第13話 ボイスラビリンス


 


 ☆ ☆ ☆


【やれやれ】 


「晴香ばあちゃん。今日も来たぞ」


 夏樹は墓前で立ち止まり、三か月前に亡くなった祖母に手を合わせる。


「今日はほら、一杯だけ酒を持ってきた。病気と闘っていた時は全然飲めなかったもんな。存分に楽しんでくれ」


 幾度もここに来ているが、ようやく花と飲み物をしっかり渡せるようになってきた。死んでなお話せたなら、散々急かされただろうが流石にありえない。いなくなってしまったことは嫌でも実感している。


「おっと、今度は俺の分を買ってくるのを忘れてしまった。乾杯は次に持ち越しだな」

 

苦笑いした呟きが、晴れた空へと舞っていく。


「――まったくこれで何度目だい!」


 今や幽霊となり、傍で夏樹を見守る祖母――晴香は深々とため息をつく。


「何度も何度も墓まで来て。アタシは死んで成仏するまでは仏壇で暮らすことにするって言っただろう! アンタが墓に来る度に私も墓まで移動しなくちゃならないなんて面倒ったらありゃしないよ! 出かけるなら東京のおしゃれなバーとやらに連れとっとくれ! アタシの好みは梅酒だよ! 全盛期は五杯まで呑み込めたもんさ」


 それでも晴香は目の前のレモン酒を取ろうとするが、ふんっ、という勢いある晴香の手は見事に瓶をすり抜けた。


「なんてこったい! 神様がこの世に与えてくれた至宝の恵みを飲むことすら許されないとは! いい度胸をしているじゃあないかい夏樹! ばあちゃんに対する拷問かい!? 教育が足りなかったようだね!」


 その後も取り留めのない話を喚かせていた春香だが(本人からすれば大事のようではあるが)……しばらくたって、ゆっくりとため息をつく。

 切なげに微笑み、今までとは違う柔らかな口調で話し出す。


「寿命ってもんがある。それは自然であり当然なことなんだよ。生前から懸命に生きた証が今につながっている。だから悲しむんじゃない。――と、そういう類のことを結局言い損ねてしまったが……急にひょんと立ち直りおって。泣き崩れていた時はどうなるもんかと思ったが、今となってはほっといても大丈夫そうだね」


 正面に、目の前にまだ夏樹いる。

 愛しい孫が背中を見せて立ち去る前に、肩にそっと触れるつもりで言葉をかけた。


「やるべきことを終えたら、アンタもこっちへやってきな。棺桶に幽霊でも飲める酒を必ず用意しておくんだよ。生前は叶わなかったが、今度こそ一緒に酒を飲もうじゃないか。そして、たくさんのまた話せばいい」


 朗らかな日差しに包まれている。

 どこまでも、道を照らすように。


 が、数分後、墓前に置かれていた酒は見事に夏樹の腹にいく。

 晴香が再度喚きだすのは言うまでもない。



 ☆ ☆ ☆



 印刷してきた一枚の物語に、愛結の手が添えられている。


「こういうお話も書けるんですね」

「ファンタジーのように世界観を考える必要が無いから、むしろ日常ものの方が個人的にはかきやすい。これは短編だが、長く書くなら色々な起伏を出して飽きさせないようにたくさんの工夫をしていく」


「面白かったです」と言ってくれたから「ありがとう」と笑む。


 相変わらず、愛結は両手で紙をもっていた。

 戻ってきた紙が穏やかな風でたなびく。あらためて悟も、文章を眺めてみる。昔はずいぶんと自身なく謙遜したものだっが、かつて違い不快感は湧きおこらない。

 成長があるなら喜ぶべきこと。


 直後、ひたっていたために不意を突かれる。


「感情を制御する方法ってあるんでしょうか?」


 少なくとも表面上、見てもらった直前の小説とは関係のない問い。

 だが、愛結がずっと探し続けていることを悟は知っている。

 いつでも真剣に応えると決めている。


「完全にコントロールする方法はない。どうやったって傷つくし、どうやったって怒る。乱されまいと意識するほど意識してしまう、という事例すらある」


 これはもちろん、初手だ。


 今の答え方だけで愛結を大きく揺さぶることはない。

 いま生きているこの一秒の間にも、世界中の人が会話交わしていて、その量は間違いなく無限に該当する。そんな蔓延っている言葉の一つをひょいと渡しても、力が出ないのは当然と言うもの。


 ……だから、せめて、ここから言葉を重ねる。


「だがそれでも、勝ちたいものは勝ちたい、だ。だって、感情を制御することができたならきっと幸せが待っているから」

「……はい」

「だったら、あらゆる方法を模索したい。速攻で立ち直る方法、傷を受け入れる方法。そうやって探す途中で本当に見つかるかもしれないし、すべてやりきったと、開き直って別の道に進めるかもしれない。……少し辺りを歩きたいんだが、付き合ってくれるか?」

