第10話 父王の死

 それは、不思議な光景だった。

 アルフォンスの周囲を、まるで水の中の泡のように球体となった光の帯が取り囲む。それらの光は均衡を取り戻した魔法陣と繋がって、ひとつの大きな流れを作り出していた。魔法陣から時折放たれる強い放電のような光が、まるで意思を持つかのように氷魔を撃ち落とす。

「蹴散らせ、近寄らせるな!」

 空に向かって叫ぶ竜騎兵達の雄叫おたけびが一層強くこだまする。

 勢いに乗じて攻勢に転じた竜騎兵達は次々とシクザールの氷魔を撃墜し、徐々に、第2障壁の向こう側へと敵を追い遣って行く。東西南北、それぞれの見張り塔でも同様に、立ち昇る光柱から落雷のような一撃が発せられていた。

 今や、アルフォンス自身と、彼を取り囲む光の球体との間に激しい放電現象のような火花が散っている。極めて濃度の高い魔素が発する摩擦音のために、周囲には獣の唸り声のような低い音が響いていた。

「見つけた、これが最後の楔」

 言うが早いか、アルフォンスはすいと右手を前へ伸ばし、しっかりと指先を広げて宙に置く。そこに、何か、見えない魔導書があるかのように、そこに掌を添えているかのように、ぴたりと静止させた。

 目を閉じて、大きく、ひとつ深呼吸をした。

 ゆっくりと息を吐ききって、数秒。

 アルフォンスが目を開いた次の瞬間、取り囲む光の球体がアルフォンスを軸とした魔法陣に転じ、それと同時に、美しい魔導文字が記された魔法陣が幾層にも重なって顕れ、そこから光のが遥か上空を目指して吹き抜けるようにして昇っていった。実際、障壁が展開される付近では強い突風がシクザール軍、グランベル軍の双方を襲った。

「総員退避!障壁内へ退避せよ!」

 竜騎兵が警笛を鳴らして飛び回る。

 数匹の黒竜が空中でを踏んで、障壁からの衝撃を何とかかわす。

 カーン、カーン、と高らかに鐘を打ち鳴らすような音が響き、グランベル城の上空、遥か彼方に金色の輪が広がり、それがきらりきらりと粉の様に霧散する。それと同時に魔法陣の展開が完了した。

「退避、退避!」

 声高に叫びながら障壁内に戻って来る竜騎兵達は何の抵抗も感じない。

 だが、彼等を追って飛び込もうとする氷魔はバチバチと火花を散らす半透明の壁に行く手を阻まれる。落雷のような一撃を受けて前の一騎が落ち行くと、それに続こうとしていた氷魔が怯むのが見えた。シクザールの騎手は暴れる氷魔を無理矢理障壁の方へと進ませたが、やはり、障壁に触れるとそこに半透明の壁のようなものが浮かび上がり、シクザール軍の行く手を阻んでいる。

「アル!」

 タンっと軽い足音を響かせてクリスが黒竜から飛び降り、その勢いのまま駆け寄って来た。

「よくやった、ありがとう」

「いえ…僕は」

 大したことを、していない―――そう言いかけて、言葉を飲み込んだ。

 軽い疲労感がむしろ心地良いとさえ感じるのが不思議だった。

 軽い、と思っているのにも関わらず、体はぺたりとその場に座り込んでしまう。近くに詰めていた近衛兵が慌てたように横から体を支え、ふわりと外套で包んでくれた。

「久しぶりで疲れたんだろ。少し休んだら広間に戻れ。お前達、警戒を怠るなよ」

「殿下はどちらへ」

「残りを撃ち落として、俺も広間に戻る」

 クリスは言い残して再び黒竜に跨り、空へと戻っていく。

 城壁の向こう側、下方からは退却を指示する警笛が鳴り響いている。地殻を貫いて展開された障壁だ、地上でもおそらく、同等の効果は発揮できているはずである。だがアルフォンスは絶えず鳴らされる退却の笛にぞわぞわとした胸騒ぎを感じていた。

 じっとりと汗ばんだ手を無意識に握る。

「もう、大丈夫です。広間へ戻りましょう」

 数度深呼吸を繰り返し、アルフォンスは立ち上がった。

 心配そうな近衛兵に微笑んでから、小さな木戸を潜って城の大広間へと向かう。途中途中で負傷した者に軽く応急処置を施し、厨房にも寄って、包んでくれた昼食の礼を改めて伝えた。

 そうして、大広間に辿り着いた頃―――そこには、ただ沈黙だけが広がっていた。

 数段高くなった所に据えられた玉座は、玉座と呼ぶにはあまりにも質素で、こじんまりしている。グランベルという国の王達がいかに民と道を同じくしようとしてきたかの表れだ。

 その質素な玉座の前に、簡易なむしろのような敷物を重ねて、青白く、固く唇を結んだままの姿でバルトロメウスは安置されていた。

 おそらく、正門方向から戻ってきたのだろう、大広間の出入り口から真っすぐ進んできたらしいクリスは、僅か数段の段差の前で立ち尽くしていた。握り締めた指先は血の気も引いて真っ白になっている。

「棺を……ご用意申し上げよ。それと、陛下をご自室へ。いつまでもこのようにはしておけない」

 絞りだすような声はさして大きくはなかったが、静寂に包まれた大広間でよく響いた。

 弾かれたようにして側近達が上等な毛織の絨毯を手に駆け寄り、王の遺体をそっと乗せ、そこに絹の織物を被せて6人掛かりで運んでいく。

 それを、アルフォンスは瞬きするのさえ忘れて、じっと見ていた。

 静寂の中で誰かのすすり泣く声が聞こえた。

 固く握りしめられた指先の、その白さをただじっと見つめ、アルフォンスは必死に言葉を探していた。だが浮かぶ言葉はどれも皆、違っている。

「クリス……」

 結局、ただ、名を呼んだ。

 呼びなれたその名前だけを。

 ゆっくりと顔を上げて、クリスはなぜかふっと微笑んだ。

「アルか。もう大丈夫か?」

 この上なく気丈に、この上なく優しく、今、最も辛いはずの彼はそう言った。

「僕の……ことなど」

 言いかけて、アルフォンスは口を閉ざしてしまった。

 かけるべき言葉が見つからない。

 何を言えば良いのか、本当にわからなかった。

 なぜ―――そればかりが頭をよぎる。

 そうやってただ呆然と立ち尽くすアルフォンスの前で、クリスは実に手早く、側近に指示を出していた。傷病者の手当てを言いつけ、軍属している者については交代で休息を取るよう指示を出す。

 幸い、アルフォンスが起動した多重展開の障壁は良く機能しており、シクザール軍としても障壁の突破は無理と見たらしく、追撃を警戒しつつ徐々に退却しつつある。とは言え撤退する訳ではなく、あくまでも一時的なものだろう。

 一時的ではあっても、グランベルにとって、この障壁がもたらしたものは大きい。

 クリスが竜騎兵団へ空からの定期的な巡回を指示した頃、東の空には太陽が見え始めていた。

 

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