第11話 勇者にはならない




 読書会が行われていた。


 いつものように偶然出会った悟と愛結が、どちらも時間つぶしに読書を選んだということ。

 左側で愛結が文庫本を手に取っているのに対し、悟は右側で携帯を使った電子書籍を使っている。


 ともすれば、使われていない真ん中のベンチは、まさに、文明の境界線……!


「電子書籍って便利ですか?」


 愛結の声色はほんの少しだけ高めだ。

 携帯に広がる世界に興味をもってくれたよう。


「収納しやすいという点で電子書籍に勝るものはない。これがあるから俺はたくさん本を読めている」


 何を好むかは人それぞれ。

 資料として本を利用したかったり、名シーンだけを読みたかったりなど、離れたページに瞬時に飛びたい時は文庫本の方が便利である。

 めくる本の香りを楽しむなど、純粋に本を愛する者もいると聞く。


 やがて、区切りがつき、悟は空をあおぐ。

 左では愛結も顔を上げていた。


 悟の携帯にせよ、愛結の本にせよ、公園のベンチで読書をする上での問題点が一つある。


「一緒に勉強をしている時も思ったが、いつか首を守るために、組み立て式の机をもってきたい。クーラーバッグに入らないという問題を解決できたら前に進めるんだが。林道さんは首や肩がこったりはするか?」

「長時間やりすぎるとたまにそうなります。やっぱり姿勢には日ごろから気を付けるべきでしょうか」


 頭を前へ傾けた読書は、勉強や仕事を含め、いつかの未来で『ストレートネック』を作ってしまうらしい。負担のかかりやすいまっすぐ過ぎる首の骨。最悪の事態が起これば脊髄にも影響が出てくるとか。

 悟は大まかにそう説明した。

 愛結は身体が柔らかいかもしれないが、そこに永久の保証はない。


「だが、外でお日様に当たりながら読書をするのは楽しい。解決案を考えてみるのはどうだろうか」


 首の話題が、今日の二人を向き合わせた。


「ちなみに、どんな本を読んでいるんだ?」

「ファンタジーものの小説を読んでいます。現実と違う世界を味わえるのが楽しくて、色々と想像をふくらませたりします」


「そうか」と悟は共感して頷く。

 仮想の世界にのめり込んでしまうあの不思議さ。登場人物に焦がれ、共に歩みたいと思えるすごいエネルギーがある。現実逃避ではなく、力をもらうということ。悟なりに愛結の言葉はくみ取れる。


「水野さんは何の本を読んでいるんですか?」

「同じくファンタジーものだ」


 表紙のイラストを画面に出す。短くない時間をかけて描かれたであろう可愛いキャラクターを愛結に見せた。

 道しるべを探すつもりで啓発本もたまに読むが、悟も大抵はここに落ち着く。


「仮に、俗に言う『異世界転生』が起こったとしたら、林道さんはどんなふうに生きたい」


 握った手を胸に添える愛結。

 わずかに顎を下げて内を見ているようだ。彼女の癖なのか、と最近になって気づく。

 真剣な言葉を聞かせてくれるのかもしれない。


「これだけは絶対にやりたい、というものはないのですが……」

「ああ」

「楽しく過ごしたい。と思います」


 悟はただ頷く。


「ごもっともだな」

「はい。ごもっともで、そして、大事なことではないかと」


 全部幸せ、それでいい。

 日差しはずっと温かく、そして、涼しくていい。



 ♦ ♦ ♦



 翌朝。

 非常に珍しいことに、連続で出会った。


「何をしているんですか?」


 後からやってきた愛結が目を丸くする。

 彼女からすれば、それは確かに異様な光景だろう。


 すでにベンチに座っていた悟の膝上には、腕で一抱えできるほどの段ボール箱がある。加えて、段ボールの上には十インチほどのモバイルノートパソコンがあった。さらにさらに、上に乗った悟の両手がキーボードをカタカタと鳴らしている。元より平常運転であるかのように悟は流暢に告げた。


「小説を書いている」

「小説……!? ま、まさか作家さんだったんですか!?」

「趣味で書いている。いずれはネット小説に投稿して、どこかに住んでいる誰かを楽しませる物語が書ければと思っているが」

「そうだったんですね……」

「『猫背を直す段ボール机』を置いてみたが、腕を持ち上げなければならない窮屈さなど、他の課題が見えてきた。これからも完璧な姿勢を追及していきたい」


 首や肩を守ることももちろんだが、同時に、外で取り組む解放感をたくさん享受したい。すればするほど、手の動きは軽やかになり、明るい時間が広がっていくはず。とりあえず今のところ悟の指は軽快に踊る。


