第12話 クリスの決意、アルフォンスの迷い
翌朝、先王となったバルトロメウス王の葬儀を如何様にすべきか―――それを新王となったクリスに伺いを立てるべく、クリスの執務室の前で待ち構えていた側近達は姿を現した彼を目にして、皆一様に口を半開きにして呆けたように魅入っていた。それはクリスが大広間に姿を現した時も同様で、近衛兵は言うに及ばず、並大抵のことでは驚かないはずの竜騎兵達ですら、仲間内で何度も顔を見合わせたり、見間違いではとお互いに頬をつねってみたりしている。
昨日の夜までは、ほんの十二、三に見えていた子供が、一晩明けて急に大人になっているのだから、人々が驚くのも無理はない。
それも、芸術家が丹精込めて作った彫像のように美しい。
クリス自身や、年若い側近達は残された絵画でしか顔を知らないが、先王に仕えた側近達は亡きアレクシア王妃を良く覚えていた。長じたクリスは、その美貌で謳われたアレクシアにそっくりだったのだ。
より強みを増したターコイズブルーの乗ったプラチナブロンドは、魔導師の血筋らしく腰よりも長く伸びていた。
この事態に最も騒がしくなったのは王子付きの側用人達である。
いつか長じた時にお召替えをと、幾人もがこっそり用意していた礼装が何十着と並べられ、クリスの私室はさながらお抱え裁縫師の見本部屋のようになっている。これに辟易したのか、当のクリスはと言えば、軍配給の役人を呼び寄せて竜騎兵団の既製品の中から体格に合うものを見繕うよう言いつけ、慌てふためく側近達と不満げな側用人達の両方を黙らせていた。
黒竜と揃いになるよう黒で統一された軍用服は非常に軽い。防刃の為に特殊な織りをしており、聖銀を溶かして黒く染めた糸を埋め込んだ、魔法にも強い布で作られている。特殊ではあるが、見た目は簡素で装飾などはほとんど見られない。陸兵部隊の軍用服に見られるような刺繍すらないのは、黒竜の鱗や爪に万が一でも引っ掛けてしまわないようにする為だ。
せめて染めだけでも王子らしくなさってください、という悲鳴に近い側近の言葉に渋々応じて、アルフォンスが銀糸に魔素を流し込み白く染め上げることになった。ついでとばかりに防護魔法やら何やらを重ねて魔法陣を仕込んだのが昼前のことである。
真新しい白銀の軍装に身を包んだクリスが改めて側近達を執務室に呼び寄せたのが、午後を少し過ぎた頃のことだった。
それからずっと、クリスは執務室に籠り切りだ。
今はもう日も傾き、じきに夕闇が迫るだろう時間である。
アルフォンスは傍に控えていても、特にすることがない。口を挟む訳でもなければ、クリスが意見を求めてくることもないからだ。彼は常にきちんと自分で判じ、必要があれば側近達の知恵を借り、また、先王に仕えた側近や内務官達とも頻繁に相談を繰り返しているようだった。
話の端々から聞こえてくるのは、グランベルの民の移送計画である。魔法障壁が強固によく機能している間に、非武装の住民をできる限り東方へと移送するというのだ。
グランベルと東方の大国には奇妙な縁がある。
それを、アルフォンスも少しではあるが耳にしていた。その奇妙な縁のお陰でグランベルと蒼国を直接行き来できる転移門が整備されているのだ。
グランベルは小さな国である。すべての住民を合わせてもその数は三万余り、そのうち軍役に就いているのは端から端まで含めたとして八千程。二百程の小隊に分けて動かすとしても、全員の移送にはかなりの時間を要するだろう。
民や兵を皆、東方へ逃がしたとして、クリスはどうするのだろうか。
彼はどこへ行くつもりなのか、何をするつもりなのか―――アルフォンスはぼんやりとそんなことを考えながら、いつの間にか中庭の東屋の辺りまでやってきた。
一年前にここで初めて彼に会った。
『俺に魔法を教えてくれるの?』と聞いた姿を、アルフォンスは鮮明に覚えている。
僅か、一年。
百年ですらほんの瞬く間に過ぎない魔導師からすれば、一年など、まさに一瞬の時間でしかない。
「なのに、どうして……」
これ程、引き裂かれるように苦しいのか。アルフォンスにも理解ができない。
数千年を過ごして、無数の国を見て来た。名を変えて、形を変えて、生まれては消えて行く人の国。親交のあった者も居た。思い出したように時折訪ねては、市場や広場を見て過ごした都市や村が、かつては確かに在ったのだ。そこに息づく人々の生活も含めて、アルフォンスの目にはまるで蜃気楼のように儚く、曖昧で、そして、走馬灯のようにとめどなく流れ行く世界だった。
そうして無数の国も、人も、どれ程栄えようともすぐに過ぎ去って行くものとして見送ってきた。
僅かな寂しさを抱えても、自分自身が苦しむことなど無かったのに。
僅かに、一年。
たった、一年。
ここで過ごした毎日のすべてが目に浮かぶ。他愛もない会話も、悪戯をするクリスの姿も、幼いながらも黒竜の背に跨り空を駆けて行く姿も、何もかも。
その彼の命はどうなるのだろうか。と考えた。
この城に独り残るつもりなのだろうか、と。
誰も居なくなった城に独り残って、数万のシクザール軍を待つのだろうか、と。
アルフォンスの脳裏に、無人になった城にただ独りで佇むクリスの姿が鮮明に浮かぶ。幻視と言っても良い程、その光景はくっきりと目に映った。
ざああっと風が吹いて落ち葉を舞い上げる。
乾いた葉がひらひらと風に乗って運ばれて行くのを目で追った。
まただ、とアルフォンスは歯噛みする。他の誰でもなく、彼の命が失われるということに対して、なぜ自分はこれ程に激しく抵抗しようとするのか。
