第2章 最初で最高の朝【3】
「だいぶマシになったわね」
寝室の掃除は一日掛かりになってしまった。すでに日が暮れているわ。綺麗になったとまでは言えないけど、一晩を過ごすには我慢できるくらいになった。馬車では三人で寝ることはできないし、また屋敷の散策で夜を過ごせばアンネッタがストレスを溜めてしまうわ。アンネッタが疲れてしまうのは私も本意ではないもの。
「新品のシーツと掛け布団を持って来たのは正解だったわね」
「……あの……お嬢様」アンネッタが遠慮がちに言う。「今日は電気を点けたまま寝てもいいでしょうか……」
「ええ、いいわ。アンネッタが安心して寝られる状態にしましょ」
アンネッタは安堵したようにひとつ息をつく。私が屋敷の怪異と遭遇するために真っ暗にしようとしていると思っていたのかもしれないわ。
「ベッドが大きくてよかったです。お嬢様はあたしと一緒で窮屈かもしれませんが……」
申し訳なさそうに言うアンネッタに、私もロランも揃って首を傾げた。
「三人でこの部屋で寝るの?」
「違うんですか?」
三人で同じ部屋で過ごせばアンネッタが安心できるのはわかるけど……。
「私はパパだからいいけど、アンネッタは女性で、ロランは男性よ」
貴族と使用人というところ抜きにしても、男女が同室で寝るのは夫婦くらいのものだわ。
「ロランが構わないならあたしは気にしません。そのほうが安心ですし……」
アンネッタが窺うようにロランに視線を遣る。ロランは小さく肩をすくめた。
「アンネッタが平気なら、私もそれで構わない」
ロランがアンネッタによからぬことをするはずがないのは、このルヴィ・サフォーリアが証明するわ。パパが娘と同年代の女の子にそんなことをするのはあり得ないもの。そう考えると、確かに三人で同じ部屋で寝たほうが安全なのかもしれないわ。
「お嬢様……まさか、寝る前にもう一度、探索に行くとは言わないですよね……?」
懇願するようなアンネッタに、私は思わず笑ってしまった。
「言わないわ。今日はもうのんびりしましょ」
「申し訳ありません、わがままばかり言って……」
「謝るのは私のほうだわ。私について来たばかりに、怖い思いをさせてしまって……」
普通の令嬢であれば、幽霊屋敷に住んで怪異にわくわくするなんてことはなかったはずだわ。もし私が椎名沙希の記憶を取り戻さなければ、ルヴィ・サフォーリアは幽霊屋敷に来なかったかもしれない。そもそも婚約破棄に応じたかもわからないし、応じたとしても両親の言う通り、サフォーリア侯爵領の辺境に移り住んだことだろう。私が幽霊屋敷に釣られなければ、アンネッタも怖い思いをせずに済んだはずだわ。
「それはいいんです。あたしは、死ぬまでお嬢様のおそばにいると決めたんです」
怯えていた表情が一変して、アンネッタは毅然とした態度で言う。
「お嬢様はあたしを救ってくださったんですから」
「大袈裟。でも、ありがとう。アンネッタを不幸にしないと約束するわ」
「はい」
アンネッタも年頃の女性だから、もう結婚の話が持ち上がってもおかしくないわ。私が幽霊屋敷に移り住んだことで、その機会を奪ってしまうことになるかもしれない。そうであれば、私にはアンネッタを幸せにする責任があるわ。アンネッタを不幸にするようなことがあれば、それこそ私の罪になる。せめて、私について来たことを後悔させないようにしないとね。
「明日の朝、私が街へ行ってみる」ロランが言う。「こちらから行けるか試してみよう」
「それは期待できないわね。幽霊屋敷からは出られないというのが定石よ」
「だが、食料はいずれ尽きてしまう。試すだけ試してみよう。私なら力業が効くかもしれないしな」
「そういえば、ロランは元軍人なのよね。怪異が怪力に屈することもあるかもしれないわ」
「そうであることを期待しますよ……」
