第14話 決戦、前夜

 城の中は閑散としていた。

 クリスの独断でほとんどすべてと言っても良い民を東方へ移送する準備を始めてから七日が過ぎようとしている。既に非武装の民のうち半分、一万余りは東方への航路へ入り、転送門の先で待つ大商船団に迎え入れられ、蒼国の国主の勅命によって開拓と入植が決まった島を目指している途中と聞く。

 最後まで絶対に残ると言って聞かない近衛師団と竜騎兵団の一部の者が今も城の警備と周辺の巡回を続けているが、アルフォンスの構築した魔法障壁もあって、シクザールは平原に駐屯したまま、こちらを攻撃することなく日々が過ぎていた。とは言え安心できるものでもない。一体どれ程の徴兵を課したのか、シクザール軍は一日、また一日とその兵力を増し、グランベル城から見る限りでも当初のほぼ倍の大軍を率いている。

 シクザールからの偵察兵の報せでは、遂に新皇帝自らが軍を率いて国境を越えたとあり、クリスもアルフォンスも最後の時が近いことを理解していた。

「お前も大概強情だな。帰れと言ってるのに、いつまでも居座る」

 半ば呆れてクリスは言い、アルフォンスが淹れた紅茶のカップを受け取った。

「またですか。毎日言ってて飽きませんかね」

 軽口に憎まれ口の応酬だが、二人とも口元は笑っている。いつも通りのやりとり、と言って差し支えない程に毎日繰り返されるそれに、居合わせた側近達、それから、竜騎兵達がくつくつと笑う。

「おい、笑ってるがお前達もだぞ。まったく、どいつもこいつも本当に俺の言うことを聞かねえな?」

 口調は荒いが咎めるような声色ではない。

「陛下がこのくらいの、ご幼少のみぎりからお仕えしております故」

「主君に否と言えぬようでは執政など務まりませんので」

「俺達が居なくなったら、陛下がお一人で黒竜の世話をなさることになるんですよ」

「俺と愛竜の仲を引き裂くんですか、陛下は酷い人ですね」

 側近も竜騎兵も口々にをするが、その誰もがこのうら若き王への信頼と愛情を隠さない。

 賑やかな執務室は戦時中、それも亡国への道を歩む国の中核とは思えない程に和やかで温かかった。

 ひとつひとつのやり取りを、アルフォンスは胸に刻む。

 クリスだけではなく、彼を取り囲む人々の誰もを覚えている為に、その仕草や笑顔や声の様子をひとつとして漏らすまいとでもするように見つめた。

 コンコンと控えめにドアが叩かれ、若い竜騎兵が顔をのぞかせる。

「陛下、シクザールの皇帝率いる師団が駐屯軍に合流したようです。それと、大掛かりな魔法陣の準備を始めたようで。魔導師様にも見てもらって構いませんか」

「俺も行こう。アル、行くぞ」

「わかりました、行きましょうか」

 二つ返事で立ち上がり、足早に執務室を出る二人を側近達が目礼で見送る。

 これも、いつの間にか当たり前になった光景だった。


     ***


 城の屋上に出て平原に目をやれば、報せの通り、シクザール軍の数は昨日よりもさらに膨らんでいた。偵察兵によれば新たに徴兵したのは五万程度とあったはずだが、目の前に駐屯する規模は十万に届きそうに見える。

「ああ、これは考えましたねぇ」

 どこか呑気にも聞こえる調子で、アルフォンスは見張りから借りた望遠鏡を覗きながらそう言った。丸く切り取られた視界は大きく寄って見え、そこに、武装した軍人に紛れてゴーレムと呼ばれる魔法人形が動いているのが確認できた。岩石等を元に作られる簡易の使い魔で、複雑な命令はこなせないが、掘削や運搬といった単純労働をさせるにはよく用いられるものだ。使役の為の魔法陣も中級程度の知識で充分扱えることから、おそらく、軍に随行するよう使役されているのだろう。

