第11話 羽化

 襲撃の心配をせずに済む一日は随分と慌ただしかった。

 崩れた城の外壁を修繕し、負傷者を治療し、大きく崩れた隊のいくつかは別部隊に組み込まれて編制が行われ、それと同時にシクザール軍の陣営を警戒した巡回が陸と空の両方から行われた。哨戒のつもりか、血気流行った遊撃隊なのか、2度程小競り合いのようなものが発生してはいたが、深追いをせず障壁内へと引き返すグランベル軍に対してシクザールが取れる手段は大して無く、近寄れば障壁からの雷撃があることもあって、せいぜい遠くから挑発の為に魔法弾を試し撃ってみる程度で済んでいる。

 一日中、忙しく側近達や竜騎兵団に指示を出し、また、他国からもたらされる情報に逐一目を通して過ごしていたクリスが、ようやく一息つけたのは夜になってのことだった。

 アルフォンスは何ができる訳でもなかったが、指南役という立場でずっと付き従っていた。特に口を挟む訳でも、クリスがアルフォンスに意見を求める訳でもなかったのだが、側近達も竜騎兵達も、そこにアルフォンスが居ることを誰も咎めはせず、むしろ居ることが当たり前のように振舞っている。それが少しばかり、アルフォンスには不思議だった。

 それまでのせわしなさと打って変わって静かになった部屋は、妙に広く感じる。

 東方風の仕切り具に遮られた向こう側で、ぽちゃり、と水音がした。

 バスタブいっぱいに張られた湯にクリスが身を沈めているのだ。ただの湯浴ゆあみという訳ではない。高濃度に魔素を圧縮した、いわば液体エーテルとも言える代物で、魔導師にとっては魔素の循環を早めて体を修復する作用がある。それ自体が魔力を帯びているためか、魔法を扱う者の中にも悪酔いや眩暈のような状態に陥る場合がある。

 魔法を扱う者でさえ酩酊や眩暈を引き起こすのだから、当然、側近をはじめとする『人』達は部屋から遠ざけられていた。

 アルフォンスはと言えば、一日付き従っていたものの、やはり掛ける言葉を見つけられずにいた。ただ、黙って傍に居るだけの自分を腹立たしくも、情けなくも思う。

「なあ」

 衝立の向こうから、クリスが呼びかける。

 傍に来いという意味ではなく、何か話したいのだろうと判断して、アルフォンスは次の言葉を待った。

「お前の所為じゃないぞ」

 そう言われてアルフォンスは一層押し黙った。

 何のことかを確認せずとも判る。

「お前のことだから、どうせ気に病んでるんだろ。自分があのまま魔法陣を展開できてれば、とか。そんなくだらないことを考えて、それで責任を感じてるんだろう?」

「……。違い、ますか」

「ああ、違うよ。魔法陣の展開を中止させたのは俺だ」

「それは…」

 自分が、上手くできなかったから―――と言いたかったのに、言葉が喉の奥に張り付いたようで、何も話せなかった。無言術でもかけられたかのように、何も。

「魔導師だろう、甘えるな。お前が引き継いだならちゃんとやれ。って、俺は命令することもできたよ。でもそれをしなかった。中止させたのは俺だ。展開中の魔法陣から魔法士部隊を引き上げさせたのも俺だ。だから」

 だから、とクリスは言いかけて、そこで言葉を切った。

 ぶくぶくと子供がするように鼻先まで水面に浸かって、息を吐く。

「父上を殺したのは、俺だよ。お前じゃない。だから気に病むな。お前の所為なんかじゃない」

 違うよ、と念押しするようにクリスは繰り返した。

「それは違う!」

 反射的に、アルフォンスは叫んだ。

 衝立の向こうから、なぜか、くつくつと笑い声がする。

「ようやくしっかりしゃべったな? 声を失くしたかと思ったぞ。でも違わない。お前の所為じゃない。大丈夫だ、誰もそんなこと思っちゃいないよ。だから安心しろ」

「何が安心なのですか。僕が……僕が」

 その後が、続けられない。

 言葉が嗚咽に変わり、嗚咽が涙に変わっていく。

「どうしてお前が泣く。勘弁してくれ、俺は泣かれると弱いんだ」

 参ったなと呟くクリスの声が聞こえた。

 馬鹿みたいに泣けて、アルフォンスは両手で顔を覆った。目を開けてもまるで水の中に居るように何も映らない。自分の中にこれ程の強い感情が在ったのかと思う程に後悔と申し訳なさと不甲斐なさと謝罪の気持ちが溢れて、それが涙になって流れていく。頬を伝う涙は途切れもせず、拭おうとも、抑えようとも、溢れて流れた。