私たちが幽霊屋敷を脱出できるかはともかく、食事をまともに取れなくなるのは問題だわ。私とロランは構わないけど、アンネッタにひもじい思いをさせるわけにはいかないもの。ただでさえ不自由な場所にいるのだから、食事くらいはまともにしないといけないわ。
馬車には三日分くらいの食料を用意している。この三日間で、街から業者が来るか、私たちが街へ行くか、そのどちらかを成功させなければならないわ。とは言え、それは簡単にクリアできると確信しているから三日分。私はルヴィ・サフォーリア。この状況を打開できると、自分に確信を持っているわ。
長らく放置されていたベッドは、新品のシーツを敷いてもやっぱり埃臭いわ。早めに業者を招き入れて、ベッドやソファを新調したいところね。それでも、清潔な掛け布団を被ると、なんとなく落ち着くような気がした。
「アンネッタ、平気? 眠れそう?」
私の隣に横になったアンネッタは、まだ青い顔をしている。
「どうでしょう……眠くはなってますけど……」
「私とロランがいるから大丈夫よ。安心して眠るといいわ」
「はい……」
アンネッタの気持ちはわかる。私も初めからホラーが好きだったわけではないわ。パパと初めてホラー映画を見たときはとても怖くて、夜はパパの布団に潜り込んだのよね。それから、私はパパと一緒に寝たくてわざとホラー映画を見るようになった。パパが選んだホラー映画は本当に怖くて、でも、年を経るごとにその面白さに気付いていったわ。もともとゲームは好きだったけど、最終的にはホラーゲームしかやらなくなったわね。病床では、気に入ったゲームを何度もプレイしたものだわ。
「そうだ。おまじないをしてあげるわ」
「おまじない、ですか?」
「ええ。手を貸してくれる?」
私はアンネッタの右手の平に、星の形を描いた。
「夜空のお星さま。私たちを守ってください。一等、輝く光で、私たちを照らしてください」
最後はアンネッタの手を握っておしまい。
「これは私のおばあさまがやってくれたおまじないよ。子どもの頃は、私もお化けが怖かったから」
「そうなんですか……。でも、少し落ち着いた気がします」
「それはよかったわ。じゃあ、おやすみなさい」
「はい、おやすみなさい、お嬢様」
おまじないをしてくれたのは、椎名沙希のおばあちゃん。私がホラー映画を見て怖がっていたら、優しくやってくれたわ。それでなんとなく落ち着いていたけれど、やっぱりパパと一緒に寝たいって駄々を捏ねたものよ。
アンネッタはしばらく怯えていたけれど、睡魔が怪異への恐怖に勝ったようで、気付けば寝息を立てていた。眠れるならひとまず安心だわ。
「……パパ、起きてる?」
「どうした?」
天井を眺めたまま、私はアンネッタを起こさないよう静かに言う。
「ずっと神様にお願いしてたの。病気を治してください、パパともう一度、会わせてください、って」
ホラーゲームをやる気力すら湧かなかったとき、よく神様に祈りを捧げていたわ。無宗教だったから、なんの神様かはわからないけれどね。
「両方とも叶ったわ。神様は本当にいたのね」
「そうだな。私からも感謝しなければならないな」
この世界の境界でも、祈れば神様に届くかしら。街へ出ることができたら、行ってみるのもいいかもしれないわ。
「……私は、自由に生きていいのよね」
「もちろん。俺がお前を守る。だから、安心してルヴィ・サフォーリアとして生きるといい」
「パパも一緒よね?」
「もちろん。俺はもう二度とお前から離れない。死ぬまでそばにいるよ」
「私より長生きして」
「そうだな」
「約束よ?」
「ああ」
ロランの声はパパと少し違うけれど、聞いているととても落ち着く。安心感に包まれながら、私もゆっくりと眠りに落ちていった。
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