第4章 欲念ノ影

「宇古陀さん、いい? 気分が悪くなったら眼を反らしてね」

 陽花里が真剣な眼差しで宇古陀に語り掛けた。

「おし、大丈夫」

 宇古陀は大きく深呼吸を繰り返すと、神妙な面持ちで頷いた。

 陽花里は宇古陀の返事に頷くと、タブレットの画像を凝視した。

「何だよこれは・・・」

 宇古陀は言葉を失った。

 あどけない姉妹が写っていただけの画像に、妙な黒い影が浮かび上がっていた。

 顔のようなモノだった。輪郭らしき区切りと、眼らしき大きく開いた真っ黒な空洞が二つ。その下に、歪んだ口の様な穴が一つ。

 其れは一体だけではなかった。川面や姉妹達が立つ背景をびっしりと埋め尽くしていたのだ。

「本命は映っていないな」

 四方は残念そうに呟くと唇を噛んだ。

「多分だけど、本命はこいつらの目線の先にいる」

 陽花里は嫌悪の表情を浮かべながら、そのモノ達が示す目線の先を指差した。

「いかん」

 突然、つぐみが宇古陀を抱き寄せた。

「おい、宇古陀っ! しっかりしろっ! 」

 つぐみが激しく宇古陀を揺さぶる。

 宇古陀はそのままつぐみの腕の中に倒れ込んだ。

 つぐみの呼び掛けに、宇古陀の反応は無かった。眼を見開き、虚ろな視線を中空に泳がせながら、だらしなく口を開けている。

 まるで、画像を埋め尽くしていた黒い影の様に。

「しっかりせんかあっ! 」

 つぐみの容赦の無い平手打ちが宇古陀を襲う。

「こ、これは――ラッキーすけべか・・・? 」

 つぐみの胸に顔を埋め乍ら、宇古陀が満足げな笑みを浮かべた。

「大丈夫なようだな」

 つぐみ素っ気なく言い放つと、宇古陀を支えていた手を放す。

「痛! 」

 床にしこたま体をぶつけた宇古陀は、一瞬顔を苦痛に歪めたものの、再び満足そうに頬を緩めた。

 さっきまでとは違い、意思の宿った彼の眼は、ローアングルからつぐみのスカートの中を捉えていた。

「何処を見ているっ! 」

 つぐみが宇古陀の横っ腹に蹴りを入れた。

「うげええっ! 更なるご褒美! 」

 宇古陀は顔を顰め乍ら嬉しそうに苦悶した。

「画像消すね」

 四方は安堵の吐息をつくと、タブレットの画像を消去し、それ自体をも呪詛で清めた。

「四方ちゃん、厄介な仕事受けちゃったね・・・てより、これ、私に見せたって事はは、手伝って欲しいって事だよね? 」

 陽花里が憂鬱気に四方を見つめた。

「ははは、当たり」

 四方がばつの悪そうな乾いた笑いで答える。

「実はさ、もう一人巻き込んじゃうかも」

 四方が意味深な表情で陽花里を見た。

 刹那、事務所のドアが勢いよく開いた。

「こんにちはっ! 四方さん、何があったんです? 」

 紙袋を下げた青年が、心配そうに四方達を見つめている。

 白地に猫のイラストが入ったカットソーに色落ちしていないデニム。足元は里山散策なら可能な藍色のトレッキングシューズをタウン履きしている。襟足まで伸びた黒髪はストレート。日焼けした顔に優しそうな目が印象的な青年だった。

「鴨ちゃん!? 」

 陽花里が驚きの声を上げる。

「皆さん久し振りです――と言っても、一カ月ぶりか。あれ、宇古陀さん、そこで何してるんですか? 」

 青年はつぐみに顔を踏んづけられながら床で至福の笑みを浮かべている宇古陀を不思議そうに見つめた。

「ああ、彼の事は気にしないで。それより、鴨ちゃんにも分かったの? 」

 四方が、つぐみ達を尻目に鴨川響輝に声を掛ける。

 彼は四方が懇意にしている山深い郷にある神社の神職なのだ。彼とは以前、郷で出会って以来の付き合いで、また、陽花里達とも同様に交流がある仲だった。

「ええ、このビルの前に来た時、事務所から凄い瘴気が出ていて驚きました」

「実はさ・・・」

 四方が、今までの成り行きを彼に説明した。

「道理で。でも、偶然ですね。その話、僕も受けてまして。実は今日お伺いしたのも、その事で相談したかったからなんです。私が依頼を受けたのは母親からでした」

 鴨川が神妙な顔で静かに語った。

「びっくりだね」

 鴨川の言葉に、四方は驚きの表情を隠せなかった。

「電話じゃ詳しくお話出来ませんでしたからね。伝えようとすると、何故か電波の調子が悪くなりましたから」

「私達に関わらない様、警告しているって事か」

 四方が困惑した表情を浮かべる。

「鴨川、相変わらず旨そうだな」

 宇古陀への御仕置に区切りがついたのか、つぐみが珈琲を運んできた。

「つぐみさん、俺、硬くて旨くないですよ・・・あ、こっちか」

 鴨川は苦笑を浮かべながら紙袋をテーブルの上に置いた。

「郷の道の駅で買って来た鯛焼きです。よかったらどうぞ」

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