第15話 決戦の火蓋

 たった二人しかいない城の中は閑散としていた。

 どこもかしこもガランとして、昨日までのあの騒がしさが遠い昔のようだった。アルフォンスは自立人形オートマトンの手を借りて盛大に散らかった大広間を片付け、クリスは竜騎兵の乗騎である黒竜達の軛や鞍を外してやった。手綱も鞍もなくなって身軽になった竜達だが、一向に城を離れようとはしない。それどころか鼻を鳴らしながらクリスに額や鼻面をこすりつけ、存分に甘えているようだった。クリスは一頭一頭の首筋を撫でて労わってやりながら、城を離れるように言い含めた。言葉としては通じているはずである。が、どの黒竜も小竜のようにクオォォンと嘶くだけで飛び上がるそぶりすら見せなかった。

 竜の鱗は特別に硬質だ。氷魔程度では傷ひとつ付けることはできないだろう。それがわかっているだけに、クリスは苦笑しながら「戦闘が始まるまでに離れるんだぞ」と言い残した。

 その後は、二人で夕方過ぎまで螺旋状に伸びる大回廊を散歩した。

 城壁内を渦巻くようにして伸びる大通りは、平時であれば両脇に市場が並び、白珊瑚で装飾された焼き石が太陽の日差しを受けて眩しい程に輝く。岩壁を削って作られた側道から地下へと階段が伸びて、夜でも足元が見えやすいよう、階段の両脇には貝殻で飾られた魔導ランプが置かれている。螺旋を描く階段の脇には湧き水を湛えた水路が走る。

 美しい国だと、アルフォンスは思う。

 揺籠のような華やかさとはまた違った、落ち着いた素朴な美しさだ。

 誰もいなくなった大通りを二人で歩いている間、両側にそびえるように建つ城壁の上の所々に、二人を見守るようにして黒竜達が翼を休めて見下ろしていた。

 そうして時間も気にせず二人で過ごし、最後に訪れたのは地下墓所だった。

 代々のグランベルの王達が眠る墓所には慣例に習ってバルトメロウスの棺も安置されている。

 葬儀すら儘ならなかったことを詫び、クリスは静かに黙祷を捧げた。

 シクザールの皇帝がこの城をどうするかはわからなかったが、墓所に敬意を払うことは望めないだろう。

「民だけは守ったのだから、それで許してください。父上」

 そっと棺に触れてクリスは呟き、それ以上は何もせず、花ひとつ手向けることもなく墓所を後にした。

 太陽は地平線の半ばまで隠れて、赤く染まった空を飲み込もうとするかのように夜空が迫っている。

 クリスは白銀の軍装を、アルフォンスはそれに合わせて揃いでしつらえた深紅の軍装に身を包んだ。赤い紅茶色の髪と相まって、夕日を受けたアルフォンスはまさに燃えるような赤に染まる。

 ピィィィィと高い指笛を合図に乗騎の黒竜がバサリバサリと羽音を立てて大地に降り立ち、長い首をしならせるようにしてグオオオオオンと地面を揺るがすような咆哮をあげる。竜の中でも上位である四本爪の竜は、通常、人を背に乗せることを酷く嫌う。特に黒竜種は他の体色の竜よりも気位が高い。他の竜騎兵の乗騎である三本爪ですら、主と認められなければ背から振り落とす気性の荒さだ。その分、一度でも主と認めた者には非常に良く懐き、また、乗り手の意思を良く察し、勇猛果敢に空を駆ける生き物である。だからこそ戦場では非常に重宝されるのだ。

 グランベルが際どいながらも自領を保っていられたのも、黒竜と共に戦場を駆ける竜騎兵あってのことと言って良い。

 そうして今、竜騎兵達と共に戦場を駆けていた三本爪の黒竜は手綱も鞍もつけず、人も乗せず、しかしグランベル城に留まっていた。彼等が主としている四本爪の竜王が未だ、クリスを背に乗せて戦場へと赴こうとしているからである。

 ばさり、と大きく翼を羽ばたかせて風を掴み、ゆっくりと上昇する竜王の姿を目に捉え、まるでそれが合図であったかのように三百頭余りの黒竜達が空へと舞い上がった。

 赤い孔雀の背に乗ったアルフォンスはクリスの黒竜と並走するように空を駆けた。

 シクザール軍が駐屯する平原までは、空を駆ける彼等にとってはほんの僅かな距離である。

 夜の帷など追い払うかのように焚かれた松明が煌々と辺りを照らしていた。

 目を凝らさずとも、後方には豪奢な幕屋がいくつも立ち並び、松明と、焚火とに照らされて十万を超える『街』の様子がよく見えた。

 クリスとアルフォンスからも彼等の様子はよく見えたが、シクザール軍からも、二人の姿はある意味、よく見えたであろう。

 燃えるような赤い孔雀に、赤い軍装、それと合わせたかのような紅茶色に煌く髪が風になびいている。夜空の中でその姿はまるで赤い星のように目立っていた。そうして赤い星に惹かれて空を見上げた者達は、そのすぐ隣に、黒とも金ともつかない美しい竜が白銀に煌く人を乗せていることに気が付いた。

