第5話 古き友の言葉
ふわりふわりと、足元に枯葉が舞っている。
赤や黄色に色づいた木々が風に騒めき、なんだか物悲しいような気分になる。枝から切り離されてしまった葉のひとつひとつが、かさり、かさりと乾いた音を立てて、招くでも拒むでもない、ただそこに在るだけの森が広がっている。
夢を見ているのだろうか―――と、アルフォンスは独り
おそらく、夢を見ているのだろう。
さして代わり映えのしない、けれども、今よりもずっと若々しい自分の姿が見えたからだ。自分の姿を、誰か他の目を借りているかのように見ている。
だから、きっと、これは夢なのだ。
「また人里へ行っていたの?」
どことなく咎めるように、夢の中のアルフォンスは言った。
その視線の先、言葉を向けた相手であろう、年若い魔導師はくすくすと愉快そうに笑っている。
細かく巻いた髪は豊かに黒く、くるくると表情をよく変える瞳はそれより少し焦げ茶がかった
魔導師らしからぬ格好だ、とアルフォンスは思う。
だが、同時にとても彼女らしい。
ツェツィーリアと呼ばれる、若い魔導師である。
若いとは言っても200歳をゆうに超える。正確な年齢はわからないが、ここ50年程、なぜか彼女は頻繁にアルフォンスに会いに来ていた。
幾分、来客は億劫ではあるのだが、人の世と隔絶された魔導師達が『同類』を求める心情を彼はよく理解していた。だからこそ魔導師に限れば、来客はなるべく受け入れるようにしている。先達としての務めと言えば務めであるし、アルフォンス自身もまた、同類を求める心情がどこかに残っているのかもしれない。
「やあねえ、人里へ行ったからって、そんなに露骨に不機嫌にならなくっても、良くない? 眉間にしわが寄ってるわ」
ほらここ、と彼女は無遠慮にアルフォンスの額にぐいと人差し指を押し付ける。
「ツェツィ」
今度こそ明確に非難の意図を込めて、彼女の名前を呼ぶ。
払われた手をひらひらと振って、ツェツィーリアはなぜか愉快そうに笑っていた。
「ねえ、アルもたまには行ってみない? 来週お祭りをするんですって! きっと楽しいわ、焚火をするのよ。塩漬け肉とキャベツを黒パンで挟んで、それを焚火で焼くって言うの。ね? 美味しそうでしょう。ねえ、どう?」
放っておくと、彼女はずっと話し続ける。
アルフォンスが良い反応をしないことに業を煮やしたのか、ツェツィーリアは「ねえってば!」と、鼻が触れ合うかと思う程に顔を寄せた。ただし、空中で逆さになって。
「ばあ!」
「ツェツィ!」
空中でくるりと器用に体勢を立て直し、彼女はまた楽しそうに笑う。
「君はさぁ…どうしてそう、落ち着きがないの?」
「さあ? 若いからじゃない? アルは子供に見えるけど、おじいちゃんだものね! ねえ、実際いくつなの? 千年は超えたのでしょう? いつから生きてるの? 揺籠には行ったことがあるの?」
「僕の個人的なことはどうでもいいだろう。年なんて僕もわからないよ」
「え~~~~~、つまんない! だいたいで良いのよ? 国の名前とか、有名な王様の名前とか、そういうのでだいたい、どのくらいの時間が過ぎたかわかるでしょう」
「興味がない」
「まったくもう。朴念仁なんだから」
彼女は言って、ぷうっと頬を膨らませる。
どちらが子供に見えるのか……と、アルフォンスは頭痛を感じた。
ツェツィーリアは風に愛されている魔導師だ。風に、空に、深い繋がりがある。その結びつきの強さは異例とも言える程で、彼女はまるで水の中を泳ぐように空を駆けることができた。空を駆る獣や、精霊の力を借りることができる魔導師は数多くいるが、他の媒体無しに、その身ひとつで自由自在に宙を泳ぐことができる者をアルフォンスは他に知らない。
