第4話 遭遇

「やはり、生まれ故郷に帰ってくると落ち着きますね」

「貴方が生まれた頃と比べるとかなり変わったんじゃなくて? 私が変えたんだけど」

「ジュリアの改革のおかげで皆暮らしよく豊かになったと評判ですからね」


 嫌みのつもりで放った言葉にも、ルディは平然と返す。その言葉と態度からは一切の悪意は感じられず、純粋な褒め言葉にしか思えない。もしもこれが演技だとしたらたいしたものだとジュリアは内心で舌を巻く。

 二人は領地内にある森に来ていた。

 領地内の農地や商店をゆっくりと周りながら、最後にこの場所に訪れたのだ。

 ベネノの森と呼ばれるこの場所は、自然の実り豊かだが訳あって住民の出入りを制限している場所だ。

 足を踏み入れると、森の中は春の香りに満ちていた。鮮やかな花々がそこかしこに咲き誇り、同時に有害な毒キノコや毒草もそこかしこにはびこっている。

 その中でも特に根元から葉の先へとかけてブルーからピンクへと美しくグラデーションを描く細長い植物は異様に目に付いた。

 それはこの国では取引を禁止されている猛毒な植物だ。

 これが住民の出入りを制限している理由である。

 しかし一見するだけならばそれらは無害だ。瑞々しい葉には、滴がたまり日の光を反射してきらきらと輝いていた。


「この森をそのまま残しているのには何か理由があるのでしょうか」


 ルディもその毒草の存在に目をとめたのだろう、そのような疑問を口にした。この森が毒草の宝庫だというのは今では一部の人間しか知らない。この森を封鎖する際にジュリアがそれを明確に明かさず、地理的に地面が崩れやすく、また、危険な獣が生息しているために危険だと伝えたせいだ。ジュリアが封鎖を行う前から住んでいた近隣住民は勿論そのことを知っているが、ジュリアの提案に否やは唱えず、口を閉ざすことに同意してくれた。


「この毒草は、薬にもなるからよ」


 最初は全ての毒草を根っこから引き抜いて処分するつもりだった。けれどそれに地元住民と探索を依頼した専門家が待ったをかけたのだ。毒草だけを処分する、というのは簡単なことではない。一部の植物を処分すれば、それに伴って他の生態系にも影響が出てしまうし、この毒草を必要としている患者も存在するというのだ。実際に一部の植物は地元では普通に薬として流通しているものであり、ひとまずは薬剤師やら医師やらの専門職のみが申請を行った上で出入り出来るような形で落ち着いたのだ。

 森の周囲には強固で高い柵が張り巡らされ、出入り口には見張りの兵が立っている。いずれどこか、もっと強固なセキュリティの場所に移植できたらと考えているが、そのような場所に心辺りがない以上、なかなかに難しいだろう。


「本当は天井も作って完璧に塞ぎたいんだけどね、それだと日光が遮られて涸れてしまうから……。とはいえ、ガラス張りにするのもコスト面で厳しいのよねぇ。嵐が来る度に割られちゃあ堪らないわ」

「なるほど……」


 彼は軽く頷くと、興味深げに辺りを見渡した。


(さぁ、どうするの?)


 ジュリアは静かにその様子を見守る。

 この場所は正真正銘のレーゼルバールの重要機密のうちの一つだ。やっていることはただ単に領地内の植物の保護であり、ここに自生している多くの毒草は特に規制もされておらず合法なものばかりである。そして一部の規制されている毒草も所持や栽培のみで販売などの取引を行わなければ罪に問われることはない。しかしこの情報は使いようによっては国家の転覆を謀っているとも、実は裏で後ろ暗い行動をしているとも思わせられる事実だ。


(貴方は一体これをどう利用するのかしら?)


 勿論、どのように利用されたとしても致命傷になどはさせない。多少の傷にはなるかも知れないが、このまま得体の知れない人間を腹の内に住まわせておくよりは遥かにましだ。

 その時ふと、ルディが何かに気づいたかのように動きを止めた。けれどそれは本当に一瞬で、すぐに動作を再開させるとその視線の先へと歩み寄る。


(なに……?)