アルフォンスにとって、クリスが初めての弟子という訳では決してない。
人使いの荒い揺籠の旧友達のお陰で、これまでにも多くの弟子を持ってきた。縁あってのことではあるから、教え育てた弟子達の『その後』はある程度、小耳に挟むくらいのことはしてきた。大地へ還ったと報せを受ければ、それなりに寂しさも感じた。
だが、魔導師にとって『死』は甘い眠りのようなものだ。
人と違い、始祖の魔導師は長い眠りの後に純然たるエーテルに還り、世界の循環に沿って奔流となり、再び魔導師として再生する。肉体という枷を外して世界を巡ることで魔導の理と自然の理を結び付け、新たに魔導師として生まれる際には、より強い力を得るのだと言われている。
だから、魔導師達は仲間の死を嘆くようなことはしない。
アルフォンスもずっとそうだった。置き去りにされる寂しさは確かに在る。多くを見送り、けれど、寂しさもいつしか紛れてしまうものだと知っている。
「なのに、どうして」
何度目かの、同じ言葉を紡いで声を失くす。
なのにどうして、クリスだけは永遠に失われてしまう、と思うのか。
気が付けば両手で自分の体を抱きかかえるようにして座っていた。初めて会った東屋の前で、堪らず地面にへたり込む。とても立ってはいられなかった。
足が竦むのだ。
どうしても。
落ち葉の積もった柔らかな地面にへたり込み、両手で腕を抱きしめるようにして、アルフォンスは漸く、自分が震えていることを自覚した。寒さからではない。それは紛れもなく恐れからくる震えだった。
泣きそうだった。
泣いてどうにかなるようなことではないと、自分でも解っている。なのに怖くて堪らなかった。クリスを失って、自分がどう変わると言うのか。魔導師としての自分は何も変わるところがない。グランベルが滅びようとも、たとえばそれでシクザール軍と自分が敵対したままになろうとも、魔導師は本来不羈の民で、誰にも従わず誰にも膝を折らないものだ。グランベルが無くなってしまえば、それはそれで、アルフォンスの『子守り』の任は終わり、またどこかで隠遁に近い生活をすることになるだけなのだ。
代り映えのしない、魔導師としての暮らしをするだけ。
それが理解できているにも関わらず、それでも尚、アルフォンスは恐ろしかった。
クリスを失うのだということに比べれば、自分が持て余す程の魔力を有していることなど些末な問題に過ぎないとさえ感じる。人は脆く儚いもので、それを少々吹き飛ばしたとしても、何を恐れる必要があるのかとさえ。
そこまで考えて、はっとして我に返った。
自分が今何を考え何を感じたかを思い返して、自分の思考にぞっとする。ぞわり、と背中が粟立つような寒気が走る。
だがそれは長く続かなかった。
聞きなれたぶっきらぼうな声がしたからだ。
「お前、そんなところで何してるんだよ」
呆れたようなクリスの声がした。
「その辺にいないと思えば、何やってる。ほら立て」
ぐいと腕を掴んで引っ張り上げるクリスの身長は、随分高くなっていた。すっかり大人に見えるその顔を、なぜだか、まともに見上げることができない。
「すみません…」
震える声に、クリスが怪訝そうにしているのが雰囲気でわかる。何か言われるかと思ったが、彼は特に何も聞かずに、自分の外套をアルフォンスに羽織らせてくれた。
「お前、今度こそ揺籠に帰れよ。向こうに知らせは出しておいた。じきに迎えを寄越してくれるだろう」
言いながらクリスは歩き出す。歩き出しながらそっと背中を押され、アルフォンスも促されるままに歩いた。
ざくざくと二人分の足音だけが辺りに響く。
夕闇はとうに過ぎ、空には月が出ていた。
中庭の東屋からクリスの執務室まではいくらの距離もない。綺麗に磨き上げられたガラスのはめ込まれた小さなドアが見える場所までやってきて、アルフォンスは立ち止まった。
何事かとクリスが振り返る。
白銀の軍装にターコイズの髪がよく映えて綺麗だなと、アルフォンスは場違いなことを思った。
「クリスは、どうするんですか」
「俺は残るさ。今や王様だからな」
「それで、どうするんです」
「それを聞かれると頭が痛いな。シクザール相手に単騎で殴り込みと言う訳にもいくまい。まあ、こちらの転移門を壊して足止めするくらいはやってみせる」
「それで、どうなるんです」
「うちの民は東方で生活する。国は無くなるが仕方ない。死ぬよりマシだと思ってもらう他ないな」
「それで、クリスはどうなるんですか」
「なんだ、やけに食い下がるなお前。俺は、そうだな。どうなるんだろうな? シクザールの皇帝陛下が俺に一目惚れでもしてくれれば、後宮入りも夢じゃないかもしれないな?」
ドアに手をかけたまま、クリスはそうやって軽口を叩いた。
知らず知らず、アルフォンスは肩から羽織った外套をきつく握りしめた。成長したクリスの体格に合わせた外套は大きく、丈も豊かにとられている。小柄なアルフォンスでは裾が地面に擦りそうだ。それを握り締め、じっとクリスを見つめた。
「そんな顔をするな。俺は大丈夫だよ」
「いくら僕でもそのくらい嘘だとわかります」
大丈夫なはずがないのだ。
「早く入れ。俺が寒い」
そう言ってふわりと笑うものだから、アルフォンスはそれ以上何も言うことができずに、ただ外套を握り締めたままで俯いて、言われた通りにするしかなかった。
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