「あ、はい……!」


 公園付近を一周すると伝えた。


 幸運にも愛結は私服で、学校用バッグのような大きな持ち物がなかった。一度もしたことがない新鮮さや、いつでもできそうでしないことを初めてやる不思議さ、それらが心を持ち上げてくれる。

 きっと、大切な時間になる。


 高めに輝く太陽は、近々夏に入ろうとしていた。梅雨があけて長期の夏休みに入ればどうなっていくだろうか。せっかくなら、語り合いながら今日の道順を覚えておこうと思う。

 二人で歩くなど、そうあるとは思えない。


「さて、心の制御の仕方だが……ネットで方法を調べると、たいてい食生活の改善などがあげられる。健康的に過ごすことで、脳からいい信号がでるらしい。それを突き詰めていくと、よく眠る方法や、栄養のある食事の仕方が記載されている」

「そう、ですよね」


 愛結の声が低飛行を続けている。両手の人差し指を合わせて、くるくると回すような。


「あまりピンとは来ていないようだ」

「ごめんなさい。恥ずかしながら、すぐに効果がでないのがどうしても……身体の健康状態が数値にでていたら、とか思ってしまいます。続けるって難しくて……」


 首を横に振る悟。

 効果の保証がないものを継続するのは、偉業の領域。

 むしろ、できないと認められることは愛結の長所である。

 そしてこの時間は、そういうことを認めて受け入れた上で試行錯誤できるチャンス。


「前にも少し話した気がするが」


 切り出し続ける。


「アルバイトをしていた時がある。ラーメン屋でひたすら皿洗いだったが、中学生で働けたのはありがたかった。面白いのは学校の授業と同じで『まだこれしかたってない』が大きい試練だったと言うことだ」

「大変でしたか?」

「大抵のアルバイトは上り坂だ。しばらくアルバイトを経験すれば『終わるまで、耐える』をやめてしまうと、楽になれると気づく。どの食器から手を付けるか、どれだけ瞬時に棚へ戻すか。受け身に入らず常に挑戦的な姿勢を崩さない。『ノルマ達成したらあがっていいか』と交渉したこともある。後に店長から承諾してもらった時は驚いた」


 歩調が普段よりもゆっくりだと気づく。悟が合わせている気もしたし、愛結が合わせてくれている感じもした。


「だが、日によってどうしても精神的にキツイ時はあった。人類はまだ、仕事に快感を覚える薬を探している途中だ。見つかったら世界が変わるだろう」


 ベンチへ戻るため、大通りにたどり着く前に曲がった。かばえるように車側に立ったからだろう。愛結のお礼に手で応じる。


「この程度ならば、林道さんなら考えていると思うが」

「……試してみたことはあります」

「なら、ここからさらに模索してみたい」


 飛行機がとんでいる、と気づく。雲の軌跡を描いていた。


「たとえば深呼吸について。ため息にはストレスを吐き出す効果があるらしい。全力で一気に呼吸すると苦しくなるから、ゆっくりと空気を最後まで通す。だが俺は、胸がもやもやした時には『思い切り』を一回だけやっていた、胸部が刺激されて楽になるように感じたからだ。加えてそれとは別に――これは同じく俺個人の場合だが――鼻でも口でも、目を閉じて味わうように身体に息を巡らせると、全身に何かがみなぎる感じがする」

「みなぎる、ですか?」

「説明が難しいが、ぞわっ、とした鳥肌のたつような感覚が身体を巡るんだ。個人的にはこの感覚が一番心を癒した。他にも腹式呼吸を使い分けた。横になっている時はこちらの方がより眠りやすいらしい」


 四つだ、と悟は親指だけ曲げて示した。


「呼吸だけでこれだけの候補が見つかる。お金がかからないからとてもやりやすいし、なりより一瞬で効果があるかどうかを確かめられる。ノーリスクで試せるというのは本当にありがたいことだった。面倒、億劫、躊躇いを全部まとめて放り投げてしまえる」


 両指を組んで、んんっ、と前方へと伸ばす。

 伸びにもリラックス効果があるらしい。


 空が、もっと青く見える方法はないか。風がもっと気持ちよく感じれる方法はないか。

 直接的に、単純に、幸せになる方法はないか。

 思った以上に、真剣に話していた。

 ここまで誰かに話せることはそうない。


 公園のベンチへ戻ってくる。

 相棒のクーラーバッグには公園に待ってもらっていた。あらゆるところで使えるリング式の鍵とクーラーバッグは、悟たちが戻るまで仲良く過ごしてくれたことだろう。


 そして今、その相棒からある市販薬を受けとる。

 すでに座っていた愛結に、ビニール製の小袋に入った粉を差し出した。


「飲んでくれ。心の痛みに効く薬だ」


 見た瞬間、愛結の頬がかなり曲がった。

 ビジュアルからある物を思い描いただろうことは簡単に予想がつく。というか、むしろ悟は狙っている。


「や、薬物……!」

「ブドウ糖だ」


 冗談を気兼ねなく言えるのは嬉しい。


「結局、感情を司るのは脳だ。頭を動かすのに必要なブドウ糖を取る。加えて『病は気から』を成すためにデザインにこだわっている。薬物の効果の高さなど万国共通の強いイメージだ。ただのブドウ糖でもそれを匂わせていれは嫌でも効果がありそうだろう? ……さ、このお茶と一緒に『薬』を飲んでくれ。緑茶に含まれるカテキンには精神面においてもたくさんの効果がある」


