第3話 邂逅
中央世界の中央に位置する大陸の、ど真ん中に広がる大きな砂漠よりも少し北東に外れたところ―――自らを『弱小』と言い切って憚らない国、グランベルがそこにある。
北には大国シクザール、東にはこちらも大国、海蛇の背と呼ばれる連合国家が位置し、南には複数の国がひしめき合って、グランベルにとっては休まる場所がない。特に北のシクザール帝国とは険しい山岳地を境にして密に接しており、氷帝と呼ばれるシクザールから見れば、グランベルはまさに南方へと降りるための補給地点の要となる場所だった。
そのような立地条件であるから、当然ながらグランベルとシクザールは過去に幾度も戦線を張り合った歴史がある。グランベルが滅亡の危機を免れているのは、代々のシクザール側の恩寵に他ならない。それこそ奇跡的に首の皮1枚で繋がっている、と言える。
長くその幸運を掴んできたグランベルではあったが、当代の王、バルトロメウスはその命運が遂に尽きかけているのだと認識していた。長らく友好関係を築いてきた当代シクザールの皇帝が崩御され、慣例に従って、シクザールの末娘であるマクダレーナ皇女が新皇帝として即位したからだ。穏健派であったこれまでの皇帝と違い、マクダレーナは急進派、しかも、その中でも極めて武闘派として有名な人物であった。
バルトロメウスはそっと溜息をつく。
柔らかな日差しの中、庭の散策に出た愛息の背中は小さく、ほんの
特別な力を宿して生まれたとはいえ、それが将来的にはこの国を護る要となると確信しているとはいえ、王として、また父として、不安がまったくないと言えば嘘になる。見た目とは裏腹に、聡い子であるのは確かだ。王子としての責任感もある。
だが、シクザールが世代交代をした今、いつ二国間での戦線が開かれるか。血気盛んな新皇帝のことだ、喪明けなど構わず攻め込んで来てもおかしくはない。
あのように幼い我が子に国を率いる責を背負わせなければならないことに、バルトロメウスは胸を痛めていた。頭では良く理解しているつもりでいるのだが、どうしても、妻の面影を残すあどけない顔を見ていると不憫でならない。
つい目頭を抑えそうになる王に、側近のひとりがそっと耳打ちをした。
告げられた報告に、バルトロメウスは「来てくれたか」と安堵したように顔を緩ませた。
「すぐに会おう。いや、こちらに案内を」
謁見の間など必要ないだろう。
相手は人ではない。遥か上位に位置する、魔導師なのだから。
バルトロメウスは側近に声をかけ、自らも出迎えるべく歩き出す。
回廊をいくらも進まないうちに向こうからやってきた少年と鉢合わせる。中庭で何やらしていたらしい王子にも声をかけ、よく手入れのされた中庭の東屋に客人と王子を通した。珍しい東方風の造りのそれは、八角の屋根から柱を伸ばした小さな場所である。
「よくおいでくださった。感謝申し上げる」
一国の王に頭を下げられることに、客人―――アルフォンスは慣れていない。揺籠の連中ならば日常茶飯事なのだろうが。
「陛下、どうぞおやめください。僕はそれ程の者ではないのですから」
そう言ってバルトロメウスを両手で押しとどめる。その様子を興味深そうに見遣って、王子はすいっと身を乗り出した。
「父上、こちらは?」
見た目よりも随分しっかりした声だ。
ごく薄くターコイズの乗った白銀に近い髪、同じ色の睫毛に縁取られた目は大きく、瞳は美しいラズベリー色をしている。角度によっては苛烈な赤にも見えるが、おそらく、魔素の循環がどこかで滞っている所為だろうと思われた。
体内を巡る魔素量は多いのに、それが上手く開放されていない。
じぃ、とアルフォンスは王子の様子を観察していたが、王子の方もまた、アルフォンスを同じように観察しているようだ。大きな目が興味深そうにアルフォンスの結節点を辿っているのがわかる。
良い目をしている、と思わず微笑んだ。
「こちらは、魔導師のアルフォンス卿だ。今日からお前の師匠となられる」
魔導師、と聞いて王子がひとつ頷いた。
「俺に魔法を教えてくれるの?」
「こら、礼儀を弁えて……」
慌てたような父王に、アルフォンスは首を振って笑って見せた。
「良いのです。私も、妙に畏まられるよりは、普段通り接してもらえたほうが気が楽で……」
そこまで言って、アルフォンスは王子に向き直る。
「そうだよ、僕は魔導師。君に魔法を教えに来た。名前はアルフォンス=ユーバシャール。こんにちは。君の名前を教えてくれるかな」
できるだけ優しく、そう伝えた。
優しくしなければと思ったのだ。それ程に、この王子はあどけなく、そして美しかった。
「こんにちは、アルフォンス。俺はクリストハルト。よろしく、魔導師様」
すっと伸ばされた小さな手を、アルフォンスはおっかなびっくり握り返した。
人は脆く、そして酷く弱いもの。
それを壊さぬように、細心の注意を払ってそっと、握手する。
その瞬間に、ふと胸の内に浮かぶ名前があった。かつて、種族も身分も省みず、唐突に人の青年に恋をしたと言って飛び出して行った、彼女の名前だ。
ツェツィーリア―――目の前の王子の中に、確かに、彼女の血脈が強く流れているのを感じた。
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