第3話 不変




 ――そこへ行ってはならない。

 ――どうしても行くというのなら、ただで死んではならない。


「なんで生きているんだろ」


 と呟いてしまった。


 いつもくらいの午後の時刻に、いつもの公園で、特に何か重大なことをしているわけでもなく、むしろ、ぼけー、としていたからこそ、悟の声は主の判断をあおがずに遊びに出かけてしまった。

 たまたま出会って左隣にいた愛結を横目で窺う。


 可愛らしく、おかしな顔が見えた。


 驚きと戸惑いと気遣いと心配と優しさ。それらを足して五で割っている。という細かい表現は悟の想像にすぎないが……。

 とにかく、動揺してはいるものの『何言ってんだコイツ』のごとく目が細められていたり身体が引いたりしていない。どちらかと言えばリスが喉をひくっ、と鳴らしたような表情。彼女の美徳が現れている。


 が、面白かったとしても失態は失態。


 別に羞恥で顔が炙られたりはしないが、気まずくはある。


「……こほん。生きることが嫌になったとか、辛いことがあったわけではない。中学始めから長い間抱いていた疑問だった。あまりにも考えすぎたために、一応解決できた今でも小鳥のようにさえずってしまう」

「こ、小鳥……」


 会話は意外にも終わらなかった。


「聞いてもいいですか?」


 これが興味からきた発言ではなく、会話を拾おうとしてくれているのなら、慈悲深いと言わざるを得ない。

 同時に、『生きる意味』は若者が必ず抱く重要な疑問と言っていいだろう。自然と悟の背筋は伸びる。愛結の両手も握られていた。


「人が生きている意味ってあると思いますか?」


 知っている。

 その疑問を、悟もよく知っている。


「極めて、わからないことだ」


 こちらの視線も愛結の視線も、彷徨わせない。じっと見て、とどめてつなぐ。


 分からない、と捨ておいたとは違うから。


「それはもう、びっくりするくらいに分からない」

「断言しているように聞こえます」


 哲学は宇宙だ。

 その宇宙に関する自らの考えを丁寧に打ち明けたところで、相手を実感させられるか、納得させられるかどうかは難しい。しかし、高校生になる今までの彼の価値観。そこから得た想い。それは悟にとって軽くない。だから説明に手は抜かない。


「もしかすれば使命があってこの世界に生まれたけど、あえて、忘れさせられたのかもしれない。今の自分では到底想像が及ばないけど、天国にいた時には理解していた高次の理由があるかもしれない。使命を知らないことこそが使命を担うことに繋がるかもしれないし、生きる上での使命を見つけ出すことそのものを、目標にされているかもしれない。生きる意味など存在しないかもしれない」


 頬は卑屈にしない。及び腰にしない。

 ふーんそうなんだ、で終わるかもしれない。しかし、それを前提には話さない。

 意思に躊躇いを見せてしまえば、それこそ小鳥のパンチだ。しっかり胸中に持ってこそ話せるというもの。


「生きる意味を必死に探したことがある。やるべき方向が定まれば、迷いなく努力できるかもしれないと。だが『生きがいを見つける』という迷宮は強かった。『意味』にたどり着く方法は、神の啓示を受けた偉人になることくらいかもしれない」


 そして、当時の悟は自覚する。

 切望していたのは、本当は生きる意味ではなく、道を定めて得られる安堵だったのだと。

 それからの悟は、身体の力を抜く意識をし始めた。


「たが、やってやろう、と思う時がある」

「……?」

「限りなくたくさんの人が考えている問い。言い換えれば誰かと一緒に考えられる問い。もし答えが見つかったなら、何かが開けるかもしれない。想いを汲み取りあってでも答えを捻りだしたい。そう思う時がある」

「……答えはないけれど、私と考えたいと思ってくれたということですか?」


 頷く。

 人一人に到底収まらない『人』や『人生』。しかし共有はできる。耳を傾けてくれる愛結が、悟は嬉しい。


「林道さんにもあるか? そういう、自分の考えみたいなものは」


 話題を投げるとは違う。言葉を渡すような心づもり尋ねた。

 中学生だろうと関係ない、人は日ごろから色々なことを考えるもの。悟がどれだけ愛結の想いを理解できるかは分からないけれど。それでも、悟なりにくみ取って考える機会にしたい。


「……あまり、その、プラスのことじゃなくて。なんか気分が下がってしまったら申し訳ないんですけど……」

「まったくもって大丈夫」


 それこそ、本音だ。


「生きることは試練だ、みたいな考え方があるじゃないですか」

「ああ」

「でも、ニュースとかで、辛い目にあってしまった人ってたくさんいるじゃないですか。中には自殺してしまう人もいたりして。家族の方が泣いていて、でもいずれは当然報道されなくなって、世間から忘れられて」


 愛結の低い声。その声が出る理由を、悟は一つしか知らない。

 感情があるからだ。


「生きていて起こる嫌な出来事は、その人を成長させる試練。実際、嫌なことから色々と学ぶことができるんだと思います」


 瞳に色がある。

 うつむきかけている顔と細められたまぶた。なのに、こちらまで届く圧。


「でも亡くなってしまった人に試練だなんて言ったら、残された家族の方に試練だなんて言ったら……ふざけるな、だと思います」

「……」

「私もまだ幼いですけど、たまにそう思ってしまうことがあります」

「そうか」


 悟は自分なりにまぶたを閉じる。


「そうだな」


 ――なぜ、辛く死ななければならないのか。


 理由を答えている先人たちが多くいる。

 だけど、先人たちが語る理由にどれほど説得力があったとしても…、

 ふざけるなと思う悟や愛結が、被害者の気持ちが分からない恵まれた境遇で育っていたとしても…、

 どれほど、その言葉に力がなかったとしても。


 そういうのを全部ひっくるめて、それでも、やっぱり、


「ふざけるな、って話だな」


 理解する理解しないに関わらず思う。そんなことがあってたまるか。

 改めて愛結をみる。


 隣にいるこの子も悟と同じで生きている。

 知っているはずなのに、やはり改めて、思い知らされた。



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