第8話 立体魔法陣の構築

 グランベルには内外2つの環状城壁が築かれている。

 外側、つまり外環に沿って構築された魔法障壁を第1障壁と呼び、郊外の商業地を挟んで内側の城壁、つまり内環に沿って構築された障壁を第2障壁と呼ぶ。この第2障壁よりも内側が『城下』であり、極一部の例外を除けば、グランベルの民は城下で暮らしている。

 2重に障壁で守られている城下は、見た目よりもずっと広い。

 その居住区のほとんどが地下へ伸びているからである。

 だが今、広大な地下を有する城下のどこにも、普段の賑わいも、人の笑い合う姿も見ることができなかった。螺旋状に城へと続く大通りには近衛兵が並んでいる。人々の憩いの場として存在していた広場には、松明と共に野営陣が敷かれ、魔法士部隊とその警護を務める兵達が準備を進めていた。

 第1障壁が破られた、との報せを受け、第1、第2と両立させていた立体魔法陣を解き、地脈を統合させて第2障壁のみを単独で展開する為である。多重展開方式と呼ばれる術式を採用する為、完成すればそれだけ強固なものになるが、その分、展開完了までにかなりの時間を要する。

 現在の障壁を解いてから再構築するまでの時間、グランベル軍は魔法士の助け無しに迫りくるシクザール軍を食い止めなければならない。

 地上からは南門を本陣として、グランベル王、バルトロメウス本人が先陣に立っている。東西南北に位置する見張り塔の各所に警護が付き、多重展開の要となる中心部、城の最上階の部隊には、クリス王子率いる竜騎兵団が付く手筈になっていた。

 第1障壁の完全消失と共に、シクザール軍、グランベル軍双方から高らかに進撃が合図された。城壁すれすれに飛び交う空中戦を幕開けとして、地上でもシクザールの大群が雪崩れ込む。

 アルフォンスが聞いた警鐘はこの合図だった。

 ひゅん、と空を切る音と共に脇を過ぎた弓矢は、すぐ傍の城壁に刺さった。夜を焦がすかのような熱気が頬を撫でる。

 ふつふつと、自分の中に何かが煮え滾るような感覚をどこか冷静に感じ取りながら、アルフォンスは城壁に刺さった弓を力任せに抜き取って床に投げ捨てる。

 頼りない薄膜のような障壁は消え失せ、このグランベルの上空を我が物顔で氷魔が飛び交っている。てらてらと濡れたように見える体躯をくねらせ、青白い燐光を纏ったそれが宙を駆けるのを目で捉える。かあっと大きく口を開いたかと思うと、遥か上空から氷の弾が飛んできた。

 アルフォンスは氷弾の群れを、外套を僅かに払って跳ね返す。

「魔導師様!」

 ご無事ですか、と声を掛けられ、アルフォンスは苦笑した。クリスだけではない、この城の者達は誰でも自分を『ただの少年』のように心配するらしい。

「クリスは?」

「殿下でしたら、城の最上階に。障壁展開の本陣があちらにございます」

 促されるままに目をやれば、なるほど、あちらでも熾烈な空中戦が繰り広げられているらしい。青白い氷魔と違って、クリス率いる竜騎兵団のほとんどは黒竜種に騎乗している。鋼のように磨かれた鱗は、黒の上に七色を宿して夜の闇によく紛れる。それ故に人の目には、特に夜間は、彼等の姿を捉えることは難しい。

 だがアルフォンスの目には高速で飛び回る竜騎兵の姿がはっきりと映っていた。

 まるで曲芸飛行のように錐揉みながら宙を駆け、氷魔の間を縫うようにすり抜けては強烈な一撃を加え、ひとつ、またひとつと確実に撃墜していく。騎乗する氷魔を失って空を落ちて行く兵、氷魔から振り落とされる兵、或いは、騎乗する者を失い自らも撃墜される氷魔の姿を目視して、アルフォンスはほうっと安堵の息をつく。

 それから改めて、南の平原を見遣った。

 眼下に広がる数万の軍が波のようにうねる。熱気なのか、何なのか、噴き上げるような風が頬を撫でつけ、アルフォンスの心をざわつかせる。

 数で言うならば、半分にも満たない。

 だがグランベルは自らの領地である郊外を上手く利用し、敢えて隘路の形を取ることでシクザール軍との全面対決を避けていた。とは言え相手に物量があることは確かである。

 固唾を飲んで戦況を見守っている中、アルフォンスの背後でごおおっと轟音が響いた。

 東西南北に位置する見張り塔から、そして、第2障壁を形成する城壁の各所から、大型立体魔法陣を構成するための光柱が立ち昇ったのだ。地中から噴き出す間欠泉のようにも見えるそれらの柱は、天高く、空を貫くように真っすぐ昇っていく。

