第3章 幼馴染み騎士【3】

 湯浴みを終えたあと、まだまだ不気味な空気の屋敷内を散策するのが私の趣味になっていた。もっと毎日、ともすれば数秒内に怪奇に遭うのかと思っていたけれど、残念ながら、怪異もまだ遠慮がちのようだわ。少し残念。

 バルコニーのカーテンが揺れている。矢先に怪異が待ち受けているのかと思ってウキウキしながらバルコニーを覗くと、ラヴァンドが外を眺めていた。少し残念。

 私がバルコニーに出て来た気配を感じたのか、ラヴァンドが振り向く。

「何か考え事?」

 ラヴァンドはとてもわかりやすい。その表情は、何か気に掛かることがあるのを如実に表していた。

「考えていたことがあるんだ。クリスティアン殿下は、大局を見ることのできる聡明なお方だ。そんな人が、なぜルヴィと婚約破棄したのか」

 またその話、と私は小さく息をつく。この生真面目な騎士は、一度でも気になれば考えずにはいられないらしい。

「アスタ嬢は確かに聖女だが、サフォーリア侯爵家との断絶は王室にとって打撃だ。クリスティアン殿下の行動が不可解でならない」

 すべてを知っている私からすると「攻略対象とヒロインだから」で片付けられる。けれど、現実はそれでハッピーエンドとはならないのだ。

「またその話。私にはもう関係ないわ」

「きみは何か知っていたのではないか?」

 呆れた男だわ。その話をしたくない、という私の意図に気付いていないみたい。

「きみはサフォーリア侯爵家の娘として誇りを持っていた。未来の国母に相応しい女性になろうと努力していた」

 私の目には、ラヴァンドがヒロインアスタに惹かれている様子は見られない。アスタに攻略されているなら、私にこんなことを言って来るはずがないわ。

「何より、きみはクリスティアン殿下を愛していた。それが、身分の低い女性との婚約を認めるなんて。こう言っては申し訳ないが、アスタ嬢は教養が高いとは言えない。あのとき、きみの行動次第で覆せたはずだ」

 真面目腐ったラヴァンドに、私は溜め息を落として見せる。

「殿下と私の関係は知っていたでしょう? 子どもの頃に決められた婚約。王室とサフォーリア侯爵家との繋がりのためのものよ」

「もちろん知っているさ」

「でも、クリスティアン殿下は私を嫌っていたわ。不仲ということも知っていたはずよ」

 ラヴァンドは口を噤む。返す言葉がないみたいね。

 クリスティアン王子とルヴィの関係は冷めきったものだった。クリスティアン王子はルヴィを嫌い、遠ざけていた。王子を愛していたルヴィはなんとか関係を改善できないかと努めていたけれど、どれも上手くいかなかったのだわ。

「それはそうだが……あんなにあっさり認めるなんて……」

「いいのよ。殿下がアスタ嬢に惹かれてくださったおかげで、私は未来の国母から解放されたんだもの」

「だが、殿下の行動は短絡的すぎる。魅了の魔法を疑わざるを得ないよ」

 実際にそうなのだとしたら、短絡的なのはアスタのほうだわ。こんな騒ぎを起こしてどうなるか、それを考えていないと言わざるを得ないわ。物語の通りにハッピーエンドで終わると思っていたなら、口は汚いけどおめでたいとしか言えないわね。

「それで? 私を連れ戻せと王室に命じられたの?」

 サフォーリア侯爵家との断絶は、王室にとって痛手。王子の婚約者に戻るのは無理だとしても、なんとしても私を連れ戻してサフォーリア侯爵家との繋がりを修復したいはずだわ。

