第3章 幼馴染み騎士【2】

「まずはエントランスね。屋敷の顔くらいは綺麗にしないと」

 この屋敷はどこもかしこもぼろぼろで汚いけど、人の往来が多かったからか、エントランスの傷みが一番に酷いみたいだわ。床もところどころ抜けているのが見える。掃除は慎重になる必要があるみたいね。

「こんな中で二晩も過ごしたのか……」

 エントランスをぐるりと見渡したラヴァンドが言う。屋敷の頽廃具合は想像以上だったらしい。

「きみがそんなに逞しいとは知らなかったよ」

「ええ。それにしても、掃除には時間がかかりそうだわ。早く済ませてしまわないと、肺を傷めてしまいそうよ」

「僕もしばらくこの屋敷に滞在して手伝うよ。必要であれば材料を採取して来る」

 意外な提案に、私は思わず目を丸くしてしまった。追放された悪役令嬢の私が、こんなに気に掛けてもらえるとは思っていなかったわ。何しろ、ラヴァンドは攻略対象のひとり。悪役令嬢とは敵対関係にあるはずだわ。どういう風の吹き回しかしら? もしかして、何か狙いがあったりするのかしら。それなら、警戒していないといけないわ。

「助かるわ。食料すら入手できなくなる可能性もある状態だったもの」

「役に立てるならよかったよ。サフォーリア家に少しでも恩を返せるといいんだが」

 サフォーリア家とラヴァンドの実家は昔からの馴染みがあって、シェッティル家を支援することもあったらしい。私はよく知らないのだけれど、ラヴァンドは私の実家から受けた恩で私を気に掛けてくれるみたいね。本当に義理堅い青年だわ。

「もう充分のような気がするけれど……」

「まだまだだよ。僕がサフォーリア家から受けた恩は、これくらいのことでは返せないさ」

「そう。相変わらずのようで安心したわ」

 目的が本当にそれだけなのかはわからないけれど、なんにしても男手が増えるのはありがたいわ。私たちでは床の修繕に必要な木材を採りに行けないもの。

 それにしても、こうして攻略対象「好青年」担当が爽やかに微笑んでいると、世の乙女たちが歓喜するのもよくわかる。私は推しではなかったからただの好青年に見えるけど、彼のスチルは確かに素敵だったわ。好感度が上がりやすいこともあって、王道と言えるようなルートだったかもしれない。誰にでも分け隔てなく優しい彼の中でヒロインが特別な存在になっていくところが人気だったのよね。

「きみがオカルト好きなのは知っていたが、幽霊屋敷への追放で喜ぶとは思わなかったよ」

「こんな機会、きっと二度とないもの。楽しまなくちゃ損よ」

「本当に逞しいな」

 本来の悪役令嬢であれば、追放なんて屈辱にはきっと耐えられなかったはず。私の転生は、悪役令嬢ルヴィにとっても好都合だったかもしれないわ。

 アンネッタとラヴァンドが離れたところでそれぞれの作業に取り掛かる中、私はロランに身を寄せた。

「これは私の予想でしかないけど、もしかしたらアスタも転生者かもしれないわ」

「だとしたら、攻略法もすべて知っていたということか」

「可能性でしかないけれど。攻略されたのはクリスティアン王子だったけど、きっと他の攻略対象もある程度、好感度は上がっているはずよ」

 すべてのルートをクリアしたプレイヤーなら、どのルートでも攻略できたはず。最終イベントまで到達したのがクリスティアン王子だっただけで、他の攻略対象も好感度を上げるためのイベントはこなしていると考えられるわ。

「だが、ラヴァンドくんも攻略対象だろう? アスタには興味がなさそうだが……」

「アスタにどれくらいヒロイン補正がかかっているのかはわからないけど、ラヴァンドはサフォーリア家に恩がある。そちらを優先したのかもしれないわ」

「だとしたらラヴァンドくんらしいな。味方がいるのは心強い」

 ラヴァンドは実直な青年。ヒロインへの好感度が上がっていたとしても、サフォーリア家から受けた恩を忘れることはなかったのでしょうね。そうでもなければ、ルヴィのことは気に掛けなかったはずだわ。

「ラヴァンドがいれば、王子とアスタの様子もわかるかもしれないわ。魔王軍が攻めて来たとき、ただ傍観しているというわけにもいかないし。侯爵家の娘として、民を守る義務があるわ。そのためには、情報が必要よ」