 押しきって愛結に二つを摂取させた。

 ふんぞり返ったポーズをさせ、ふろ上がりの牛乳よろしく、ごくごく飲ませようかとも思ったが、一応留まっておいた。


「ちなみに現代では、薬をお茶で飲むことによる効果がはっきりと保障されていないらしい。水を飲んだ時の検証しかされていないようだ。つまり、薬を飲む際は念のため水を使うべきだということ」

「……え!?」

「が、もしかしたらこちらの方が効果がでるかもしれない。大切なのは人に効くかどうかじゃない。俺たち本人に効くかどうかだ。考えるな、感じろ。勝てばいいんだ勝てば」


 まだこれで終わりではない。

 相棒から更なる道具をとりだした。


 円錐型のプラスチック。その先端に分厚いゴムが取り付けられている。見た目的にはメガホンと大差ない。

 それなりに幅を取る荷物だが、相棒は快く受け入れて入れた。相棒の数多ある内ポケットの有能さを、悟は日頃から評価してやまない。


「ここにあるは『ボイスラビリンス』というアイテムだ。自分の出した大声を極力抑える効果がある」

「……大声を出してストレス発散ができる、ということですか?」

「個人的には、になってしまうが、大声を出すよりも効果的な方法がある。それが『歌』だ」


『ボイスラビリンス』で口を覆う。これでどれほど怒鳴っても、轟音は拡散しない。

 

 大きく息を吸う。

 そして、


「――――――――――‼‼‼ ――――――――――――‼‼‼」


 日本でも有名な英語の歌だ。

 平和と愛。人々が生きていることを切に訴える歌。


 歌詞は短めで、刹那の間に強く想いを込めて歌う。

 同時に、これほど大きく叫べる歌はそうはない。


 悟にとっては最強の歌。


 ボイスラビリンスはこちらの声を封じ、逆にこちらのリミッターを解放させ、力をいかんなく発揮させてくれる。

 ……ふぅ。と最後に息が名残惜しく漏れる。

 どこまでも大きく、悟は最後まで歌い続けた。


「うるさくはなかったはずだ。家の中でさらに個室にでも入ってしまえば、不安に思うことなくストレスを吐き出せる。歌が苦手な場合はあらん限りの罵倒でいい。『うっせバーカバーカ』って、笑いとばすくらいの勢いで」

「……気持ちよく感じられるもの、なんですね」

「今まで話したのは吐き出す方法だが、過去の好きな思い出を振り返れば自然と温かくなれたりもする。アニメや漫画のシーンを振り返っても効果はあるだろう。開き直ったり、上書きしたり。様々な面から考えれば案も広がっていく」


 次のような言葉がある。

『目的を果たすため、今できることをすべてやる』


 フィクションでよく見かけるカッコいい台詞であり、悟と愛結も同じように色々と取り組んではきた。だが、実際にあらゆることすべてを成すのは難しすぎる。

 良い結果が多大な努力から生まれるとするなら、できることをすべてやるというのはそれこそ途方もない労力だろう。簡単にはできない。


 だが、理論的な『可能なこと』を何もかもすべてやる必要なんてない。

 文字通り『できること』をやるのだ。


「心は難しい。感情は難しい。だけど叶えたいと思っているなら、きっと方法は見つかる。いや、見つけてみせる」


 小さな歩みでも前に進めている。そう信じたい。

 何もしないのを嫌うのが、人という存在だろう。


「もしまだこれからも会える時間が続くなら、楽になる方法を語り合おう。方法を見つけるのに一人で考えることなんてない」

「……はい」


 姿勢を正した愛結が目に映る。

 悟は例をいくつか伝えた。とはいえ、愛結が試すかは愛結次第。

 何かしら得たものがあったなら、余計にこれらに縛られる意味はない。

 やってみたいと思ったことを、『できること』にしてみればいい。


「考えてみます。宿題、ですね」


 少しだけ年上の悟は、少し多く経験しているにすぎない。

 けれども、かつての自分と面影が重なるのも確か。


 だから、いつも通り、

 彼女の道が開けることを、悟は願っている。


 切望ではなくとも、心から。




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