第3章 幼馴染み騎士【1】
ゆったりとした眠りから覚めると、ロランとアンネッタの姿はもう寝室にはなかった。使用人の朝は早い。
私と言えば、早起きをする必要がなくなったと思っていたせいか、随分とのんびり寝てしまったみたい。王立魔道学院はもう卒業してしまったし、婚約破棄されたことで妃教育に行く必要もなくなった。悠々自適なスローライフだわ。
着替えでも始めようかな、と立ち上がったところで、コンコンコン、と控えめなノックが聞こえた。どうぞ、と応えると、アンネッタが顔を覗かせる。
「おはようございます、お嬢様」
「おはよう、アンネッタ。よく眠れた?」
「はい。お嬢様のおまじないのおかげか、思ったよりよく眠れました」
アンネッタの表情は明るい。昨日は顔色が悪かったけれど、おばあちゃんのおまじないは本当に効果があったみたいだわ。実は、これは私――椎名沙希のおばあちゃんのおまじない。けれど、おばあちゃんの知恵が私たちを助けてくれるのは、どこでも共通のことみたいね。
アンネッタに手伝われて着替えを済ませ、屋敷の外に出る。アプローチでは、すでにロランが朝食の支度をしていた。
「おはようございます、お嬢様」
ロランが爽やかに微笑む。うーん、と私は首を傾げた。
「パパだと思うと、お嬢様扱いされるのは違和感があるわ」
「そうか? 形だけでもと思ったんだが」
「私のことはルヴィと呼んでもらっていいけど、わざわざ敬語を使う必要はないわ。アンネッタにも話したんだし」
とは言え、他の人の前でも同じようにロランが私に敬語を使わないでいると、きっとロランが不敬に問われることになるわ。パパならその辺りは上手くやると思うけれど。アンネッタが誰かに告げ口するとも思えないし。
「お前がそのほうが落ち着くならそうするよ」
「ええ。私もロランと呼ぶけど、パパって言わないように気を付けるわ」
ルヴィにはサフォーリア侯爵というお父様がいるし、ロランをパパと呼ぶのは明らかにおかしい話よね。転生者という存在は珍しくないかもしれないけど、
用意された朝食は粗食も粗食で、本来のルヴィ・サフォーリアだったら耐えられなかっただろう。ルヴィ・サフォーリアは贅沢三昧だった。侯爵家ともなると食事も豪勢で、私は前世が庶民だったからこれが普通に思えるだけだわ。
「持って来た食材はそう多くない」ロランが言う。「今日は私が街へ行ってみる」
「ええ。私とアンネッタは屋敷の掃除をしておくわ」
「ここから出られるといいんですけど……」
アンネッタはいまも、屋敷の敷地外に出られないことで怯えているみたい。私はこの状況に納得してしまっているけれど、想定はしていなかった。馬車には日用品も積んで来たし、食材はもってあと数日というところ。ロランが森を越えられなければ、私たちはきっと餓死することになるわね。
「もしここで暮らし続けるなら、魔道具を収入源にしてみるのはどうだ?」
思い立ったように言うロランに、そうね、と私は頷いた。
「
「お嬢様は充分に商売できるほどの品質で作れますしね」と、アンネッタ。「素材もたくさん採れそうですし」
屋敷を囲う森は豊かに見える。中に入れば魔道具の素材になる物がたくさん採れそうだわ。幸い、魔道具の設計図も持って来た。ルヴィの記憶があれば充分に作れるはずだわ。話は屋敷の掃除を終えてから、だけれども。
「失礼だったら申し訳ないのですが」アンネッタが言う。「お嬢様は、前世では平民のお方だったということですよね」
「ええ、そうね」
「だからこんな辺境への追放でも平然とされているんですね」
「そうね。前世の記憶がなければ、追放なんて屈辱に耐えられなかったでしょうね」
ルヴィ・サフォーリアは根っからの貴族令嬢だ。王太子との婚約破棄の時点で自尊心が砕かれた上、こんな荒れた屋敷で暮らすことになるなんて、きっと頭が狂ってしまったでしょうね。とは言っても、ルヴィの両親は自分たちの領地でもいいと言ってくれていたし、本来のルヴィならそうしたはずだわ。
「あれは本当ですか? この国が将来、魔王軍の侵攻を受けるという話……」
アンネッタは怯えた表情をしている。それもそのはず。魔法を持たないアンネッタにとって、魔物はとても怖い存在だ。
「本当よ。聖女様が仲間と一緒に倒すことになるわ」
「そんな……。だとしたら、サフォーリア侯爵家の支援を失ったのはより愚策ということになるんじゃ……」
「私の知ってる物語では、個々の能力を伸ばすことで魔王軍に勝つことができるはずなの。アスタ嬢は『聖女』なんだから大丈夫よ」
「なんか含みを感じるんですけど……」
