手じゃない……」

「愛してなんていませんよ」

「え?」

「は?」


 躊躇いなく即座に返した私の言葉に、ブリジット嬢とジャンは呆けた表情で声を漏らした。むしろ、どうしてそんな表情をするのか、私の方が躊躇いを返してしまいたくなる。

 淑女として、一切表情に出す事なく……けれど、どうかした?と言わんばかりに、少しだけ首を傾げて口を開く。


「貴族の結婚は政略以外の何物でもありませんし、そこに個人の感情なんてありませんわ。ただ、家同士を繋げる為で、クレシー侯爵の方から、どうしてもと言われ結んだ婚約でしかありませんもの」


 私の言葉に、ブリジット嬢は驚愕の表情でクレシー侯爵の方を見て、ジャンも驚いた表情で口をあけたまま私の方を見つめていた。

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