第2章 神域ニツキ、穢ス事ナカレ

 依頼人は桧山克彦、四十五歳。飲食業界の風雲児と呼ばれる実業家だった。大学在学中に起業し、紆余曲折しながらもデリバリーサービスを中心とした戦略で着実に販路を伸ばすや、その後も順調に成長し続けている企業の最高責任者なのだ。

 彼には二人の娘がいる。今回の依頼の対象者は、長女の方だった。

 彼女は高校一年生だが、現在休学中と言う。

 事の発端は、彼女が第一志望の超進学高に合格した祝いに、家族で旅行に行った時に始まる。

 パワースポットに興味のある彼女のたつての願いで、とある地方の神社を訪れる事になった。

 清流の畔にあるその神社は、古くからの歴史をその地に刻み、宗教宗派の隔たり無く一年を通じて多くの人々が詣でる事で有名であった。

 いくつかの観光地を訪れた後の最後の目的地で、途中、疲れた様子だった娘も、神社に着いた途端、元気を取り戻したそうだ。

 家族で本殿をお参りした後、彼らは神社のそばを流れる清流の河原に降り立った。

 本来、その清流は神域で、河原に降り立つ事は勿論、写真撮影も厳禁なのだが、彼らはそれに気付かず、そこで写真を撮り、水をボトルに入れて持ち帰ったのだという。

「立ち入るどころか撮影も駄目だと知ったのは、その後でした」

 桧山は苦悶の表情を浮かべた。

 長女の様子がおかしくなったのは、帰宅した翌朝からだった。

 朝食の時間になっても起きてこない娘を心配した母親が、彼女の部屋に様子を見に行くと、想像を絶する光景を目の当たりにしてしまう。 

 娘は、全裸で部屋の中央に佇んでいた。虚ろに開かれた両眼には生気が無く、表情にも感情らしき色は全く宿っていなかった。彼女の足元に脱ぎ捨てられたパジャマと下着は、失禁したらしく、尿で黄色く濡れそぼっていた。

 惨状は、それだけではなかった。ベッドのシーツや布団は引き裂かれ、壁には鋭利な刃物か爪で引っ搔いた様な傷が無数についていたのだ。それは、明らかに人のものではなく、巨大な獣の仕業の様に見えたと言う。

 その日を境に、長女は感情を失っただけでなく、会話も全くしなくなってしまった。

 桧山は幾つもの病院に娘を連れて行ったものの結局原因が分からず、苦渋の巣に導き出した診断結果が、何かしらの精神的なショックによる心身喪失だった。

 だが、一向に回復に向かわなかった為、神にもすがる思いで祈祷師や霊能者にお祓い依頼したのだが、結果は同じだった。

「他に、変わった事はありましたか? 」

 四方が、静かな口調で桧山に問い掛ける。彼は一瞬狼狽したものの、観念したかの様に唇を開いた。

「川の水が入っていたボトルが空になっていました。恐らく、娘が飲んだのだと思います」

「川の水を、飲んだのですか? 」

 四方が眉を顰めた。

「はい、恐らくですが・・・見た訳ではないので」

「祈祷を依頼した方々にこの話はしたのですか? 」

「いえ・・・」

「成程ね」

 四方は頷いた。

「それと、まだ誰にもお話していない事がもう一つあります」

「それは、どう言った事ですか? 」

「その日に撮った写真なんですが、最近見返してみたら、娘のそばに巨大な鬼神の顔のようなものが写っているのに気付いたんです」

「その写真、見せて頂けますか? 」

 四方が身を乗り出して桧山を見つめた。

「それが、消えてしまったんです。携帯とパソコンの両方に保存していたんですが、今朝確認したら、どちらとも・・・昨晩は保存されているのを確認したのですが」

 桧山は困惑しながら、四方に申し訳なさそうに答えた。

「そうですか・・・多分ですけど、私に正体を見抜かれるのを恐れて消したんでしょうね、その写真の『主』が」

「そう、なんですか・・・」

 桧山は当惑した表情で頷いた。

「桧山さん、御安心ください。この事案、お受け致します」

 四方が優しい表情を浮かべながら、桧山に語り掛けた。

「本当ですか? 有難うございます! 」

 これでやっと娘は救われるかもしれない――漸く見え始めた希望に、込み上げて来る思いを抑えきれず、桧山は目頭を押さえた。

  


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