「クリスティアン殿下は廃嫡になる。殿下が嫌なら……」

「悪いけど。私はどうあっても戻るつもりはないわ」

「……では、言い方を変えよう」

 ラヴァンドが真っ直ぐに私を見据える。こんな表情、世の乙女たちは胸が熱くなるに違いないわ。

「僕の妻として戻って来ないか?」

 あくまで真剣に言うラヴァンドに、私はまた溜め息を落とす。

「私はもしかして、怪異と喋っているのかしら。なに世迷いごとを言っているの? そこまでしてサフォーリア侯爵家との繋がりを修復したいのかしら?」

「僕がそうしたいだけだ。僕がきみを妻として娶りたい」

 ラヴァンドの表情は、その言葉が真実であるということを物語っている。どうやら、アスタはラヴァンドの攻略には失敗しているみたいね。

「それならなおさらよ。もしかして、もう寝ているの?」

「考えてみてくれ。きみをこんなところに置いて行きたくないんだ」

 確かにここは、貴族の令嬢が身を置くには劣悪な環境だと言わざるを得ない。私がサフォーリア侯爵家の娘というところを差し引いても、置いて行くのは気が引けるでしょうね。

「あのねえ……」

「お嬢様」

 かけられた声に振り向くと、ロランがバルコニーに出て来るところだった。その表情は渋い。

「せっかく湯浴みをされたのに、こんなところにいては体が冷えてしまいます」

「そうね。ラヴァンド、この話はこれで終わりよ。あなたも明日には帰るのでしょう?」

「ああ……。だが、気が変わったらいつでも言ってくれ」

 ロランの手前、ラヴァンドは話を続けることはできない様子で、すごすごと屋敷内に戻って行く。ロランが来てくれて助かったわ。

「だから言っただろう」

 ラヴァンドの姿が見えなくなると、ロランが私の肩を掴む。

「追放された悪役令嬢は溺愛されると」

 その表情は鬼気迫ってすらいた。ラヴァンドとの会話は聞いていたみたいだわ。

「どこから聞いていたの?」

「“クリスティアン殿下の行動は不可解でならない”からだな」

「随分と前から聞いていたのね。もっと早く出て来てよ」

「ラヴァンドくんの動向を探りたかったのでな」

 まさか実の父親にプロポーズを聞かれていたなんて、ラヴァンドには想像もできないでしょうね。この世界において、ロランはルヴィ付きの執事なんだもの。

「ねえ、パパ。私の結婚について、どう思う?」

 一般的に、父親は娘の結婚に厳しい視点を持っている。けれど、私はルヴィ・サフォーリア侯爵令嬢。結婚はきっと避けられないわ。

「お前が選んだ人なら認めるつもりだ。利用されるようなことがなければな」

 そう。貴族の令嬢には政略結婚が付き纏う。お父様が私の結婚を望むなら、私はそれを受け入れるつもり。あのお父様が、私を苦しめるような結婚を選ぶことはないでしょうし。

「自分ではどう思っているんだ?」

「積極的に結婚したいとは思ってないけど、サフォーリア家に利益があるならする価値はあると思うわ」

「そうか……」

 私がどこかの家にお嫁入したら、きっとロランとアンネッタも同行することになる。まさか実の父親が付いて来るとは誰も思わないでしょうね。

「実家と縁切りしたわけでもないし、侯爵家の繁栄に繋がるなら結婚するわ」

「お前が苦しむような結婚であれば、何がなんでも離縁させるがな」

「大丈夫よ。お父様の目は確かだもの。そんな結婚はさせないはずだわ」

 軽く笑って見せる私に、ロランは目を伏せる。

「お父様、か……。私がお前を守る父でありたかったよ」

 パパは私が小さい頃に亡くなった。私は結婚が視野に入る年齢まで生きたけど、パパが生きていたら、恋人を連れて行ったときにどんな顔をしただろう。このパパのことだから、きっと厳しい目で相手を見定めようとしたはずだわ。私のことをとても可愛がってくれたことは、いまでも憶えているもの。

「執事のロランだとしても、パパは私を守ってくれるはずだわ。少なくとも、そばにいてくれるだけで安心するもの」

「……そうか」

「安心して幽霊屋敷で暮らせるなんて、幸運な人生だわ」

 拳を握り締める私に、ロランは困ったように笑う。

「お前らしいな」

 いまの私が誰であろうと、私がホラー好きなのは変わらないし、パパがパパであることも変わらない。きっと、いつまでも何も変わらないわ。

「お嬢様?」

 アンネッタの声がする。外の風が冷たく感じるのか、ストールを体に巻いていた。

「こんなところでどうなさったんですか?」

「少し夜風に当たりたかっただけよ」

「はあ……。せっかく湯浴みしたのに、体が冷えてしまいますよ」

「そうね。そろそろ寝ましょう」

 ラヴァンドが何を考えているかを知ることができたのは僥倖だったわ。アスタに攻略されていないこともわかったし。アスタは初めから、クリスティアン王子に狙いを定めていたのだわ。けれど、あんな騒ぎを起こして、未来の国母になるどころか、クリスティアン王子との婚約が認められるかどうかさえ危うい。ゲームでは当然に存在する断罪イベントだけれど、ここが現実になったことまで考えていないのかもしれないわ。自分はヒロインだからすべて上手くいく……。そんなことを考えているのかもしれない。そうだとしたら、少し認識が甘いと言わざるを得ないわ。これ以上、ややこしいことにならないといいのだけれど。




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追放されたお気楽転生悪役令嬢は幽霊屋敷でお出迎え〜元軍人執事の転生パパは溺愛なんて許さない〜 加賀谷 依胡 @icokagaya

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