「ラヴァンドくんならきっと協力してくれるはずだ。アスタが何をして来るかわからない。充分に警戒しておこう」

「ええ」

 追放後まで悪役令嬢を追い詰めに来ることはないと思いたいけれど、ヒロインが転生者であれば、このまま放っておくことはないかもしれないわ。物語は悪役令嬢の追放で終わるけれど、私たちは物語ではない。ラヴァンドがその点でも協力的だといいのだけれど。


 それからしばらく、私たちは他愛もない話をしながら掃除を進めた。積もりに積もった埃が減っていくと、床板が思っていた以上に損傷していることがわかった。

「だいぶ腐っているみたいね。用意する必要のある木材も思っていたより多いかもしれないわね」

「これを我々だけで用意するのは厳しいかもしれません」ロランが言う。「木は山ほどありますが」

「加工なんかもしないといけないですしね」と、アンネッタ。「あたしたちだけで用意するには多すぎますね」

「それなら僕が街で調達して来るよ。業者はこの屋敷に辿り着けなかったんだろう?」

「そうね……」

 ロランが手配した業者は、この屋敷を囲う森を越えられなかった。この屋敷には、呪い――おそらくそういった類の魔法がかかっているのね。迷いの森と化しているのかもしれないわ。

「それなら私たちの馬車を使って。馬だけでは運べないでしょう?」

「そうだね。お言葉に甘えることにするよ」

「昼食までの残り時間は客間の掃除をしましょ。ラヴァンドが寝る場所を確保しなくちゃ」

 ロランとアンネッタが揃って頷くと、ラヴァンドは申し訳なさそうな表情になる。

「僕は勝手に押しかけて来たようなものだから、馬車で寝泊まりでも構わないよ」

「手伝いに来てくれたのに馬車で寝ろなんて、親切心に失礼よ。客間くらい用意させてちょうだい」

「そう。きみがそう言うなら、お言葉に甘えさせてもらうよ」

 こうしてラヴァンドの爽やかな微笑みを目の前で受けると、私がヒロインプレイヤーだったらときめいていたかもしれないと思わせる。ゲーム画面と違う穏やかさが、好青年という特性をより引き立てているように見えた。私の心が動かないのは、悪役令嬢だからなのかもしれないわ。


 途中で掃除から離脱したロランが昼食の用意ができたと呼びに来るまで、私たちは客間の掃除に勤しんだ。用意ができたと言われると、急に腹の虫が空腹を主張する。いまのいままで大人しくしていたくせに。

 朝食のときと同じように、屋敷のアプローチで昼食を取る。ラヴァンドに、木材を買いに行ったついでに食料も仕入れてもらわないといけないわね。

「クリスティアン殿下が婚約破棄だと言い出したとき、きみが何を言うかわからなくて冷や冷やしていたよ」

 思い出したようにラヴァンドが言う。同じように思った人は他にもいたでしょうね。

「まさかすんなり受け入れるとは」

「きっと、あのときは殿下に何を言っても無駄だったわ。殿下もアスタ嬢もあの状況に酔っていた。私が何を言っても聞かなかったでしょうね」

 断罪イベントにおいて、悪役令嬢の言葉は無力のようなもの。反論、言い訳、抵抗、それらすべてが無駄になるのだわ。

「きみは殿下を愛していると思っていた」

 ラヴァンドがどこか痛ましい表情をしている。私は小さく、そうね、と頷いた。

「愛していたわ。いまとなれば昔の話よ」

 ルヴィ・サフォーリアはクリスティアン王子を愛していた。淡い恋心は隠れたまま、主人公というだけでヒロインアスタにすべてを奪われる。きっと、本来のルヴィだったら耐えられなかったはずだわ。

「いまはこんな素敵な幽霊屋敷に追放してもらって感謝してるくらいよ」

「相変わらず神経が図太いな」

「しんみりしてるよりマシでしょ。あれから、殿下とアスタ嬢はどうなったの?」

 物語は、断罪イベント後すぐエンディングを迎える。その後のことはいろいろな二次創作を見たわね。

「きみとの婚約破棄を、国王陛下はよしとしなかったよ」

 やっぱり、と私は心の中で呟く。現実は物語のように綺麗なままでは終わらないのだ。

「確かに、アスタ嬢は聖女と認定されたが、正直、聖女という存在にそれほどの価値があるとは思えない。サフォーリア家との断絶は王室にとっても損だ。アスタ嬢のことは否定しないが、殿下は悪手を採ったと言わざるを得ないよ。きっと殿下とアスタ嬢の婚姻は認められない。もしくは……殿下が廃嫡となるか、だな」