 同時に、各所に配置された魔法士同士が光の楔で繋がっていくのが見えた。か細い光は次第に太くはっきりとしたものになり、繋がり、組み合わさった光から、まるで生き物のように、滑らかな魔導文字が浮かび上がる。

「来るぞ! 魔法士達を守れ!」

 警告の声と共に竜騎兵達が空へと舞いあがる。

 その声に一瞬、気を取られた。

 次の瞬間にアルフォンスが見たのは、視界いっぱいに広がる氷魔の顔である。

 鱗のない、ぬらぬらとした体躯。目は退化し、白く濁っている。絶えず周辺の熱を奪う為、その体表付近の空気が凍てつき、パラパラとした氷の粉が生み出される。

 騎乗しているのは女だった。

 それも不思議なことではない。シクザールは女優位の社会構成をしている。家督の相続権をはじめ、選挙、兵役、爵位拝領まで、すべてが女だけに許されているのだ。男達は若いうちから上位である女貴族に気に入られることで、安定した生活を手に入れる。

 このような前線に立っているからには、貴族ではなく、兵役のある平民なのだろう。

 氷魔に騎乗する、その女と目が合った。

 アルフォンスの紅茶色の髪がふわりと浮き立つ。

 後ろから、魔導師様をお守りせよ、と近衛の誰かの声がしたように思えた。まったく―――と、苦笑する。

「許せ」

 短く詫びて、指先ひとつ動かすことなく高濃度に圧縮した魔素を叩きこんだ。

 魔法を用いる為の詠唱すら必要なかった。

 体の半分を消し飛ばされて、シクザール兵が氷魔から落下する。主を失ったことがわかるのか、半狂乱を起こしかけた氷魔の背に飛び乗り、腰に佩いた直剣をスルリと抜いて首を切り落とす。浮力を失った氷魔を蹴って城壁へと戻って、アルフォンスは何でもないように、剣を振って青い血糊を払った。

 瞬く間の出来事である。

 守れ、と駆け寄ろうとしていた近衛兵達が唖然としているのがわかった。

「呆けている場合ではありません。魔法士達を守りなさい」

 その言葉にはっとしたかのように、兵達が頷いた。

 障壁の展開が完了するまで、魔法陣を維持し続ける必要がある。魔法士はその要であり、誰かひとりを失えば魔法陣は機能しない。シクザール側とてそれがわかっているからこそ、光柱の立つ場所への猛攻を仕掛けるだろう。案の定、暗闇の向こうから氷魔の大群が陣形を保って突撃してくるのが見えた。

 狙いは中央、城の最上階だろう。

 腰に巻いたベルトから下げた、いくつかの魔法石を無造作に引きちぎった。それらを空中へ放り投げると、まるで氷が水に溶けるように空中で消えた。どこか楽し気に笑う精霊達の声がする。

『大盤振る舞いだわ』

『張り切っちゃう』

『あれね、いやな人達』

『見て、飛竜がいるわ。私、あの子達が大好き』

 口々に、助けてあげる、手伝ってあげる、と言い放ってから、一陣の風を残して四方へ散っていくのが見えた。

 アルフォンスはさらに指先で宙に魔法陣を描き、数体の使い魔を呼び寄せる。

「お前達も。できる限り数を減らして欲しい」

 人が視認できる濃度で実体化した使い魔は、大きく羽根を震わせた。炎を纏ったように赤い孔雀の姿は、夜空の中では極めて目立つ。だが、かえってそれが自軍への奮起に、敵軍へは恐怖に繋がるだろう。

 ばさり、と大きくひとつ羽ばたきをして夜空へと舞い上がる姿を見送った。

 そうして、城壁を蹴った。重力を失って落下するアルフォンスの体を包み込むように眩しい魔法陣が発動する。先程の使い魔よりも更に大型の、燃えるような孔雀が翼を広げてするりと下に潜り込んだ。温かく柔らかな羽毛に支えられる。

「城へ」

 ひと言告げると、孔雀は心得たとばかりに上昇を始めた。

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