「頼みがある」


 昨日に続き一緒にいられるようだ。

 友と語れる機会を逃すつもりはない。


「短編小説のテーマを考えてくれないか」

「……え?」

「最近は描写の訓練も兼ねていろいろな短編に取り組んでいる。林道さんが読みたい物語を描いて、読んでもらいたいと考えた。頼まれてくれるだろうか?」


 愛結が支え、悟が描く。

 共同で作り上げたものには、魂がこもるだろう。


「具体的にどれくらい決めていいんですか?」

「できないことは伝えるから、多くても少なくても委細任せる。要望することがあるとすれば『思うままを言ってくれ』だ」


 小説に落とし込むとはいえ、愛結の思っていることや考えていることに触れることになる。

 程度の塩梅は一任したい。

「……もし可能なら、あとで水野さんが書いた、水野さんの読みたい物語も見てみたいです」

「了解した」


 頷いた愛結は、鞄からノートを取りだす。

 適当に放り投げるようなことはせず、しっかりと案をまとめようとしてくれるらしい。

 将来大物になるだろうと、悟は気づかれない程度に息を吐く。


 しばらくたって、


「個人的にシリアスなキャラクターやシナリオが好きなので、ダークよりのファンタジーが読みたいです。主人公は男性でも女性でも大丈夫です。雰囲気としては朝より夜の時間が好きです。とりあえずこれくらいで」

「感謝する」


 もらった条件の具体的な内容と、その数。

 想いは受け取った。

 座った静の姿勢のまま、アドレナリンを出すイメージで頭の動きを速めていく。


 シリアス、ダークより、夜、ファンタジー。

 織り交ぜやすい要素を出すあたり、悟のことも考えてくれていると分かる。場面の限られる短編を、その要素でどこまで面白く集約させられるか。


(……真剣に)


 いつだって人の心を動かすのは本気の想いだと、誰かが言う。

 愛結と一緒に、悟は綴る。



 ☆ ☆ ☆



【芯があること】


 背負っている少女は今にも凍え死にそうだ。

 こちらの首に回された腕を、両手で握ってやることもできず、とにかく走らなければならなかった。

 二十歳に満たないカトリーナだけでは、敵から逃げ続けるにも限界がある。永遠に走っていたいのに、なぜ夜の暗闇は邪魔をするのか。なぜ切れる息遣いは叱咤してくれないのだ。


「死なないで……!」


 それでもカトリーナは少女に言う。

 生きていて欲しい、と。自身にある嫌だという拒絶がカトリーナを突き動かしていた。

 襲ってくる幾重もの足音を耳でかき集め、曲がる道を瞬時に決める。複雑な地形を利用して、うまいこと強引に抜け出すしかない。この子を手放すことだけは絶対に無理なのだ。


 だというのに、


(嘘、なんで……っ!?)


 誘導されていたのか、連なるレンガの壁が眼前に立ちふさがった。

 視界を埋め尽くす赤みがかったレンガの黒が、肉食獣の喉奥にすら見えた。


「――っ!」


 無数の風を切る音。

 刹那、せまりくる数十の矢のほとんどを叩き斬ったが、すべてまでは至らず左肩と右足がえぐれた。


 振り返った暗闇から、とん、とん、と足音が近づいてくる。

 こちらの耳をじくじくと攻めたてる。


「なにを、している」


 そう言って、壮年の男が顔を現す。


 今にも刺し殺されそうな怒りに歪みきった表情。うごめくようなしわがれた声。暗闇よりどす黒く思える眼。こちらを殺害するためだけにそこにいる、と思った。殺意でしかできていないと感じた。


「そこに、立つな。いるな」


 きっと、会話を望まれてない。

 カトリーナの言葉を、想いを、立ち位置を、時間を、行動を、在り方を、価値観を、少女を守ろうとするカトリーナの何もかもを否定している。


 潰す。

 一方的に告げられている。


 息を擦切らすように吐く。全身を逆立てなければ、恐怖のあまり心臓が裂けると思った。

 ここが死に場所だとよく分かった。


「……そんなに許せない? 子供相手に殺意が過ぎるよ」


 しかし、折れることは敵が正しいと認めることだ。敗北を認めなければまだ折れていないということだ。カトリーナは少女の側に立つ。

 胸に燃え上がる炎は間違ってなどいない。 


「お前自身が『それ』から、害を受けてないことが、お前をそこに立たせる。だが、お前の足元は、本当は綱渡りのようにぐらついている。芯などない」

「……」

「二度と、あの時のような悲劇は起こさせない。『それ』はこちらに来る。絶対に来させる」


 老人の激情を感じる。

 正義を語るつもりはない。善悪などどうでもいい。憎いから殺す。気に入らないから殺す。


 絶対に、許さないから殺す。


「ここでもう、止まれ。『それ』を、渡せ」


 怒りだけで彼はここまで来ている。意志を纏う彼が巨人のように見える。

 怖い。自分では勝てない。

 勝てない……!