 クリスティアン王子の廃嫡は、この国にとって相当な痛手となる。その次に王位継承権があるのが弟である第二王子のエディオンで、エディオン王子はまだ十二歳。いま王家が揺るげば、十二歳では王位を継ぐには幼すぎる。エディオン王子にとっても、良いことはないでしょうね。

「けれど、この国はいずれ魔物の侵攻を受ける。聖女の力が必要になるわ」

「だからと言って、殿下と婚姻を結ぶ必要はなかった。聖女として王宮に仕えれば、充分に活躍してくれただろう。反感を買うことなく、ね」

 ラヴァンドの表情は冷ややかだ。アスタは多少なりとも好感度を上げていたのかと思ったけど、その表情にヒロインへの親密さは感じられない。私の勘が当たってアスタも転生者だとすれば、ヒロインだと高を括って好き勝手、自由気ままに行動するあまり、クリスティアン王子以外から嫌われている、なんてこともあるかもしれないわ。だとしたら軽率としか言えないけれど。

「……私には、もう関係ない話だったわね」

 私――悪役令嬢ルヴィ・サフォーリアは国外、それも幽霊屋敷と称される「旧ラッセル辺境伯邸」に追放された。もう王都で何があろうと、私には関係のないこと。

「戻って来ないか? 王子のきみに対する仕打ちはあまりに自分勝手だ」

 優しく微笑んで言うラヴァンドに、私は軽く肩をすくめて見せた。

「私はここでの暮らしを楽しんでいるわ。もう王室にも興味はないし」

「きみがいないと僕も張り合いがないんだよ」

「失礼ですが」

 ロランがずいと話に割り込むので、ラヴァンドは不思議そうに執事を振り向く。

「お嬢様はここでの暮らしを楽しんでおられます。王侯貴族としてのしがらみから解放されたのです。戻ることが得策だとは思えません」

 パパったら、本気の顔をしているわ。私が王都に戻ることをなんとしても阻止するという表情ね。ラヴァンドに対する……敵意のような、対抗心のような……そんな感情も感じ取れるわ。

 ラヴァンドは困ったように息をつき、まあいい、と気を取り直す。

「幼馴染みとしてルヴィの顔を見に来たのは本当だ。ここでの暮らしが良くなるよう手伝うよ」

「ええ、ありがとう。男手が増えるのは歓迎だわ」

 本来のルヴィ・サフォーリアだったら、絶好の機会だと王都に戻るはず。けれど、本来のルヴィ・サフォーリアだったら、ラヴァンドが連れ戻しに来たかわからないわ。アスタに対する好感度が低いせいで、ルヴィに対する親密度が上がっているのかもしれない。そうだとしたら、アスタは本当にヒロイン然としていたのだわ。



   *  *  *



 粗方、客間の掃除を終えると、簡単な食材で作られた夕食を取る。食料はもちろんのこと、明日はシャワー室をどうにかしたいわ。中庭にある井戸から汲み上げた水で体を洗うだけという日々を早く脱したいところね。

 ラヴァンドが客間に引き上げてアンネッタも井戸に向かうと、ロランが私のもとへ来た。その顔は少し曇っている。

「ラヴァンドくんはあまり信用しないほうがいい。追放された悪役令嬢は、きっと攻略対象たちに溺愛されるようになる」

 ロランがあまりに真剣な表情で言うものだから、私は思わず笑ってしまった。

「パパはラノベの読みすぎよ。必ずしもそうなるとは限らないんだから」

「もちろんお前が誰かを好きになったなら応援はするが、溺愛は勘弁願いたいところだ」

「心配しすぎ。どうせみんなアスタに夢中で、こちらには見向きもしないわよ」

 アスタにどれくらいヒロイン補正がかかっているかはわからないけど、ラヴァンドはたまたまサフォーリア家への恩返しを優先させただけで、他の攻略対象がルヴィを構いに来ることはないはずだわ。

「私はここでの暮らしを楽しめればそれでいいから」

「……そうだな。だが、お前のことは私が守る。どんなときでもな」

「ありがとう、パパ。近くにいてくれると安心するわ」

 ロランがいなかったら、と少し考える。さすがの私でも、多少なりとも心細い思いをしたかもしれない。心から信用できる人がそばにいることは、この先、不安になることはないのではないかとすら思わせる。私は悪役令嬢だけど、味方に恵まれたことには感謝しないとね。



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