私の頭の中にある「花舞う季節の恋乙女」では、魔物との戦闘シーンがある。レベリングをすることで魔王軍に勝利することができるのだ。この王国の周辺には魔物が多く、討伐に出向くことも少なくない。もちろん
考えに耽りそうになっていたところに、馬の蹄鉄の音が聞こえてきた。森の中から聞こえてくるそれは、魔物の足音ではない。ふたりと顔を見合わせ、音の主を待つ。確実にこちらに近付いてきていた。この森はいま、簡単に越えることはできないはず。固唾を飲んで見守っていると、森の中から颯爽と姿を現したのは、ルヴィの幼馴染み――ラヴァンド・シェッティルだった。ラヴァンドは爽やかな笑みを湛えて軽く手を振る。色素の薄い金髪に映える青い瞳が美形を強調する、攻略対象「好青年」担当だ。
「やあ、ルヴィ。思っていたより元気そうだ」
「ラヴァンド。どうして……どうやってここに?」
「きみが追放されたと聞いて様子を見に来たんだが……どうやってとは?」
私はラヴァンドに、この森の現状を話して聞かせた。ラヴァンドは王都で暮らしており、ここに来るには森を越える必要がある。この森に特殊な魔力が溢れていることは、手配した業者が屋敷に辿り着けなかったことが証明している。それを馬一頭で越えてしまったのだから、不思議に思えても無理はないわ。
「なるほどな……。私はただ馬を走らせて来ただけで、特に異常はなかったが……」
「ラヴァンド様は聖騎士の家系であらせられます」ロランが言う。「この森の魔力が効果を発揮しなかったのかもしれません」
ラヴァンドは父親が宮廷騎士隊隊長を務めている。ルヴィともよく顔を合わせていたけれど、ラヴァンドは攻略対象。アスタに夢中のはずだわ。
先日の断罪イベントにも、私の記憶との差異があった。断罪イベントの際、ルヴィの前にはアスタとすべての攻略対象が立ちはだかるはずなのだ。その中で最も好感度の高い攻略対象がルヴィを糾弾する。それが、先日の断罪イベントは、アスタとクリスティアン王太子しかいなかった。些細なことかもしれないけど、物語との差異が気になってしまうのは仕方のないことだわ。転生者でなければ、疑問を持つこともなかったでしょうけれど。
「それならちょうどよかった」ラヴァンドが言う。「食料と、使えそうな魔道具を持って来た」
「さすが気が利くわ。生真面目なところは昔から変わらないわね」
攻略対象であるラヴァンドが悪役令嬢である
「王太子殿下とアスタ嬢の調子はどう?」
私の隣に腰を下ろしたラヴァンドに、ロランが紅茶を差し出す。ラヴァンドはそれを受け取りながら、渋く顔をしかめた。
「いまは微妙な雰囲気だ。ルヴィとの婚約破棄を国王陛下がよく思わないのは当然だ。それも、下級貴族との結婚だなんてな」
物語ではヒロインと攻略対象が結ばれることでハッピーエンドへと向かっていく。けれど、現実ではそうはいかないみたいね。
「アスタ嬢は確かに聖女だが、サフォーリア侯爵家の支援が切れる損失のほうが王室にとっては重い。王太子殿下は一時の感情に呑まれすぎている。ふたりの婚約は成立しないだろうな」
私は首を傾げた。物語通りなら、アスタは王室に受け入れられているはずだわ。サフォーリア侯爵家との関係は描かれていなかった。けれど、ゲームではアスタの聖女の力は重宝されていた。なにせ、魔王軍が侵攻して来るんだから。魔王軍を殲滅することでハッピーエンドを迎える。それが乙女ゲームの醍醐味のはずだわ。
「王太子殿下は廃嫡になり、第二王子に王位継承権が渡るのではないかとされている。王室に損失を
物語との差異が生じているのは、私が転生者である影響なのかしら。それとも……。
「ルヴィの言う通りに魔王軍の侵攻を受けるならなおさらだ。サフォーリア家との断絶は厳しい」
「……私にはもう関係ない話だったわね」
私は追放された悪役令嬢。断罪イベント後の物語にはなんの関係もない。ふたりがどうなろうと、
「それより、せっかく来たんだから掃除、手伝ってくれるわね?」
ぱんと手を叩く私に、ラヴァンドは少し困ったように笑った。
「こんな恐ろしい屋敷で掃除なんて、実にきみらしいな」
「しみったれてるよりマシでしょ」
「そうだな。逞しくて何よりだよ」
ラヴァンドがどうして私の顔を見に来ようと思ったのかはわからないけど、男手が増えるなら大歓迎だわ。王太子とアスタのことも、気にならないと言えば嘘になる。それと、お父様とお母様の近況も聞けたらいいのだけれど。
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