第2章 最初で最高の朝【2】

 屋敷のアプローチに簡易テーブルを出して、アンネッタが食事の準備を始める。一晩中ずっと屋敷の捜索をしていたから、食事の配達が待ち遠しいわ。

 いずれ街に買い出しに出る必要がある。アンネッタが言うには、街ではサフォーリア侯爵令嬢が幽霊屋敷に移り住んで来たことは、すでに噂として流れているらしい。当然と言えば当然ね。貴族の令嬢が廃屋に越して来たんだもの。気にもなるってものよ。

 さて、と私はひとつ息をつく。食事の用意で私に手伝えることはないわ。そうとなれば、やることはひとつよ。

「私はもう少し屋敷の中を捜索して来るわね。いいわね、ロラン」

「はい」

「えっ、またですか?」

「食事の配達が来るまでにまだ時間はあるでしょうし、修繕の業者が来たら屋敷が変わってしまうもの」

「早くお戻りになってくださいね。朝の屋外と言えど、ひとりは怖いですから……」

 朝の屋敷外でも安全と言えないのは、ついさっき証明されてしまった。けれど、屋敷の外でそう何度も怪奇現象が起こるとは考えにくいわ。次は屋敷内で遭遇したいものね。

 朝だと言うのに、屋敷の中はほとんど陽が射し込まなくて空気もひんやりしている。窓から零れる陽射しより、ロランのライトの魔法のほうが明るいわ。

「ライトの魔法もなくして探索したいわね」

「足元が見えないのは危険です。床が抜けているかもしれません」

「わかってるわ。でも、中途半端に陽射しが入るのがおどろおどろしい雰囲気を醸し出して溜らないわ……」

 何度見ても本物の幽霊屋敷は素晴らしいわ! 前世では不法侵入になるから廃屋での肝試しは炎上の可能性を秘めていたけれど、これが自分の暮らす場所になるんだから、思うまま存分に探索できるなんて素敵だわ。

「そんなに幽霊屋敷が楽しいのですか?」

「ええ! こんなこと滅多に体験できないもの!」

 うきうきする私に、ロランがふと優しく微笑んだ。

「相変わらずのようで安心いたしました」

「……?」

 まただわ。どうして離れていた時期があったような言い方をするのかしら。

 そのとき、窓の外で揺れた木の葉の隙間から、一筋の光が射し込む。反射した眼鏡越しの優しい瞳が、前世の記憶の光景と重なった。私の頭の中に、ある面影が思い浮かぶ。

 まさか……そんなことあり得ない。あり得ないはずなのに、細められた瞳がそれを物語っている。この面影を、忘れるはずがない。

「……パパ……?」

 ぽそりと呟いた私の力ない声に、ロランは笑みを深めた。

「お前はどんな姿でも可愛いな、沙希」

 落ち着いた口調が私に確信を与える。私は考えるより先に、ロランに飛び付いていた。

「パパ……パパ……!」

 細くも逞しい腕が私を抱き締める。その力強さは、それが間違いのないことだと証明していた。

 元軍人執事ロラン・バートレントは私――椎名沙希の父・椎名士郎だったのだ。前世は、ということ。

「本当に……本当に、パパなの?」

「ああ。椎名士郎だよ」

「どうして私たちをおいて行ったの……ずっと会いたかったんだから……!」

「すまない……すまない、沙希」

 私のパパは、私が五歳の頃に事故で亡くなった。それから私はママと弟の結城と三人、支え合いながら生きて来た。それも、私が病死したことで、ママと結城をふたりきりにしてしまったのだけれど。

