第3話

 式場も決まり、ドレスも制作され始め、出される料理も決まった。式まで残り一ヵ月といったところだ。着実に準備が進んでいる。

 全く持って、夢や希望もなければ、期待などと言ったものもない。むしろ、侯爵家を私達の代で終わらせてしまうのではないかという不安の方が勝る。

 そんな私の思いとは裏腹に、ジャンはまたもや義姉の言いなりになるのだ。


「……どういう事?」

「え? 話聞いてた? アンヌの部屋だよ!」


 にこやかに答えるジャンに、私は右手を振り上げかけた時、扉の近くで花瓶を両手で持ち上げているマリーを見つけた。……勿論、その花瓶はジャンに向けて放つつもりなのだろう。周囲の侍女たちに止められてはいたけれど。

 おかげで、私は右手を上げる事もなく……勿論、ジャンに向けて叩きつける事もなく、少しは冷静さを取り戻せた。


「……見事なまでにピンクなのだけれど?」

「あぁ! 義姉さんが、女の子ならばこういった可愛らしい部屋の方が良いって言ってくれて、見繕ってくれたんだ!」


 またも、義姉。

 またも、ブリジット嬢。

 部屋はカーテンからベッドカバー、ソファに至るまでピンクで埋め尽くされているだけでなく、置かれている小物の類までピンクだ。

 眩暈がしそうになるのを、頭を抑えながら耐える。


「……私はシンプルなモノトーンの部屋が落ち着くのだけれど? そう手紙にも書いていたわよね?」

「ん? だからピンクにしただろう? 派手な色は使っていないよ」

「……」


 思わず、絶句した。

 モノトーンが良いと言っているのに、派手な色を使っていないとは、如何に?

 白はあるものの、黒はないんですけれど?というか、ほぼピンクですけれど?

 そもそも、これ、誰の好みよ。ブリジット嬢でしょ。私じゃないでしょ。

 声にまでは出せないが、頭の中では言葉が駆けまわる。

 今にも殴って罵声を浴びせたいところなのに、どうやら衝撃が強すぎて、頭の中で混乱を起こしているようだ。

 むしろ、言葉だけでここまでダメージを与えられる程の頓珍漢な回答は、悪い意味で賞賛に値するのではないだろうか。


「アンヌ?」


 放心状態のように見える私に、ジャンは顔を覗き込むようにして名前を呼ぶ。

 

「この無神経男」

「えっ?」


 絞り出すようなドスの聞いた声が、自分の奥底からボソリと放たれた。

 ジャンはポカンとした顔で停止した。内容を聞き取れなかったのか、それとも脳の処理が追い付かず、言われた意味を理解出来ないのか。

 私はそれ以上、何か言葉を発するでもなく踵を返すと、マリーが親指を立てて、にこやかな表情をした後に動き出した。私がこのまま邸へ戻ると判断したのだろう。まさしくその通りだ。

 こんな落ち着かない部屋に、これ以上居たくはない。しかしそれ以上に、ジャンに対し不安や不信感以上のものも芽生えた。






「えーっと……アンヌ?」


 夕食の席で、お父様が私の機嫌を伺うように声をかけてきたので、私はナイフとフォークを置いて、満面の笑みを見せた。その表情だけで安心は出来なかったのだろう、躊躇うようにした後、意を決したようにお父様は顔を上げて口を開いた。


「マリーから話は聞いていたのだが……何というか……」

「どうして我が家をここまで見下すのでしょうか。理解が出来ません」

「……だな……婚約を解消ないし白紙に戻したとて、アンヌの経歴に傷がつくだろうと思って抗議の文は送っているのだが……」


 お父様も頭を抱え出した。

 というか、マリーはキチンと報告をしてくれていたのか。素知らぬ顔で控えているけれど、私以上の怒りを持ってしてお父様に進言したのだろう。


「そもそも、クレシー侯爵からどうしてもと言う婚約だったのだが……」

「受けなければ良かったのに」

「しかし、恩を返したいと言って、何度も言われれば、家柄的に断り続けるのも周囲の目があるというものだ……」

「それでも受けなければ良かった……まぁ、結果論でしかありませんが」


 そう。その時はこうなるなんて思ってもみなかった。

 何の見返りもなく、ただクレシー侯爵を助けただけだ。それに対し、恩義を感じたクレシー侯爵が、どうしても私を侯爵家に迎えたいと言い出した。


「……度重なる抗議も無碍にするとは……」


 恩義なんて口先だけだったのだろうと思える。

 むしろ私を迎え入れるのも、今になっては何かしら利用しようとしているのかとさえ邪推してしまう。

 私は、ただ貴族の契約結婚で、クレシー侯爵の方から繋がりを持ちたいと言われれば、ただの子爵家が何度も断る事は出来ない。それが恩義からだとしても。周囲の貴族は、侯爵家を無碍に扱う、常識の知らない子爵家に思うだろう。


「いっそ、契約書を変えてみてはどうでしょうか」


 私の放った言葉に、お父様は勢いよく顔を上げた。


「そうか……そうだな。今までは何の制約もない、ただの契約書だったが……そうか、そうだな! 抗議を聞き入れないのであれば……」


 ブツブツと呟き始めるお父様。きっと、その内容は私……否、子爵家にとって害はないが、優位に運ぶような内容にしてくれる事だろう。ただ、それを侯爵が認めるかどうかだけだ。


「まぁ、抗議文を無視している事をつつけば、サインくらいするだろう。……アンヌは気にするな」

「と言っても、結婚は取りやめませんよね? 先行きは不安以上の不安しかありませんよ」


 結局、決めてしまった婚約・婚姻は覆す事が出来ない。

 その事実だけに打ちのめされたように、お父様は項垂れたが、その目は絶対に見返してやると言わんばかりに怒りが溢れていた。

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