第5話 家出令嬢
彼女は自身をレーゼルバールに住む貴族の内の一つアイルーン家の娘、アレッタ・アイルーンと名乗った。
「どうしてこんな場所にいたの?」
その問いに彼女は俯いた。それにジュリアはため息をつく。
しっとりとしめって地面に腰を落とし、俯く姿は可憐だ。けれどその態度は頑なで、ありふれた言葉を掛けてもその固い口を開いてくれるとは思えなかった。
(さて、どうしたものか……)
ジュリアは周囲を見渡す。
辺りには彼女が逃げ出す際に投げ出してしまったと思しき小さなバッグが転がっていた。小さいといっても、とても令嬢の持つ大きさのものではない。分厚い本が5冊ほどは入ってしまいそうな革で出来た鞄だ。その色合いもデザインも非常に渋く、男性向けのものに思われた。
もう一度彼女を見る。彼女は俯いたまま動かない。
その様子にこのバッグは彼女が誰か男性から盗んだものではないかという可能性にジュリアは内心でバツをつけた。
もしも盗んだ物ならば、彼女はもっとそのバッグに関心を示しこうして投げ出したままでいるはずがない。
そうとなると、信憑性の高い可能性はおのずと絞られた。
ジュリアはおもむろに遠くの方へと視線を向けるとわざとらしく驚いた声を上げた。
「あら、あの男の人! もしかして貴方のお父様じゃないの?」
「嘘っ!」
「もちろん嘘よ」
つられて反射的に顔を上げてしまったアレッタ嬢に、ジュリアは冷静に返す。
ジュリアが見た茂みの中になど、当然誰も居はしない。
彼女は驚き過ぎたのか、幽霊のように蒼白になった顔で呆然とジュリアを見上げた。
その表情に、ジュリアは確信を得る。もしもただの迷子ならば、身内の存在を示唆されてそこまで青ざめる道理などない。
「貴方、家出してきたのね」
ジュリアの確信めいた言葉に、彼女は見開いた目から涙を溢れさせ、嗚咽をこぼした。
ようやく口を開いた彼女による話はこうだ。
事の発端は、彼女の兄が流行病で亡くなったことだった。
これまで跡継ぎとされていた兄が亡くなり、これまで他所に嫁ぐ予定だったアレッタは急遽婿を取ることになった。
なぜならアレッタは淑女としての教育なら受けていたが、家長としての教育など全く受けていなかったからだ。
そうして慌てたのは彼女の父である。なんとか跡継ぎに相応しい婿を探そうと、アレッタのことなど無視して必死に探し、そうして見いだされたのが今のアレッタの婚約者である。
けれど、そうして決まった相手が最悪だった。
今年で15のアレッタよりも15歳上の30歳。まぁ、その程度ならばアレッタも許容出来ただろう。
けれど彼には愛人がいた。
そうして今後もその愛人との関係を清算するつもりはなく、アレッタにはその愛人よりも下の立場であれと言う。
助けを求めようにも、実はアレッタの父親もそういった事情を許容するタイプの人間であった。
つまり、アレッタの父親にも愛人がおり、それは周知の事実であり暗黙の了解であり、母はそんな父親に愛想を尽かしきっていて、ついでにその父親の子であるアレッタのことにも関心がなかった。
その一方で、父親と婚約者がアレッタに関心が薄かったかといえば決してそういうわけではなく、アレッタの行動のあれやこれやに非常に口うるさく干渉した。
ほんの少し、パーティーの席で近くの男性に軽く会釈した程度で媚びを売っただの不謹慎だのと騒ぎ立てたのだ。
仲の良い女友達と遊びに行くのにも、わざわざその友達の粗を探すような真似をして貶めるような発言をされ、仕舞いには縁を切れとまで迫られた。
次第にアレッタは外出も許されなくなり、家に閉じこもり、希の華やかな場でも愛人と踊る婚約者を眺めて無表情にただ立ち尽くす壁の花でいるしかなくなってしまった。
行動の全てが制限され、呼吸一つ、瞬き一つするだけでその行動を咎められるのではないかという緊張が走る。アレッタはとてもではないが、耐えられなくなってしまった。
そうして、一番仲の良かった友達との文通すらも禁じられてしまい、思いあまったアレッタは一人で外へと飛び出してきたのだ。
「なんて、むごい……」
同情するように眉を顰めるルディにけれどジュリアは同意をすぐに示すことは出来なかった。
アレッタはさめざめと泣いている。
「私が悪いのです。私が、愚かで愚鈍だから……」
そこまで言ってから、は、と我に返ったように息をのむ。
「ああ、私……、なんてことを、なんてことをしてしまったのかしら……」
「アレッタ嬢……?」
ルディの訝しげな声かけにも気づかない様子で、彼女は全身から汗を吹き出すとパニックになったかのように頭を抱えた。
「私ったら! こんな、一人でこんな所まで来てしまうなんて……っ! ああ、なんて私は愚かなの! やってはいけないとわかっていたはずなのに! ああ、ああ、どうしよう、叱られてしまう、早く、戻らないと……」
「アレッタ嬢……っ」
急いで立ち去ろうとバッグをたぐり寄せるその様子に、尋常ではないものを感じとってルディはその肩を掴んで揺さぶる。
「一体何をおっしゃるのです! 家になど戻ったら、貴方はもっと酷い目に合うのですよ!」
「いいえ、いいえ、戻らなきゃ、戻らない方が、大変です」
けれど彼女の瞳はルディの方が向かず、どこか遠くを焦ったように見つめて身じろぎをする。
「ああ、私、なんてことを、こんな、身内の恥をさらすような真似をして、ああ、忘れてください! どうか、忘れてください、誰にも言わないで! お願いします、お願いします……っ」
仕舞いには地面に這いつくばって頭を下げるのに、ルディは途方に暮れたようにその背中を撫でた。
そんな二人の様子をジュリアは一人、冷めた目で見下ろした。
彼女は非常にいらついていた。そしてその苛立ちが何に起因するのかも冷静に判断出来ていた。
周囲の人間に翻弄され、どうすることも出来ずに嘆くその姿。
それは、まるで数年前のジュリア自身のようだった。
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