 そう、思う。


「――なら、どうして部外者なはずの私がここに立っているの?」


 だが、カトリーナの口から言葉は出た。こわばる笑みと共にある声は、しっかりと芯がなければ出せない。


「なぜ、何も知らない私が、この子を守ろうと走り回れるのかな?」


 今一度思い出せ。身体に灯る熱を自覚しろ。

 その炎は未だ焦げ尽きることなく、轟轟と燃え続けているはずだ。


「出会ってばかりのこの子にそれだけの魅力があるからよ。優しく思いやりがあって、自分の命が危ういのに私に笑いかけた。私に見る目がないんじゃない! 私がここに立っているのは、この子が大切、だからよ! 見も知らぬ私が、絶対に助けたいと思えるほどに……!」


 ぴくり、と。

 カトリーナの首に回る細くて小さな腕が動いた。

 微かだったから、気のせいかもしれない。でも、やはり間違いではない。


「サラサ、大丈夫だよ」


 背負う少女が冷たいというなら、自身の熱を分けてあげる。

「絶望する必要なんてない。胸をはっていればいい。どんなことがあっても守る」


 待ち受けるのがどんな結末だろうと、心と身体があらん限りに吠えている。

 カトリーナの全てがここに立つことを選んでいる。


 相手の瞳の黒い炎がはっきり見えた。


「なら、せいぜい価値のない満足をして、死ね。貴様だけたった一人でな」


 巨大な矢がつがえられ、寸分の間もなくこちらを襲った。寸分たがわず急所に迫るそれを回避する術はなかった。


 ――しかし、貫通する直前。

 射られた矢がはじかれ、回転し、逆に男の頬をかすめていた。


 不敵にカトリーナは睨みつける。


「もう一度聞くよ。……なぜ、私がここに立っていると思う?」


 受け身になるのはここまでだ。

 とうに分かっていたはず。立ち向かわなければ活路は開けないと。


「私が何も準備をせずに、ただ追い詰められたと考えているなら、あまく見ているにもほどがある。たとえわずかな時間だったとしても、残されたそのすべてを守るために捧げて、手段を尽くしたに決まっているでしょう! もう一度言う! 私はこの子が大切なんだ!」


 不思議な感覚。極限まで研ぎ澄まされた神経が、視界をやけにくっきり映す。

 勝ち取る未来を、見据えた。


「答え合わせと行こうよ。どっちが勝つのか」

「貴様……」

「文字通り、命をかけてだ」


 直後、二つの力が激突した。

 誰も気づかない闇の中、おびただしいほどの炎をもって。



 ☆ ☆ ☆



 悟のパソコンを受けとり、膝の上に置いていた愛結。

 やがて、彼女は画面から悟へと視線を移した。


「高校生になると、こんなに色々な文章が書けるんですね。ところどころの文が、私には思いつかないな、と思って。すごいなって思いました」


「ありがとう」と、素直に言葉をもらう。


 どこまでお世辞があるかは分からない。

 愛結はきっといつでも、誰かのいいところを見つけて褒められる子だから。


 それでも、褒めてくれた。

 だから、ありがとうと喜べばいい。


 悟の考えが反映されているとはいえ、愛結が出したテーマを基にしている。悟自身も読み返してみれば、面白い発見があるかもしれない。


「さて、今度は俺の願望を映し出して、執筆してみようかと思うが……すでに一時間以上経ってしまっている。次回までの宿題とさせて欲しい」

「できれば見たいと思っただけですので、無理はしないでください」

「分かった。自分に余裕がある時を狙って、丁寧に描くことにする」


 家に帰っても、段ボールは『机の上の段ボール』として活躍してくれることだろう。


 視線が自然と斜め上にいくのは、今から内容を考え始めてしまうから。

 どうせならば、先ほどの『カトリーナ』のように死力を尽くしてみたい。

 悟の頭はしばらく奮闘していた。



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