「こら、泣くなって。おい。俺は慰め方なんて知らないんだぞ」

「あなたに慰めて…もらわなくても…」

「ずびずび泣きながら何言ってんだ。良いから泣きやめ」

「僕が、ちゃんとした魔導師なら、中止しなくても良かった」

 途切れ途切れに、途中で何度もしゃくりあげながら、やっとのことでアルフォンスはそう伝えた。

「ちゃんとしたって何だ。お前は確かに魔導師は向いてないだろうが、ちゃんと魔導師だろ」

「僕は、欠陥品ですよ」

「へぇ? どうしてそう思う」

 どうしてそう思うの―――ツェツィーリアの口癖を思い出し、アルフォンスは胸にズキリとした痛みを覚えた。

「僕は…」

 言い淀み、そして、溜息と嗚咽を交互に繰り返した。

 クリスは急かしもせず、促しもせず、黙って続きを待っている。

「僕は、使命が……わからない」

「使命?」

「魔導師は、生まれながらに自分の使命を、理解しているのだと言うんです」

 始祖の魔導師は極めて少ない。

 多くの魔導師は、魔導師と魔導師の間に、或いは、魔導師と人との間に成された子だ。だが稀に自然発生する魔導師が居る。これを始祖の魔導師と呼ぶ。始祖の魔導師は水晶の花によって護られ、その花に抱かれるように育った宝珠の中に発生する。彼らの姿は人に良く似ているが、その生まれ方は生き物ですらないのだ。

 そうして生まれた始祖種は、生まれながらにして魔導の理を体得し、自らの使命を理解しているのだと言われる。

 だが、水晶の花に護られて生まれたはずのアルフォンスは、この数千年を生きても尚、自分の使命が何であるのか―――その片鱗を掴むことさえできていなかった。

「僕には、自分の使命がわからない。だからきっと、欠陥品なんです。僕は出来損ないで……だから、本当に、魔導師には向いてない」

 自らの力の大きさだけを、実感として理解している。

 恐らくは生まれてすぐの頃に大きな力をふるったことがあるのだろう。それこそ大地の形を変える程の力を。どこまで魔力を籠めればそこに到達するのかの感覚は明確に残っている。どうすればそれだけの力を発揮できるのかも。

 それが、恐ろしい。

 それ程の力を持ちながら、真実、始祖種だという自信がありながら、使命の欠片も解らない。

 自分が出来損ないなのだと告白するのは、辛かった。

 静かに、クリスは水音のひとつも立てずにそれを聞いていた。

 ゆらりと魔素の流れが大きく揺らめく。高濃度に圧縮された魔素がすぐ傍にあるにも関わらず、その揺らめきは明確だった。

「なあ、アル」

「……なんです?」

「俺はさ、王に向いてると思うか」

 その静かな問いかけに、アルフォンスは明確な意思を以って「はい」と答えた。

 クリスは良い王になると確信している。たった一年しか過ごさなくても、否、たとえ過ごしたのが一日だけだったとしても、彼はきっと良い王になるのだと心からそう思えた。

「良い王になれると、そう思うか」

「もちろんですとも」

 ゆらり、とまた魔素が大きく揺らめいた。

 衝立の向こう側が仄かに明るくなったようにも感じて、アルフォンスは思わず仕切りの為に垂らされた絹の織物に手をかけた。

 バスタブいっぱいに張られた湯に身を沈め、天井を向いたまま、クリスは目を閉じていた。

 その輪郭が僅かにぼやけている。

 正確には、二重写しのように見えている。

 ゆらゆらと揺らめく魔素の流れが光を帯びて、まるでクリス自身が発光するかのように金の光に包まれているかのようだ。

「だったら、お前の使命は、俺が良い王になるかどうかを見定めることだよ」

 そう言って、クリスはゆっくりと目を開ける。

 金色の光の中に苛烈な赤い瞳が際立った。

「出来損ないの魔導師を雇ってくれる王様なんて奇特だろう。有難く思えよ?」

 わざとらしく軽口を叩いて、ざあっと大きな水音と共に立ち上がる。

 揺らめく魔素が一層濃くなり、クリスの輪郭が一瞬、蜃気楼のように透けた。

 その輪郭が再びくっきりとかたどられると、そこには、年の頃なら二十歳を少し過ぎた頃の、若き王の姿が在った。

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