 シクザール軍の哨戒兵達が皆一様にぽかんと口を開けている中、クリスは黒竜の背から眺めて笑っていた。

「予想外のものを見ると、判断ができないものだな」

「まったくですね。ですがまあ、挨拶ぐらいはしておきませんか。奇襲はあまり、好きではないもので」

 敵軍の目の前までやってきて奇襲も何もないように思うが、クリスは噴き出しそうなのを我慢して「わかった」と頷く。

「さて、シクザールの諸君、ごきげんよう。俺はクリストハルト=エデル=グランベル。即位式は事情があって済ませていないが、我がグランベルの王である」

 グランベルの王、という言葉にシクザール軍がどよめくのが判った。

「シクザール帝国の皇帝陛下がおみえと聞き及び、こうして謁見に参じた訳だが、そちらの皇帝陛下はおいでかな?」

 ややあって、最前線のゴーレムの列が左右に分かれ、そこに数名の魔法士と見られるローブ姿の術者が姿を見せた。彼等は魔法陣を描いて空に水の膜を張り、それを水鏡にして遥か後方の幕屋に居るであろうシクザール皇帝の姿を映し出す。

『グランベルの王とやらを名乗る者が現れたと。嘘ではなさそうに見えるが。して、兵も率いず何用か。大人しく投降でもしに参ったか?』

「投降すれば兵を引くのか」

『ふんっ。お前の国など元より用はないわ。大人しく滅びよ』

「ああ、やだねえ。血の気が多くて。元より用がないのなら、放っておいてくれて良いんだがな。戦争を仕掛けた理由はなんだ?」

『目障りじゃ。それ以外の理由など、滅びゆく貴様らに必要ないこと』

「ああ、やだねぇ…ほんと血の気が多くて」

『兵の姿も見えず、たった二人で参じたことは褒めてつかわす。だが所詮は蛮勇に過ぎぬ。己の蛮勇を悔いて死ね』

 す、と水鏡に映ったシクザール皇帝が片手をあげた。

 ふつりと映像が途切れ、それと同時に遥か後方からラッパの音が鳴り響く。その音は次々と中継されて広がり、最前線にまで鳴り響く頃には地面に伏せていた岩の塊であったものがガリガリと音を立てて起き上がる。ゴーレムの巨体が一斉に体を起こしたせいで辺り一面は砂嵐のように土煙が立ち昇った。

 茶色い海のようになった地面から、青白い氷の粉を巻き上げながら氷魔の一団が飛び上がり、我先にとクリス目掛けて襲い掛かる。

 が、初手に飛び込んできた十数騎は黒竜が首をもたげて吐き出した火炎をまともに浴びて一瞬で撃墜された。

 それを合図と取ってか、上空で待機していた三百余りの黒竜達が翼を畳んで錐揉み回転しながらシクザール軍へと飛び込んで行く。地上では弓兵が迫り来る黒竜達を撃ち落とそうと魔法弾を込めた矢を放っていたが、雨のように矢を降らせたところで黒竜の鱗1枚を傷付けることもできず、ある者は頭を掴まれて上空から放り出され、ある者はその鋭い顎で体を噛みちぎられて絶命した。

 するり、とクリスが腰に佩いた剣を抜く。

 よく砥がれた直剣は柄に宝珠が嵌め込まれた東方の業物で、元々は揺籠の魔導師が鍛えた長剣であったものを、蒼王として東方へ渡る叔父に当時の王が持たせたものだと言われる。東方で直剣に研ぎ直され、長く護り刀として携えられてきたものだが、この国難にせめてもの助けであって欲しいと蒼王から贈られたものだ。

 言うなれば、里帰りをした直剣はクリスの手によく馴染んだ。

 白く輝く刃は水に濡れたように滑らかに輝く。

「いくぞ」

 とん、と軽く足で拍車を蹴ると、黒竜はさらに火炎を吐きながら氷魔の群れに突入した。

 アルフォンスもそれに合わせて空中に魔法陣を描き、足元の土煙の中で蠢くゴーレムの大軍を見下ろす。

「さて、火や雷では効果が薄そうですが、水ではどうでしょうね?」

「魔法士を狙え、呪文を詠唱させるな!」

「失礼な。魔法士と魔導師を間違えるようでは、取る戦術も間違えますよ」

 アルフォンスはにこりと笑ってそう返したが、おそらく、相手にその声は聞こえていなかっただろう。

 呪文をと言いかけた辺りで、アルフォンスの前には既に魔法陣が浮かび上がり、呪文など詠唱する必要もなく魔素を注ぎ込まれたそれらが発動し、大気を水に、あるいは大地を水にと変換する術式展開の下、迫り来るゴーレム達を正面から押し返すように激流が発生したからである。優に人の二倍はあろうかという高さの波が押し寄せ、ゴーレムごと押し流して濁流になる。逃げる間もなく押し流される者、流されるゴーレムと巨体に押しつぶされる者、辛うじて水流からは逃れたものの戦意を喪失する者と、決戦の火蓋が切られた直後にもかかわらず、シクザール軍は既に一個大隊では済まない死者を出した。

 後に、シクザール帝国はおろか中央世界でも史上最悪と言われる死者数を記録したヴェルシュテック会戦の、これが幕開けであった。

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