第7話 休むのは義務だ


 


 学校をサボった。


 それはもう掛け値なしにサボった。


 いつものように公園のベンチに、悟は何食わぬ顔で座っている。

 決意と共に、というよりは、おやつが無くなったから『あ、コンビニ行こ』くらいの気持ちでサボった。悟の視線は罪悪感に下がることなく、適当なかんじで緩やかにさまよう。


 平日の午前中。

 日が昇りきる前に楽しそうに歩く涼しげな風。鼻孔をくすぐる朝の香りに身体が澄み渡っていく。着ている白いワイシャツと、群青色のジーパンもいつも以上に仲良しだ。


 やがて、眠気に逆らわずに目を閉じる。


 公園が彼を夢へと誘ってきた。

 ベンチに座っている以上、寝るのに適した体勢ではない。

 が、とくに四肢に苦痛は感じず、うとうとと下がるまぶた。一度意識を手放なしてしまえば、場所は関係ない。


 心地よい。それがあればいい。

 …………。

 ……。



 ♦ ♦ ♦



 目覚めると。隣に愛結がいる。


 彼女はベンチに背中をあずけ、本のページをめくっていた。

 やがて、その瞳が小説から悟に移れば、黒い宝珠がしっかりと色づいている。

 今日として愛結は何かを抱き、何かを探しているように思える。


「おはようございます」の後に「もしかして早帰りだったんですか?」と尋ねられた。


 悟は言いよどむことなく、真実を伝える。


「サボりは大切なことだと考えている。『しなければならない』という束縛よりも遥かに尊い。仮に『一日も休まない店長』の下で働いていたとしよう。そこでサボることは休息だけでなく、まわりの同僚に『休んでいい』と示すことになる。サボりという行為は周りにいる仲間にも及ぶ癒しだ」

「同意します」

「分かってくれるか」

「はい」


 不思議だ。

 分かりあうというよりは、さらに前へ。

 真理に挑まんと気を引き締めあうかのような気迫が生まれている気がする。


「だが、サボろうと決意した瞬間、強敵が現れることになる。言っている意味は分かるか?」

「罪悪感や、その後の憂鬱さですね」


 その通り。

 休むとは、休むからこそ、休むという。

 マイナスの感情に縛られて、疲れがとれないままだったなら、いかなる休息も『もったいない』に堕ちてしまうだろう。それはあまりにも惜しいこと。


「つまり、この試練に打ち勝つためにいかに対抗策を練るか。これが、人生を歩む上で重要なカギとなる」

「大げさなように見えて、とても大切な気はします」

「学校の遅刻も似ている。俺の知り合いにも、少なからず遅刻を避ける人がいる。誠実な人なんだろう。だが、『絶対にしてはいけない』は討伐してしまいたいものだろう。先生に怒られるという恐怖は強敵だ。だがしかし、一度味わって耐性をつければ恐れるにあらず。そうは思わないか?」


 必殺技、と呼んでいい。

 精神的に疲れきって限界が近づいた時の起死回生の一手。例えでなく、サボりはそれになり得る。悟はそう確信している。


「実は明日もサボるつもりなんだ。そのための手伝いをしてくれないか?」

「手伝い……?」

「幸せにサボるための手伝いだ」

「はい。いいですけど、明日なのは何か理由があるんですか?」

「明日は木曜。そこを休めば、残っているのは金曜と土曜。加えて、土曜は昼までしか授業がないためあまり消耗しない。つまり、木曜を休めば『金曜さえ乗り切ればいい』に飛び移れるんだ。さらに付け加えるなら、俺の学校は木曜日は七時間目。これほどサボりがいのある曜日はない」


 愛結は「なるほど」と胸に手を置く。

 意識を内に向けて、くるくる頭を動かしている様に、悟は引っ張られるものがあった。


「具体的には木曜の授業の予習をしてしまいたい。明日教わることだとしても、直前の授業からある程度ノートをまとめたりすることはできるからだ」

「でも、今日もサボったんですよね? 予想できそうですか?」

「授業は毎日全科目を受けているわけではない。何とかするのも今回の試みだ」

「でも、わたしが高校の勉強を手伝うことは難しいです」

「ああ、俺と君の立場が逆だったなら容易だが……。ところで林道さん、学校をサボる気はないか?」

「誘われてするものではないと思います」


 ごもっとものパンチに悟は両手をあげる。


「ならば一緒に勉強することは可能か? この前みたいに、一緒に取り組む相乗効果でやる気を促す」


 が、愛結は首を横に振る。


「それよりも、水野さんの予習を手伝います。手伝えることなんてない――と水野さんは言わない気がするので……。サボりるための課題をやることに関しては、そっちの方が速いはずですよね?」


 一瞬だけ、身体が止まる。

 付き合ってくれるだけでも十分なのだが、他人のことを考えたうえで助けようとしてくれる。この小さな少女は底が知れない。


「頼るからには徹底的に頼ろうと思うが」

「サボる度に毎回は無理ですけど、今日を頑張るくらいならやらせてもらいます」

「ありがとう」


 すぐさま携帯とノートを愛結に渡す。

 遠慮の壁を取り払ってくれたなら、助けて、と吠えるのが悟の考えだ。以前と立場は入れ替わり、愛結に英単語調べをしてもらった。後で健康茶をおごろうと決意する。


 少量である数学問題集をさっさと片付け、化学の授業は今からノートをまとめておく。世界史は用語を頭にぶちこんでおいた。その後、愛結がやりとげてくれた英単語によって、英訳の宿題は風に乗った。


「仲間がいるのは心強い」


 のっている最中、ぽつりと出た。


「マンガとかではよくいわれますね」


 頭の速度が速い分、口数は少なかった。それでいて心は温かい。


 その後、無事に予習は終わる。今日の夜は爆睡できるだろう。


 ごそごそと相棒――クーラーバッグからあれを取り出す。


「またサッカーをしないか? この前やった時は、疲れてしまってバレーボールがあまりできなかったからな」

「あいかわらず、ツッコミたくなりますね」


 十分程度の交流とはいえ、遊びが成り立つのだから面白い。

 波長が合うのか、それとも合わせているのか。合っているその事実を、楽しいと思うか苦に思うか。


 出会ってから、まだ細い糸が繋がっている。


 この繋がりは育まれているだろうか?

 故意にハサミでも使えば簡単に切れてしまう気もする。

 そして、故意に使わなければ続くのかもしれない。


 悟は、とんっ、といつものように抱く。


 何か良いことがあったらいい。

 自分にも、彼女にも。



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