「信じられない……パパも転生していたなんて」

 ぽろぽろと涙が溢れて止まらない。ずっと会いたかった。けれど、もう会うことは叶わなかった。叶わなかったはずなのに、こんな形で願いが叶うなんて。

 ひと頻り泣いた私は、ロランの差し出したハンカチで乱暴に顔を拭う。それから、気になることがあって顔を上げた。

「でも、私が沙希だって気付いていたの?」

「前世の記憶が蘇ったとき、お前を見てもしかしたらと思っていたんだ。なんとなくだが、面影があったからな。先日の婚約破棄で、お前が沙希だと確信したよ」

 ルヴィ・サフォーリアが別人――のように――なってしまったことは、サフォーリア家の者ならみんな気付いていたはず。ルヴィ・サフォーリアはプライドの高い令嬢で、あんな婚約破棄をすんなり受け入れるはずがないからだ。

「でも……ママと結城をおいて来てしまったわ」

「そうだな……。だが、母さんと結城は強い。きっとふたりでも上手くやっていくさ」

 ママと結城のことは心配だけれど、異世界に転生してしまったいま、ふたりがどうしているかを知る術はもうない。パパの言う通り、ママと結城は強い。きっとふたり支え合って生きていくはずだわ。

「アンネッタには話しておかなければな。ぼろが出て中途半端にバレるより、先に話しておいたほうがいい」

「そうね。きっとびっくりするわ」

「そうだろうな」

 本当に信じられない。自分が異世界転生したというだけで二度とできない経験なのに、転生先で亡くなったパパに会えるなんて! これを奇跡と言わずに何を奇跡と言うのかしら。

「会えて本当に嬉しい。怪奇現象に遭うことよりずっと嬉しいわ!」

「俺も嬉しいよ。病気のお前を残して来たことが、何よりも気掛かりだったからな」

「でも、言ってくれたらよかったのに」

「ルヴィは先日まで沙希ではなかったからな。話しても混乱しただろう」

 確かに、私は断罪イベントの直前まで、ただのルヴィ・サフォーリアで、椎名沙希の魂は眠ったままだった。普通の少女であったルヴィがそれを聞いても、わけがわからなくて混乱していたかもしれないわ。

「転生してよかったわ。こうしてパパとまた会えたし……幽霊屋敷の攻略もできるし!」

 拳を握り締める私に、ロランは困ったように笑う。

「相変わらずで安心したよ」

 パパはもちろん、私がホラー好きなのは知っていた。私のホラー好きは、パパの遺伝子なんだもの。

 と、そこに白い鳥が舞い込んで来た。伝達魔法の「報せ鳥」だ。鳥を解体したロランは、ふむ、と眉をひそめる。

「業者が屋敷に続く林で迷ってこちらに辿り着けないようだ」

「そんなことだろうと思った。いま、この屋敷は存在自体が怪奇現象になったんだわ」

「その範囲は敷地外の林まで到達している。呪いによる結界のようなものだな」

 さすがパパ。私の考えていることを理解する速度が圧倒的だわ!

「呪いを越えられる魔法使いでないと来られないかもしれないわね」

「そう手配する。今日はせめて寝室だけでも整えるようにしよう」

「ええ」

 転生先でパパに再び会えた嬉しさの余韻は、タピルスの怪奇現象に巻き込まれたときと比べ物にならない。どんな怪奇現象に遭ったって、この喜びを上回ることはきっとこの先もうないわ。怪奇現象なんかより、パパにもう一度でも会いたいって、ずっと願って来たんだもの。