 アルフォンスの隣で同じように望遠鏡を片方の目に当てて覗き込み、クリスは「へぇ」と感心したように声をあげる。

「塹壕を掘ってる訳でもないな。あれでゴーレムを量産するつもりか。城壁の打ち壊しでもする気か?」

「氷魔は雷撃で落ちますが、元が岩石のゴーレムとなると、うまく結節点に当たればともかく、大した破壊はできないでしょうね」

「魔法障壁はゴーレム相手でも通用するか?」

「さて、崩れた城壁を用いてゴーレムを作られた場合に阻止できるかどうかは、やられてみないとわかりかねますね」

「それは結局どっちだ」

「グランベルの城壁製のゴーレムなら、障壁を通過する可能性が」

「ふうん。絶体絶命だな?」

「本当に思ってますか」

「いや、実は大して思っていない。万能でも永久でもないと思ってたからな。とは言え相手は十万規模だ。うちは残ってる阿呆どもが百余り、と」

「阿呆の頂点に言われたくはないですね」

「まったくだな」

 望遠鏡から目を離し、クリスはその望遠鏡をぽんと投げて片手で受け止める。

「お前、ほんとに揺籠に帰るつもりはないのか」

「ありません」

「強情だな」

 そう言って、クリスはふわりと笑った。

「仕方ないから、お前だけは連れて行ってやるよ」

 意味がわからない、とアルフォンスはきょとんとして首を傾げる。

 赤い紅茶色の髪がさらりと揺れた。

 不思議そうな顔をするアルフォンスに、クリスがほんの少し顔を寄せる。近くに控えた近衛や竜騎兵達に聞こえないよう、彼は声を落としてそっと囁くように言った。

「お前、今夜のメシは食うなよ?」

 念を押すように「いいな」と付け加えて、クリスは踵を返して城内へ戻っていく。アルフォンスは慌ててそれを追いかけつつ彼が一体何を企んでいるのかと妙な胸騒ぎを感じていた。


     ***


 その夜―――

 大広間に集まった百人足らずのグランベル軍は、最後の晩餐とばかりに貯蔵庫からありったけの食材を運び入れ、先王陛下が保管していた年代物の果実酒や酒樽までもをすべて開けた。盛大に飲み食いに耽り、陽気に歌い、笑い合う彼等の姿をクリスは微笑みながらずっと眺めていた。いつもなら行儀が悪いと部下を叱り飛ばす上官達も今夜ばかりは一緒になって長机の上で踊り跳ね、腕を組んでは酒を飲み干し、肉の塊を切り分けながら歌ったり踊ったりと忙しい。

 そうやって、広間が静かになったのは夜も随分と更けた頃だった。

「まったく。最後の最後までお前達らしいよ」

 床や長椅子に折り重なるようにして眠りこけている一団を見遣って、クリスはそう呟いて笑っていた。

 起きているのはクリスの他には、アルフォンスと、数名の側近だけである。

「本当によろしいので?」

 側近のひとり、執政がクリスに向かって尋ねた。

「もう決めた。お前には重責をかけるが、頼んだぞ」

「恐れ多いお言葉ですが、光栄に存じます」

 そっと目礼し、側近達はお互いに目配せをして手早く作業に入った。広間で寝ているひとりひとりを担ぎ、地下へと運んでいく。運び出しは見慣れない東風の衣装に身を包んだ者達も手伝って、数時間をかけて全員を転移門へと運び終えた。

 最後に残ったのは、側近達である。

 転移門の両脇には二名ずつ、東風の衣装の者が控えて待っている。

「元気でな」

 クリスは言って、軽く手を挙げた。

 微笑む彼とは違い、側近達の表情は硬い。唇を噛みしめるようにして俯いていたが、しばらくして、漸く顔をあげた。

「ご武運などと、申し上げるべきでは…ないのかもしれませんが。陛下に、ご武運を。我らはいつまでもグランベルの民です」

「やめろやめろ、エリジオンへ行ったらしっかりそこの国に馴染め。グランベルの再興だとか、城の奪還だとか、考えるんじゃないぞ。もっとも、転移門はお前らが通ったら壊しちまうけどな」

 ほら、さっさと行け、とクリスが促す。

 後ろ髪を引かれる思いで何度も振り返りながら側近達はその数歩の距離を歩いた。薄い靄の向こうへと消えて行く背中を見送って、クリスはずっと微笑んでいた。

 東風の衣装の者が一礼し、後に続いて靄へと消える。

 最後のひとりはクリスの前に進み出ると、深々とお辞儀をした。

「我が君の命によりまして、我らが必ずお守り申し上げます。国の難事に、たったこれだけの力添えしかできぬことを許されよ、との我が君からのお言葉を預かってございます。確かに申し伝えましてございます」

「たったこれだけなどと言ってくださるな。叔父上には感謝してもしきれぬと、この大恩に報いることが自身ではできぬことこそ、お許しくださるように、と伝えてもらえるだろうか」

「確かに、承りましてございます」

「蒼国に於かれては、御代恙無けれと祈念申し上げる」

「有難う存じます。我が君にも必ずや」

 すっと流れるように美しい所作で一礼を返し、東風の衣装に身を包んだ最後の使者は乳白色の靄の向こうへと消えて行った。

 通り抜けた余韻のように波立つそれが、徐々に薄らぎ消えて行く。

 クリスはしばらくの間転移門をじっと眺め、そうして、懐から短刀を抜いてはめ込まれた宝珠を叩き割る。魔法陣をそこに固定する為に設えた宝珠を割る度に、アルフォンスの目には転移門を形成していたエーテルの流れが滞り、周辺に霧散していくのが見えていた。

 すべての宝珠を割り、そこにはただの岩壁が見えるだけになってから、ようやく、クリスの頬に涙が伝った。

「元気でな」

 もう届かない、その壁の向こうへと声を掛ける。

 地下を後にして大広間へ戻った二人は、その散乱した有様を目にして顔を見合わせて笑った。

 確かにここで、皆が歌い踊って食べて騒いで、そうやってこの夜を過ごしたのだと実感するのに充分なだった。

「腹が減ったな。食い物は残ってるか」

「さてどうでしょうね」

 くすくすと笑い合う二人の声が、がらんとした城の中でよく響いていた。

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