第16話 不和と不安
蛮勇を悔いて死ね―――
マクダレーナがそう言い捨てた後の展開を一体誰が予想できただろうか。
一向に戦果が上がらないばかりか、入る報せはどれも大隊クラスの壊滅、瓦解、戦闘維持の不能といったシクザール軍の敗走を物語るものばかりで、彼女は当然のように怒りを露わにした。
豪奢な幕屋に贅を尽くした調度品を運ばせ、ちょっとした行幸のようなつもりでやって来たのであろう皇帝陛下の剣幕は凄まじく、シクザールの軍を預かる将軍であるラファエラは内心ほとほと嫌気が差していた。
そもそも、彼女はこの行軍には反対の立場である。
多くの将がそうであるように、ラファエラの身分は先帝であるティアナ帝より賜ったものだった。グランベルとの友好を掲げ、魔法大国と名高いリュクスエドとも交易を重ねた先帝の理念は『攻め入らず、攻め入らせず、和を以って国を治める』ことであった。であるから、将軍として日々の鍛錬は欠かさなかった彼女だが、軍旗の下に集う兵達は国内の治安維持や、交易路の安全の為にその力を揮っており、決して、人の命を奪うための戦いに身を投じていた訳ではない。
それが、今や、攻め入った挙句に敗走を余儀なくされている。
たった二人、されど二人の『軍勢』に手も足も出ない状態が続いていた。
「申し上げます。前線付近にて巨大な竜巻が発生、大規模な魔法攻撃によるものとみられます。前線中央に布陣した大隊二つが壊滅、軍携行の物資の大半が消失或いは破壊されたと報せが…」
「ご報告申し上げます。前線右舷に大規模な魔法攻撃による津波が発生。右舷ゴーレム部隊および歩兵連隊が壊滅」
「後方歩兵連隊より、黒竜の攻撃により魔法士部隊が交戦を開始しましたが、その、火炎弾により周辺に布陣した歩兵大隊二つが既に焼き払われ…後退の指示を願うと、緊急伝令が来ております」
「左舷前線部より伝令。グランベルの黒竜の奇襲を受け、ゴーレム部隊の半数が壊滅、残り半分は例の赤毛の魔導師によって、その……制御権を奪われており、左舷に布陣中の魔法士部隊及び歩兵大隊と交戦中です」
作戦本部が置かれた幕屋に飛び込んできた伝令達は次々に報告を述べ、一様に「いかがなさいますか」とばかりに彼女のを注視した。
一枚板で作られた大きなテーブルに広げられた魔法の地図には、十万の部隊を束ねる為に配置された各部隊長の印が動いている。小隊まではこの地図では把握できないが、中隊長を示す小さな丸で囲まれた赤い点が、見る間に色を失って灰色に変って行くのを見るに、戦場が実質どのような状態にあるのか、ラファエラには痛い程よく理解できた。
最前線に配置されたゴーレム部隊のすぐ後ろに布陣していたのは、予備役から集められた三つの歩兵連隊である。予備役だからある程度の訓練はされていたが、貴族の子弟などで軍役を免除される者がほとんどだったはずだ。
数にしておおよそ一万五千。
地図の様子から見て、その八割が壊滅したと言って良いだろう。
「重装歩兵を前へ出し、魔法士部隊で障壁と、魔導師からの魔法攻撃の対消失に備えなさい。援護には航空部隊を。高台にいる弓兵は本隊へ戻らせなさい。黒竜に矢など通用しません」
ラファエラの指示に、前線中央から来た伝令が敬礼を返して幕屋を出た。
「後方歩兵部隊は残りの再編成が必要でしょう。連隊長の判断に任せます。魔法士部隊を率いて、対黒竜用の音波陣を敷くように。潰走して戦列が崩れないよう、統制を取りつつ後方へと下がらせなさい」
「畏まりました」
「左舷、魔法士部隊にゴーレムの無力化を指示なさい。魔導師との接触はしないよう魔法士部隊を下がらせつつ、中央で布陣を整えさせなさい」
「承知」
二人の伝令がそれぞれに敬礼を返し、幕屋から飛び出して行くのを見送った。
ラファエラはそこで小さく溜息をつく。
「クロエは居ますか」
副官の名を呼んで、辺りを見回す。
