第10話

「ならば、変わらず寄越しなさいよ!」

「寄越せとは何事ですか。私は医師の意見を尊重致しますよ。行きたくないと言うのに、腕を見込んで派遣していたのです。でも、それも侮辱されるまでの間です」

「子爵家の分際で!」

「分際と言うならば、子爵家に頼らないで下さい。まぁ、もう新たな契約通りに事を進めさせて頂いておりますが」


 体調が悪いのも忘れたのか。それとも怒りが勝ったのか。顔を真っ赤にしながらブリジット嬢が叫ぶ。

 ただ今までと違うのは、私が全て言い返している所だろうか。……しかも、毒を含めて。

 マリーが居れば、もっと穏やかに話せていたのだろうか。むしろマリーならば、どんな反応を見せてくれていたのだろうと思えば、ここに居ない事が少し残念な気もする。


「新たな……契約……とは」

「こちらですよ」


 対象的に、クレシー侯爵は顔を真っ青にして呟くように言葉を放った瞬間、タイミング良くお父様が登場して、契約書を掲げた。


「我がヴァロア子爵家からクレシー侯爵家へと、特に利息や期限もなく資金援助していた恩として、何度も願い出られた婚約でしたが……こうも侮辱され見下されていれば、こちらとしても腹立たしいと言うもの」

「資金援助!?子爵家が侯爵家に!?」


 驚き声を上げたのはブリジット嬢だ。ジャンは呆気に取られている。

 けれど、侯爵家の資金繰りが厳しい事は社交界でも有名だった為、周囲の貴族は静観している。それを見て、ブリジット嬢も驚き目を見開いた。


「式の準備は全てブリジット嬢が口出し、新居の部屋もブリジット嬢が選ぶ。それに対して同調する令息。何より、こちらが抗議の声を上げても無視し続けたクレシー侯爵に、こちらも情けをかける事をしなかっただけだ」


 慌ててクレシー侯爵が契約書をひったくって、その内容を確認し始める。その横で、ブリジット嬢やジャンも契約書に目を落とした。


「……なっ」

「お父様……」

「これは……」


 愕然とするクレシー侯爵だが、侯爵家の事を何も知らない二人は、クレシー侯爵に困惑の目を向けるだけだ。


「これ以上ブリジット嬢を止める事なく暴走させ、アンヌの意思を無視するのであれば以下の通りに契約を遂行する……だと!?こんな横暴な事、ヴァロア子爵らしくない!今までしなかったじゃないか!」


 慌てて怒鳴るクレシー侯爵に、お父様は冷たい目線を向けた。


「バージンロードを歩かせろなんて非常識的な事を言うブリジット嬢を止めなかったのはそちらですよね?招待された方々が、どう思うか考えもしなかったのですか?……我が家も醜聞に巻き込もうとされたのですか?そうなった場合でも、資金援助は難しくなっていたでしょうね」


 ここまで言われないと分からなかったのか。ハッとした顔で周囲に忙しく視線を彷徨わせるクレシー侯爵は、蔑ろにされた貴族達の視線で肩を落とした。

 我が家まで醜聞に巻き込まれてしまえば、それだけ信用がなくなり、事業が立ち行かなくなるのは目に見えて分かる事だと言うのに……。どうして今のクレシー侯爵が、侯爵家を傾かせたのか理解できる。


「ヴァロア子爵からの融資、および協力はなくなるものとする……なら医師は……」

「自分でお探し下さい」


 ブリジット嬢の言葉に対し、冷たく言い放つお父様。


「そんなっ!今まで探した医師では、立つ事も難しいのに!診てもらえなくなってからは、この通りで……」

「ならば何故、蔑ろにしたのですか」


 お父様の問いに、クレシー侯爵は言葉を詰まらせる事しか出来ない。あの医師は確かに優秀だ。むしろ優秀過ぎるからこそ、沢山の患者がうちの領地へとやってくる程に。


「……資金援助に関して、過去にさかのぼった未返済分、全ての金額から3割の利息をつけ請求する……支払いの期限は半年とする……?義父上?いくら支援してもらっているのですか?」

「……無理だ」

「義父上?」

「いくら何でも無理だ!」


 叫び出すクレシー侯爵。もはや周囲の皆はクスクスと笑い声を隠す事もなく、余興のように楽しんでいる。まぁ、人の不幸を見ていて楽しむ人もそれなりに居るのは確かだ。

 特に結婚式へと招待していた貴族達は、スッキリした表情で事の成り行きを見ている。

 あの非常識さは、見ているだけでも不愉快極まりなかったのだろう。


「十年以上前から融資をしていて……合計十億はくだらないでしょうな。そこに利息ですからね」

「お父様!?」

「義父上!?」


 お父様の言葉に、血の気が引いた顔をした二人は、クレシー侯爵へ勢いよく顔を向けた。


「我がヴァロア子爵家の融資で生活してきたようなものですのに……式や部屋が自分の思う通りにされないなんて……ねぇ?挙句、乗っ取られたようなものですし」

「そ……それは」

「アンヌ!すまなかった」


 狼狽えるブリジット嬢。勢いよく頭を下げるジャン。

 けれど、全て今更だ。

 周囲の貴族達だって知っている。金を湯水のように使うも領地の経営が上手くいかず、クレシー侯爵家は落ちぶれていったと。それとは反対にヴァロア子爵家は、領地では例の医師が有名になった事も加えて、特産品や観光地等に力を入れていた為、どんどんと豊かになっている事も。


「子爵なのに……」


 そこに家格など関係ない。あるのは、ただの事実だけ。

 娘かわいさに全てを許していたクレシー侯爵は、爵位や領地を担保にしても、せいぜい払えるのは利息分だけだ。元から返済する余裕なんてない。


「お元気で」


 嫌味たっぷりの言葉を放った私は、膝から崩れ落ちた三人を尻目に、お父様とその場を立ち去った。

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