第4話
「ねぇ! お願い!」
式まで一週間を切り、私は珍しくクレシー侯爵家で、ジャンとゆっくり茶会をしている時だった。ブリジット嬢がサロンに飛び込んできては頭を下げ、大声を張り上げたのは。
「そんな大声なんか出して……ブリジット嬢は病弱なのでしょ?」
「そうよ! だからお願いがあるの!」
お前は本当に病弱なのか、という意味を言外に乗せたが、気が付いていないのだろう。更にお願いの後押しをされた私は、痛む頭を抑えたくなった。
「どうしたの? 義姉さん。お願いって?」
親切に聞くジャン……否、ブリジット嬢の言いなりだからこそ、その願いを叶える為に聞くのだろう。聞く前から叶える為に動く事は目に見えている。
一体何を言いだすのか……耳にすら入れたくないが、私はもう逃げられないと腹をくくった。
「お願い! 私にバージンロードを歩かせて!」
「……は?」
思わず素っ頓狂な声を上げてしまう程、私はブリジット嬢の放った言葉が理解できなかった。否、理解したくないというか、現実的にありえなさすぎる事すぎて、耳に入れたくなかったとも言える。
「だーかーらー。私にバージンロードを歩かせて欲しいって言ってるの! 耳大丈夫?」
お前は頭が大丈夫か。
そう思ったが、呆気に取られ過ぎていた私は、それを言葉として放つ事が出来なかった。
あまりの内容すぎて、マリーも口と目を見開いて、何の挙動も起こせていない。
「私、体が弱すぎて結婚なんて到底無理だもの……だからお願い! バージンロードを歩いてみたいの! 結婚式って一生に1回のものも出来ないのよ!」
頭が弱すぎるの間違いでは?
私にとっても結婚式なんて一生に1回で、父親と歩けるバージンロードは最初で最後なのだけれど?
あまりの内容に、理解するのを拒んだ脳内が混乱を極める。一体、この人は何を言っているのだろう?と。とても正気の沙汰とは思えない。
「良いね! 義姉さんのバージンロードを歩く姿、俺も見てみたいよ!」
馬鹿追加。
ここは動物たちの森ですか?人間はいませんか?私は人間ですよね?だって言葉の意味が理解できないんですもの。というか、この人達は本当に人間の言葉を話しているのですか?
未だに呆然とし続け、脳内でだけ突っ込みを入れている私だが、マリーは違ったようだ。
怒りが限界に達したのか、その身体を震わせ、目は血走っている。漂っている殺気で部屋の室温がどんどん下がっているのか、少し寒さまで感じる。
このままでは、マリーが何かをしでかし、不敬罪だと言われかねない。そう感じた私は、やっと口を開く事が出来た。
「お断り致します」
「え?」
「なんで?」
理解出来ないと言った様子の二人が、声を放った。
むしろ、どうしてそこで疑問を持つのかが私には理解出来ない。
「私にとっても結婚式は一生に一度の事で、それを譲れば私はバージンロードを歩く事が出来なくなってしまうんですよ?」
「良いじゃない! 貴女はまだ、結婚が出来るんだから……私なんて……」
「義姉さん!」
ホロホロと大粒の涙を流し始めるブリジット嬢に、ジャンは目に見えて分かる程に狼狽え始め、クレシー侯爵の侍女達は焦り始めた。一人は何故か大慌てで部屋から駆け出ていったけれど。
「アンヌ! 義姉さんを泣かせるなんて……っ!」
「私は間違った事なんて言っていないわ」
「義姉さんを泣かせる事が既に間違ってる!!」
何という理屈なのだろう。意味が分からない。
泣かせてはいけなくて、ブリジット嬢の望みを全て叶える世界だとでも言うのだろうか。そんなもの、貴方達だけの小さな世界でしか通用しないというのに。
ジャンを夫……否、次期クレシー侯爵として、私が育てなければならないのだろうかと頭を痛めながら、次の言葉を発そうとした時、廊下から慌ただしい足音が聞こえた。
「ブリジット!」
「お父様!」
ノックもなしに扉を開け放ったのは、現クレシー侯爵だ。
慌てるように入って来た侯爵は、駆け寄ってきたブリジット嬢を抱きしめ、頭を撫でた。
「どうしたんだ、こんなに泣いて」
「私……どうせ結婚なんて出来ないから、ジャンの結婚式で私にバージンロードを歩かせて欲しいってアンヌ嬢にお願いしたの……だけど断られて……」
断って当たり前の事だろうと、私はバレないように溜息を吐いた。クレシー侯爵が出て来てくれたなら、何とかブリジット嬢を説得してくれるだろう。
「なんだ……そんな事か」
安堵するかのように息を吐き、クレシー侯爵はブリジット嬢の背中をゆっくりさすった。そのまま、言い聞かせてくれるものかと思っていたのだが……。
「アンヌ子爵令嬢。それくらい良いじゃないか。ブリジットにバージンロードを歩かせてくれ」
聞こえてきたのは、ありえない言葉。
思わず私は目を見開いてしまった。
「……本気、ですか?」
言外に色んな意味を含めたかのように、強く、短く、問いかける。
ジッと、クレシー侯爵から目を離さないよう。だけれど、クレシー侯爵は直ぐにバツが悪そうに私から目を反らした。
自分達の主張が間違ったものだという認識はあるのだろう。
「……アンヌ子爵令嬢……ブリジットは、今こうして起き上がる事が出来ているだけで奇跡のようなんだ……」
「お父様!」
感極まったかのように抱き着くブリジット嬢を、クレシー侯爵は尚も強く抱きしめた。
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