第1話 カクテルをめしあがれ




 待ち合わせは本当にしていなかった。


 人の出会いは大抵は続かないものだし、別段それを虚しいを思う必要もないだろうと、

 再開しないことを前提に、悟はそれからの日々を過ごしていた。

 しかし何らかの波長があったのか。

 一週間後の土曜日に、二人は再開する。


 四月の中旬。

 まぶしくない陽光が辺りを照らし、緑の葉が背筋を伸ばす。風が誘うように頬を撫でる一方、公園の砂は静かに休んでいた。

 時折感じる若葉の匂いを堪能していた時、とんっ、と小さく聞こえた足音。視線を横に向けた時には、会釈をしながら左端に座る少女がいた。


 悟も手をふって挨拶をする。


 二回目があったから、以降も続く保証はない。

 しかし悟は、これも単なる偶然だったとしても、愛結と自分の間に、そしてこの場所に、小さな『何か』があるのだろうと感じた。


「本当にまた会えると、何だか不思議な気分になります」


 私服姿の可愛さ。

 ゆとりある茶色のブラウスで優しく包み、黒のフレアスカートを膝丈で落ち着かせている。コーディネートまではいかずとも、シンプルな服はしっかりと合わさって、楽しそうに愛結と共にいた。

 前回より朗らかな印象である。


「ああ。この機会は大切にしたい。そういう理由も含めジュースをおごらせてほしい」


 真面目な表情を作りつつ、親指をたてる。


「いえそんな、悪いですよ……!」


 悟は立ち上がりながら、もう一度愛結を観察。

 遠慮で少し開いた右手がこちらに向けられ、左手は膝の上で握られている。胴体の向きもわずかにだが悟の方にある。戸惑う瞳と小さめの口調。構えもしてはいるが程度は小さい。


 拒絶の意思はないと見た。

 ともすれば自らの足を鎖で留める必要はない。


 公園の端にある自販機へと向かう。

 早朝の時間、散歩を日課とする健康的な方々がいる。簡単には成し得ない『続ける者』がここを通り過ぎるからこそ、この自動販売機は生きている。ごみ箱も設置されているすばらしい環境を、悟とて失うわけにはいかない。だから使用する際は大抵、ためらいなく感謝の気持ちでコインを投入する。


「格好をつけるという偉業を俺にさずけてほしい」


 今みたいな、誰かがふざけて言いそうな『定番のセリフ』はMPが低い。チャンスがあればどんどん使うべきだというのが悟の考え。

 シャツにジーパンという軽装の中、愛結のお礼を背に往復二十メートル。悟は三つの飲み物を手に入れた。


 三つ、である。


「さて、ドリンクバーよろしく混ぜ込んでみよう」


 手元にあるは、加糖コーヒー、メロンソーダ、緑茶。


「……おいしいんですか? 確かに試したことないですが」

「俺も三年ぶりだ。何だかんだでやらない、にランクインしている。二人分のドリンクを買っても飲みきれない分、自販機では尚のことないだろう。こうして再開したからこそできる奇跡だ。逃しはしない」


 完全防水クーラーバッグから紙コップをとりだす。


「なんで紙コップを持っているんですか……?」

「常備というのは重宝するからこそ行うものだ。例えば、ペットボトルからコップに入れ替えることで、炭酸を飲む時に泡立たせて飲みやすくできる。君だけでなく、クーラーバッグや紙コップがいなければ成し得なかった。それも含めた奇跡だ」


 緑茶のキャップを開け、缶コーヒーのタブを弾き、化学反応のごとく混ぜ合わせる。炭酸がほどよく抜けたそれの味は果たしてどうなのか。

 人体的な害はない。

 見た目がドブ沼のように濁るだけだ。


 カクテルを愛結まで届け、またベンチの右端へ戻る。


「改めて、友人になったことを祝して乾杯しよう」


 愛結は紙コップを両手でもつ。

 闇の深淵をじっと見る少女は何を想うか。ファンタジーで未知の領域に挑まんとする勇者パーディ。全身を引き締めて深淵への警戒を怠らない愛結は、そのパーティーにいる小柄な僧侶のよう。