同じことができるとすれば、魔導師の中でも頂点とされる、最も神に近い、或いは既に神の領域に居るとすら言われる大魔導師その人ぐらいだろう。
それ程に優れていながら、彼女はなぜか人に関わりたがる。
儚く、脆く、瞬く間に過ぎ去って消えて行く者達と共に居たがる。
「ツェツィ。何度も言うけれど、僕達は人と関わるべきじゃない」
「どうしてそう思うの?」
「時間が異なる。彼等と、僕達では、時の流れを同じにできない」
人はすぐに姿を変える。
生まれた子が瞬く間に大人になり、また、瞬く間に年老いて、そうして消えて行く。
魔導師と魔導師ならば、やあ久しぶりと声を掛け合うことができる。それが例え100年間が空いていたとしても、魔導師にとっての100年など『この間』の出来事なのだ。
だが人は違う。
100年経てば、人は消え、下手をすれば国も変わる。
人の世界に身を置いたとしても、彼等の過ごす、激流のような時間に魔導師は含まれていないのだ。いつも置き去りにされて、取り残されて、そうやって失った悲しみだけを背負っていく。
「なぜ、わからないの」
年若い魔導師に、アルフォンスは僅かに苛立ちを覚えながら言った。
魔導師にとって人と過ごすことは悲劇だ。それが、なぜ彼女に伝わらないのだろうか。
「わからないわ。アルは人を見縊っていると思う。あなた、人は脆くて弱くて儚いと思っているのでしょう」
「……どういうこと?」
「人はとても強くて、情熱的な生き物よ。何もかもそうやって諦めてしまいがちな魔導師とは違ってね。一瞬一瞬をとても必死に生きて、私にはそれが眩しくて、とっても愛おしい」
にっこりとツェツィーリアは笑う。
その笑顔が、眩しいと思う。
「そりゃあね、ひとりの寿命は短いわよ。せいぜい50年かそこらよね。もっと早くに消えてしまう人もいる。だけど人は繋がっているの。とても強い結びつきよ? 消えてしまった人のことを、覚えている人がいるわ。私を見れば、それを思い出して、まるで昨日のことみたいにお話できるの。魔導師とのお話も楽しいわよ。でも、みんな『今』しか知らない。或いは『これから』しか見てない。魔導技術の研究だとか、新しい立体魔法陣の組み方とか、それはそれで楽しいけれど、思い出を大切に共有する生き方は人にしかできない」
ねえ、と彼女は振り返る。
水の中を泳ぐように宙に留まるその姿を、アルフォンスは人魚のようだと思った。
「人の強さを、信じてあげて。あなたが思う程、人は脆くも儚くもないわ」
その声が、水の中にいるようにくぐもっていく。
足元から吹き抜けていく風に、枯葉が舞いあがる。
枝から切り離された葉のひとつひとつが、かさり、かさりと乾いた音を立てて、アルフォンスとツェツィーリアの間を隔てるように視界を埋めて行く。
まだ、話していたいのに。
手を伸ばして、彼女を掴みたい。
今もなお迷っている自分に、彼女なら何と言うのだろうか。そして、どう笑うのだろうか。
手を、伸ばした。
これは夢だ。だから彼女が自分の手を掴むことなどあり得ない。それが解っていて尚、伸ばさざるを得なかった。
何か確かな繋がりを。
伸ばした手を掴み、握り返す何かがあれば、それを感じられるかもしれないと思ったからだ。そんなものはあり得ないと理性が笑う。何千年と生きて、確かな繋がりなどという、曖昧模糊とした不確定なものを1度でも感じたことがあったか、と。
そう思ったというのに。
ふいに、自分の手を握る何かが、この意識を
吹き抜ける風に似たものが、自分を空へと連れ行く。
起きなければ―――アルフォンスはようやく、重い意識の蓋を開けた。
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