すぐに「はい」と奥手から返事があって、愛らしい少女が笑顔でやって来る。
戦場には場違いな程に可憐な少女は小首を傾げて、そっと指先を口元に宛てた。その仕草はまるで絵画のようで、ここが戦場だということを見る者に一瞬忘れさせる。
「いかがなさいましたか?」
「書簡を送りたいのです。届けてくれますか」
ラファエラがそう尋ねると、クロエと呼ばれた少女は一層にっこりと微笑んで頷いた。
ラファエラはさらさらと慣れた手付きで巻紙に何やら書き付けた。格式ばった正式なものではなく、あくまでも私的な手紙なのだろう。文字の装飾も施さず、必要なことだけを書き記して、インクの掠れを防ぐためにさっと燭台の火で炙ってから手早く巻いて封蝋を落とした。溶けた蝋に指輪を押し付けると、四枚の翼を持つ竜が向かい合う家紋が浮かぶ。
彼女はもうひとつ巻紙を手にして同じように何やら書き記し、封蝋をして指輪を押し付けて家紋を残すと、二つの巻紙をクロエに手渡した。
「ひとつはエルネスタ殿下へ。もうひとつはリュクスエドの商人へ届けて欲しいのです。必ず先にエルネスタ殿下へ直接お渡しするように。頼みましたよ、クロエ」
「承りましたわ。すぐに参りましょうか」
「そうしてくれると助かります」
ラファエラの言葉に、クロエは優雅な仕草でスカートの裾をつまんで一礼し、すっとフードを被って幕屋を後にする。
その小さな背中を見送ってから、エファエラは改めて魔法の地図を眺めた。
この僅かな間にも死者を示す灰色の点が増えて行く。
恐らくは、遅きに失したのであろうと自戒しつつ、それでも自らの良心に従わざるを得なかった。
「デボラはいますか。それから、フリアも」
「ここに」
「はい、閣下」
「師団の中から魔法士部隊と航空部隊を選抜し、急ぎ、本国へ帰還なさい。転送陣が使える者は歩兵であっても連れ帰るように。帰還後は大至急、閉塞魔法陣の準備を進め、準備出来次第展開を。以降の仔細はエルネスタ殿下の指示を仰ぐように」
上官である将軍直々の命とは言え、副官二人は顔を見合わせて言葉を失った。
「ですが、その…」
はっきりと言わずとも、二人が言いたいことはラファエラにもよくわかっていた。
マクダレーナを戦場に置いたままで良いのか。と、そう副官の顔に書いてある。
「この戦争は我々シクザールが起こしたものです。揺籠の介入がないことを、いっそ幸運だと思っていましたが、介入する必要を感じないのならどうなのでしょうか。私達は大きな過ちの中にいるのです。それを、正さなければなりません」
「閣下はいかがなさるのですか」
「これより、陛下に謁見を賜ります。申し上げたところでお聞き入れになる方ではないのでしょうが、私達は魔導師という存在を甘く見過ぎていた。既に数万の兵が命を落とし、このままでは全軍、壊滅を待つ他ないでしょう。軍を預かる者として、これ以上、兵を無駄死にさせる訳には参りません」
「しかし…。陛下にご進言などなされば、閣下のお命も!」
「死を賜ることを恐れて、皆と同じ戦場に立つことなど叶いません。私のことは心配要りません。あなた達はすぐに作戦に取り掛かりなさい。愚図愚図していては救える命までも取り零してしまう」
ラファエラは追い立てるようにして副官二人を幕屋から出し、次いで、身支度を軽く整えてから後方にある皇帝陛下の幕屋へと向かった。
東の空が明るく見えるのは日の出などではあり得ない。
まだ時間は夜半を少し過ぎた頃である。ひと際明るい魔法陣が夜空に煌き、そこから無数の稲妻が撃ち落とされるのが見えた。あれで、またひとつ大隊が壊滅したことだろう。
まるで神の雷だ―――ラファエラはそう思い、自らが何に対峙しているのか、その存在に対して畏れを抱いていた。
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