 背中を押すために悟は先陣を切った。

 まぁ、自身が飲んでみたいだけだが。

 ためらいなくドブを喉へ通した。


「……ん」


 混じりあうようでしっかりと元を残すドリンクたち。懸命に生きようとしている泡の連打。濃厚さにおいてこれほど突飛なドリンクはない。


 思わず語った。


「……かつて、納豆と酢タマネギを混ぜ合わせて食べる知り合いがいた。酷いにおいがするために周りのものはすぐに水洗いしてくれと訴えていたが、本人はまったくにおいを感じなかったらしい。普段の彼はにおいに敏感だったからこそ、どういう訳かと不思議に思っていた。本人が作りあげたものには何らかの補正がかかるのか……」


 握りつぶさないよう苦心した紙コップが、ベンチの上でことんと鳴った。


「――と、言うことを思い出した上で、それでもすごく前衛的な味だった。市販の砂糖や牛乳を入れた緑茶を遥かに上回る」

「あはは。捨てていいですかこれ」


 遠い故郷を想うかのように悟は目をつむり奥深く笑む。

 許可などしない表情の圧。


「威力のある冗談に敬意を払う。だが、林道さんがどこかで飲みたがっているのは分かっている。契りを破る行為はやめてもらおう」

「契約書に記載した覚えはないのですが……蟻さんのおやつになりますかね、これ」


 そうして、頬を歪ませながらも、愛結は口にふくませた。

 優しい、とはこのことだ。

 最初は舌で触るように、ちびっと。だが、少なすぎて味が分からなかったのか、やがて闇を飲みほした。そして手でぬぐいながらまぶたを歪ませる。


「まずいです。匂いが大丈夫だから、辛うじて大丈夫なくらいの気持ち悪くなる味です」


 悟は責任をとらなければならない。

 新しい紙コップにお茶だけ入れて差し出した。愛結は変わらず両手で受け取り流し込む。寄せられていた眉は何とか正常に戻ったようだ。

 悟は胸をなでおろす。目的は楽しむためであり殺すことではない。


「ここから先は普通に飲んで、最後に今のブレンドを一杯飲もう」

「え、いや……」

「色々試してみてもいいが、人と言うのは順応できる生き物だ。二回目以降は慣れてしまうだろう。一番最初の衝撃を大切にしていこう。そして、終わりにもう一度、大きな花火を打ち明けよう」

「試合で選手の背中を押すコーチみたいな言い方をしていますが、ここから先は水野さんがずっとプレイヤーで構いません」

「俺にとっては二人で歩くことに価値がある」


 事実、かけがえないと感じる時間だ。

 背中を預けあった仲間に、最後の言葉を伝えるかの様に言う。


「また会うことができたが、やはりこれが続くかどうかは不明だ。状況が変われば俺が来ない可能性すらある。だからこそ今を大切に。不味いブレンドを飲んでおけば記憶に染み付く。何を混ぜたかは忘れてしまうかもしれないし、味を言葉にするのは難しい。お互いの名前もうる覚えになっていく。だが、例え何となくでも、一緒に時間を作ったことは覚えていたい」


 加糖コーヒーを新しく注ぐ。紙のコップが傍に増えていく。


「どれを飲みたい?」


 愛結はまた緑茶を指さした。

 近づいて手渡し、彼女が紙コップを膝の上に置く前に、自分が持っていた紙コップを触れさせる。


「今日は手伝ってくれて感謝する」


 再び彼らのあいだに距離が開く。

 太陽はぽかぽかと過ごしている。


「水野さんはどうして、自分が考えていることをそんなに話してくれるんですか?」

「不思議か?」

「私は内心を話すのが苦手です」

「理由を言うなら、昔と違って打ち明けることにためらいがなくなったからだ」

「……」


 続きは、促されなかった。

 あえて続ける必要は見つからず、悟は半分残っているコーヒーの缶を左右に揺らす。


 この日、愛結の悩みを聞くことは無かった。

 それを再開の理由にしたはずだが、昇華されずに残るというのも、それはそれでアリだろう。


 焦る必要はない、と悟は目をつむる。

 沼のブレンドは味わったから、と言うつもりはないが。


 まぁ…とにかく、

 これはこれでいい、と。



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