 私とロランが屋敷から出て行くと、テーブルセッティングを終えていたアンネッタはほっとした表情になった。

「無事にお戻りになられてよかったです」

「待たせてごめんなさいね。アンネッタには残念なお知らせがあるわ」

「えっ……」

 アンネッタの顔色が曇る。隠してもしょうがないのだから、正直に話すしかないわ。

「手配した業者がこの屋敷に辿り着けないの。この屋敷の怪異が外にも影響しているみたいなのよ」

「そんな……」

 アンネッタは絶句する。その落胆ぶりは可哀想になるけど、この屋敷の怪奇現象が私たちの想像を超えていたことは確かだわ。

「今日はみんなで寝室の掃除をしましょう。せめて寝る場所くらいは綺麗にしないと」

「はい……わかりました」

「それと、話さなければならないことがあるの」

 私の言葉に、アンネッタの表情が強張る。業者が辿り着けない以上の悪い報せがあると思っているのかもしれない。けれど、決して悪い報せではないはずだわ。

「私は異世界から転生して来たの」

「……は……」

 アンネッタはさらに絶句している。どこの世界でも転生者は必ずいることだろうけれど、昔から世話を焼いている人がそうであるとは、想像してもいなかったはずだわ。

「それと……ロランも転生者なの」

「はえ……」

 混乱するアンネッタには申し訳ないけど、話さなければならないことはもうひとつあるのよね。

「ロランは、私のお父さんなの」

「…………」

 いよいよわけがわからないといった様子で、アンネッタはぽかんと私を見つめる。それからロランを見遣ったあと、もう一度、私に視線を戻した。何も言えずにいるアンネッタに、私は苦笑いを浮かべた。

「つまり、私とロランは、前世では父娘おやこだったの」

「…………」

「信じられないわよね。私だって信じられないわ。でも、間違いないことなの」

 アンネッタは考え込んでいる。ルヴィがこんな突拍子もない嘘をつくような人間ではないことは知っているだろうけれど、嘘だとしたら趣味が悪すぎるわ。ただアンネッタを困惑させるだけだもの。

 私とロランが見つめる中、アンネッタはようやく口を開いた。

「……転生者がいることは知っていました。でもそれは、この世界のどこかに、という認識でした。父娘おやこが同じ世界で、こんな近くに転生してるなんて……」

 私――椎名沙希が生きていた世界でも、転生者はいたのかもしれない。けれど、そんな話は聞いたことがないわ。それだけ転生は特殊なこと。それも、父娘おやこが揃ってるなんて、不可思議でしかないわ。

「でも、姿形は違うんですよね? どうして断言することができるのですか?」

「魔法使いの中には、魔力回路と呼ばれるものがある」ロランが言う。「私とルヴィの魔力回路が同じ波長なのだろう」

「うーん……わかりました。おふたりがこんな嘘をつくとは思えませんし、その理由もありません。ただ、お嬢様のお父様に見られていると思うと緊張しますね……」

「緊張なんてする必要はないわ。私もパパはそんな厳格な人じゃないもの」

「私はアンネッタが献身的にルヴィを支えてくれていることも知っている。厳しいことを言うつもりはないさ。これからもロランとして接してくれればいい」

「わかりました」

 アンネッタが信じてくれて本当によかったわ。受け入れられなかったら、きっとアンネッタは居辛くなってしまう。そう考えると、アンネッタには受け入れざるを得ないような状況になってしまって申し訳ないわね。

「ただ、外部の人間には黙っておく必要がある」と、ロラン。「アンネッタ以上に困惑するだろうからな」

「そうですね。あ、もしかして、お嬢様がオカルト好きだったのは、前世から引き継いだものなんですか?」

「私はホラーが好きだったの。厳密にはオカルトとは違うかもしれないわね」

「だから幽霊屋敷に嬉々としているんですね。……まあ、心強くはありますけど」

 私はずっとホラー好きだし、パパもそれは知っている。そう考えると、ロランが幽霊屋敷に怯まなかった理由にも納得がいくわ。一緒にホラー映画を見ていたんだもの。

「とにかく、今日は寝室を整えましょ。私とロランは魔法を使えるし、そんなに時間はかからないんじゃないかしら」

「また屋敷に入らなくちゃいけないんですね……」

「数日の辛抱よ。今日から寝室で寝られるようにしましょ」

「はい……」

 アンネッタは暗い表情で肩を落としている。せめて業者が来られれば話は変わったのかもしれないわ。私としては、幽霊屋敷のままで暮らせるほうが嬉しいというのが正直なところだけれどね。




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