第12話 理想の雨


 


 毎年のことながら、神様のきまぐれが六月は多い。

 たくさん叩きつけてきたかと思えば急に穏やかになる。時には風エネルギーまで組み合わせて、横から襲ってきたりする。どうにも、ただで水の恵みを与える気にはなれないらしい。


 梅雨が来た。

 どちらかといえば家でゆっくりしたくなるというもの。この時期に二人が出くわしたのは一回であった。


 悟は久しぶりの完全装備で公園に向かう。

 いつも通り、黄色のカッパは水の重さをものともしない、フードが悟の代わりにドヤ顔でもしそうである。長靴も相変わらず無敵なため、悟はただ陽気に身を投げればよかった。下手をすると奇怪な不審者にとらわれかねないが、向かう先は人気無き公園だ。背負う青色のクーラーバッグも相棒として健在である。


(……)


 無我の境地。

 雨に当たりたいと思えるのは、心地よい、が入ってくるからだ。濡れるではなく当たる。

 水を跳ねさせ、決して通さない雨具。服に染み込む不安さえ対処していればあるのは快楽だけだ。天然のマイナスイオンが満ちている。

 そんな魅力があるから、たまに行きたくなる。辛いことが会った反動ではなく、感性的にふっと歩きたくなる。そういう時は自然に公園に向かっている。


 ベンチに愛結がいた。


 以前と違い、とても大きな傘をさしている。傘を自身の体に寄りかからせて、愛結は雨をそれに任せている。今後も強い風が吹かなければ、傘と協力しあって過ごせるだろう。服装は小麦色のブラウスに茶色のスカートと静かに落ち着いている。


 最初の時のように、悟は思った。

 一人でいたいかもしれないと。


 今日は戻ろうか。別の場所でやりようはあるのだから――と考えたが、それをやってしまうと雨の日はかならず戻ることになる。やはり、見定めるために会うことにした。


「寒くはないのか?」


 声をかけつつベンチを挟んで座る。いつも通り真ん中のベンチが距離をつくり守ってくれるから、不審者っぽい彼は愛結と話せる。


「最近は結構ここに来ますけど、夏が近づいていることもあって風邪を引いたことはないです」

「以前宿題にしていた小説が完成したんだが、印刷した紙をもってき忘れてしまった。次の機会によければ見て欲しい」

「はい」


 一人の時間を一回きりでなく堪能すること。

 愛結はしっかりと童心を持って、悟がくるまでの間に安らぎを得ていたのだと思う。自分の奥底にも幼さはまだあるだろうかと、悟はなんとなく雨具に触れた。


「悩み事か?」

「いえ……ちょっと考え事です」

「雨の中でなら、何かいつもと違うものが見えたりするか」

「まだ見つかってないです。いつもいつも頭をぐるぐるさせてばかりで、どうしても見つからないです」


 しっかりとした黒い瞳。

 あがいている。見つけられない不安に負けず、芯の強さが出ている。


 小学校に上がる前、雨の中で日が暮れるまで壁キャッチボールをしたことを悟は思い出す(この時は手のひらサイズのゴムボールだった)。

 あの時も、子供なりに思うところはあった。

 今の愛結は、どんな気持ちを抱いているのか。


 空を仰ぐとあることに気づく。

 悟はレインコートのフードをとった。動きが愛結にも伝わったらしい。こちらを向く気配がした。


「当たることにしたんですか?」

「この状態の雨は気に入っている」


 極めて小雨になっていた。


 妖精が跳ねている、という表現は過ぎた表現かもしれないが、ポツン、とも違う、チョン、と肌をつつく雨。服にあたっても色が雨粒で濃くことはなく、ミクロ単位で濡れていたとしても気が付かない。じっと手のひらを見ることで、小さな小さな水がついているとようやく分かる。そんな雨。


 のしかかられても髪は潰れない。空を見上げることで、頬がたくさんつつかれるのに冷たくない。数が少ないこともあって目にいたずらをする子もいない。歩いている時にこの雨に出会うと、潤った匂いに足を止めることも多かった。


 紛れもない現実で、『濡れない雨』がある。


 嫌なことがない雨。土砂降りはもちろん、普通の雨にもそれはできない。勧めてみると、愛結も傘を閉じた。天気予報ですら分からない極小雨。味合わずしていつ味わう。


「雨は……悲しいことを洗い流してくれると思いますか?」


 人による。

 そう言ってしまえばそれまでだが、せっかく投げてくれた言葉にその返しは短い。

 会話を引き延ばすというよりは、込める。


「雨が降って嬉しくなる人もいれば、環境によって雨が降ることを恐れる人もいる。洗い流しつつ、恐れさせているなら、受け取る者次第なのかもしれない」

「……そうですよね」

「せっかくだ。俺たちが雨をより楽しむ方法でも考えてみよう。やり遂げてこそ『雨』という規模が大きいものについて考えることができる」


 わずかな水溜りを長靴で蹴る。

 無敵は常時健在だ。


「自分が楽しくなるためなら頑張れる。そして楽しくなれたなら、誰かに分けることもできるだろう」

「……はい」


 本降りになるまで語り合いは続いた。

 珍しく、お互いに帰るタイミングを逃していた。



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