 不審に思ってそちらに目をやっても、ジュリアには何も特別なものなど見えやしない。

 ただ木々が覆い茂っているだけだ。

 そのままルディはその木へと近づくと、脇に刺していた剣を一気に引き抜いた。


「……っ」


 まさか剣を抜くとは思っていなかったジュリアは思わず手に持っていた扇子で頭を庇うようにしながらわずかに後退る。

 すぐに逃げられるようにと瞳は閉じない。しかしルディの剣はジュリアに対してではなく、その木の枝へと振るわれた。

 その剣先に触れた枝がはらり、と木から剥がれるように落ちる。

 白い花のついた枝が、そのまま吸い込まれるようにルディの掌へと収まった。


「ジュリア」


 彼は満面の笑みで振り返ると、ジュリアの髪へとその花を刺した。


「思った通りだ。貴方には白色がとてもよくお似合いです」

「……そう、それは良かったわね」


 ジュリアは微妙な顔で頷いた。

 正直に言うのならば、なんだそれは、という心境だ。

 いや、まぁ、そうだ。そもそもルディはジュリアに婚姻を申し込んだ立場なのだから、ある意味で行動は一貫している。

 しかし剣を抜かれたことで緊張していたものが、一気に緩みなんだか気が抜けてしまった。


(まぁ、いい)


 別にジュリアとて、いままでぼろを出さなかった男がそんなに簡単にしっぽを出すと期待していたわけではない。


(ひとまずは様子見だ)


 ジュリアはいよいよ長期戦を覚悟した。この男とは腹を据えて付き合う必要性がきっとあるのだ。

 わかりやすい餌に何の反応を示さないということは、すなわちもっと複雑で重要性の高い目的があるということ。

 相手は竜殺しの英雄だ。

 相手の企みが分かれば交渉材料にもなるだろう。交渉次第では、今後友好的な関係を築くことも可能かも知れない。


(この関係は財産だわ)


 きっと利益に繋がっている。否、ジュリアが繋げるのだ、自らの手で。

 ルディがこの情報をどうするのか部下にしばらく見張らせておこうと頭の中で算段を立てながら、ジュリアが頭についた花を取ろうとした時だ。


(……?、悲鳴……?)


 森の奥の方から、か細い女性のものと思われる声が聞こえた気がした。

 ジュリアが訝しんでそちらへ目を向けた時にはもう、ルディは駆け出していた。


「ちょ、ちょっと……っ!」

「ジュリアは下がっていてください!」


 ルディの指示は真っ当だったが、素直にそれに従ってその場に立ち尽くして待っている気にはならなかった。

 無論、荒事に無理に首を突っ込む気はない。餅は餅屋に、荒事は戦士に任せるべき案件だ。けれどジュリアは領主だった。この場に居る最高責任者はルディではなくジュリアである。ジュリアには事態を把握し、収拾を図る義務がある。

 むっ、とただでさえ膨張している頬を膨らませて、ジュリアも後へと続く。その仕草は体格から受ける印象以上に俊敏で、ある程度走ることに慣れた者の動きだった。

 そう、ジュリアはデブはデブでも機敏なデブなのだ。

 かくして追いかけた先では、女性が地面に倒れ伏し、それに襲いかかろうとする獣を一撃の下に切り伏せるルディがいた。


その瞬間、ジュリアにはその光景がスローモーションのように見えた。

 女性が地面に伏せるようにうずくまっている。その前に立ちふさがるのは日の光を跳ね返すほどに硬質な毛を持った灰色の獣だ。その牙は鋭く、太い足からは刃物のような爪が覗いていた。

 その姿にも怯まず、ルディは目にもとまらぬ早さで黒い残像を残しながら女性の前へと飛び出すと同時に剣を抜き放つ。

 振り向きざまに放たれたその軌道は美しく弧を描いて、一瞬で獣の首をはね飛ばした。

 獣の首ははねられた勢いのまま後方の草むらの方へと飛んでいく。ジュリアには声を上げるどころか、息を吐く暇すらなかった。

 決して、体格の小さな獣ではない。

 身の丈は立ち上がればルディよりも大きかったことだろう。鋭い牙と爪はどう見ても肉食であることを示していたし、飛びかかろうとして蹴ったと思しき地面には深々と爪の後が刻まれ、その力強さをありありと示していた。

 獣が弱かったのではない、ルディが強すぎたのだ。 


(これが……、竜を殺した英雄……)


 たいして息も乱さずに立つその姿は、普段のぬぼーと突っ立っている姿と変わらないだけに空恐ろしいものがあった。

 彼は気合いなど入れなくとも全力など尽くさなくとも、この程度ならば簡単に殺せてしまうのだ。


(敵に回したくはないわね……)


 敵に回るつもりがあるのかすらも現在は掴めていない状況なのだが、ジュリアは怖じける自身を隠すように扇で口元を隠しながらそう思案した。


「大丈夫ですか?」


 ルディが発した言葉に我に返る。視線を向けるとルディは自身の背後でうずくまり怯えていた女性に手を差し伸べていた。


 雨など降っていないはずなのに何故かしめった茶色い髪、シンプルだが質の良いレモン色のドレスにそんなに長くは歩けなさそうな軸の細い華奢なヒール。

 潤んだ鈍色の瞳には涙が滲んでいた。


 そこにうずくまっていたのはどこからどう見ても正真正銘、そこそこ良いところのご令嬢だった。

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