第3話 探り合い

 ある街人の証言その1。

「ルディ様ねぇ、いやー、あの人は良いお人だよ。この間なんかね、服が汚れるのも厭わずに畑仕事を手伝ってくれてさぁ。何も受け取らずに爽やかに立ち去っていったよ」


 ある街人の証言その2。

「ルディ様かい。あの人は読めないね。一体何を考えてるんだか、ジュリア様に求婚だなんて……。でもこれまでの金目当ての奴らとはちょいと違うね。何がって? そりゃあ、なかなかぼろを出さない所だよ。人当たりが良くってねぇ、でもありゃあ演技だよ。あたしにはわかるよ」


 ある伯爵家の侍女の証言その3。

「ルディ様ですか。……そうですね、現状ではとても穏やかで人当たりの良い、素敵な御仁であると思います。今後はわかりかねますが」


 ある伯爵家の執事の証言その4。

「ルディ様ですね。あのお方は、大変お目の高い、素晴らしいお方です。お嬢様のことを高く評価なさる所などは特に……。いやはや、伯爵家に使えてうん十年、お嬢様の幸福な結婚は諦めかけておりましたが、これは、ひょっとすると、ひょっとするやも……」

 その目には、きらりと光るものが揺れていた。


 ある伯爵家の女伯爵の証言。

「あり得ないわ! この私に求婚だなんて!! 絶対に何か裏があるに決まっているんだから……っ!!」


 憤懣やるかたない、と言わんばかりの口調でジュリアはそう吐き捨てた。

 鼻息荒く、いらいらと地団駄を踏み鳴らす。一級品なはずの屋敷の床がその巨体に揺れた。

 何故そんなにいきり立っているかと言えば「裏が有るに決まっている」と思って色々と揺さぶりを掛けても、一行にその“裏”を見せようとしないからだ。

 とらえどころのないウナギのようにぬるぬるとこちらの引っかけを躱す英雄に対して、ジュリアの血管は今にもぶち切れそうだった。




 あの衝撃の祝勝会の後――。

 我らがレーゼルバールの出身であること、そしてさすがに魔王殺しの英雄殿を粗末に扱うことも出来ないという理由からルディ・レナードはジュリアの屋敷の一室で過ごすことになった。

 英雄の心からの望みを、咎めることは誰にも出来なかったのである。他でもない――王命によって。

 実はあの後、国王自ら「え、ほんとに? 間違いじゃないの?」と6回ほど言い方や表現を変えつつ確認を行ったのだが、その6回ほどの問いかけすべてに英雄殿は意気揚々と頷いて見せたのである。


「はい、俺が確かにお慕いし、婚姻を望んでいるのはジュリア・レーゼルバール様で相違ありません」と。


 あの時の国王陛下の「あー、しまったー」と言わんばかりの表情と仕草をジュリアは一生忘れられないだろう。

 その時ジュリアも激しく内心で同意していたからだ。

 誰もそんな答えは望んじゃいなかったのである。

 これが例えば誰も良く知らん、辺境の田舎のご令嬢であればまだ良かった。

 「え、誰?」と一瞬はなったかも知れないが、別になんの害もないし、誰も困らなかったのである。

 しかし、よりにもよって選ばれたのはジュリアだった。

 デブでブスで行き遅れの、ついでに言えば決して夫を立てるタイプではないであろうジュリアである。


(これは裏がある)


 その場にいる誰もがそう思った。

 あげく「俺は武功によってジュリア様に婚姻を強制する心づもりはありません。あくまでも求婚する権利が欲しいのです。受けてくださるかどうかはジュリア様にご判断いただきたいのです」との発言が飛び出したことで周囲の困惑は最高潮に達した。


(読めない)


 その発言が果たしてなんの予防線なのか、一体ジュリアと婚姻を結ぶことで何を得ようとしているのかが全く予想がつかなかったのである。

 しかし、欲しいと言ったものを与えると約束した手前、国王はそれを認めるより他になかったのだ。

 ジュリアは良い迷惑だ。

 物見遊山で人ごとを決め込んでいたら、まさかの急転直下の大爆撃である。

 仕方がないのでしぶしぶ引き取って帰ってきた次第だ。

 しかしこの男、そばに置いてもよくわからないくせ者だった。




「おはようございます、ジュリア。今日はとても良い天気ですよ」

「そうね」

「良ければ……、一緒に散歩などはいかがでしょうか?」

「残念だけれど、貴方と散歩をして何かが得られるとは思えないの」

「では、……お茶などはいかがでしょうか? 貴方の時間が空いた時でいいので……」

「本当に残念だわぁ。私、お茶は仕事をしながら飲む主義なの」

「おやつなどは……」

「おやつは常に食べているわ」


 そうですか、としゅんとしおらしく落ち込んでみせる36歳、英雄、男。

 心が痛むか痛まないかと言われると痛むような気もするが、面倒くささのほうが今は勝っている。

 最初はわざと怒らせてやろうとこのような冷たい対応をしていたが、一向に怒り出す気配もかといって諦める気配もないため、ジュリアの対応はもはやただの本音だ。

 心の声ダダ漏れである。

 なにせこの男、のこのこと屋敷まで付いてきたと思ったら、一事が万事こんな調子なのである。

 婚姻に関して踏み込んでくるでもなく、ジュリアのことを外出や食事やお茶に誘いたがるだけだ。

 そうして冷たくジュリアに断られた後に何をしているのかというと、屋敷の仕事を手伝ってみたり、外に出て住民の仕事を手伝ってみたり、畑仕事をしてみたりとなんだかふらふらとしている。

 何度か、もしかしたらジュリアの仕事関係の情報でも盗みたいのではと疑って、罠を張ってみたこともある。

 わざと使用人に言い含めて、重要な資料があるからこの部屋には近づかないようにだとか、偽の情報を噂話の振りをして吹き込ませてみたりしたのだ。

 しかし、わざとその重要な資料のある部屋に入る隙を作ったり、これ見よがしに情報をちらつかせても全くの無反応だ。

 部屋に近づくのはおろか、偽の情報も一向に外に漏らされる気配はなかった。

 あまりにも何を考えているのかがわからなすぎて、ジュリアはもう半分投げだし気味だ。

 見張りを2~3人つけるのみで、あとはもう放っておいている。


(あーー、早く諦めてどっか行ってくれないかしら?)


 ジュリアも暇ではないのである。

 苛々と指で机を叩きながら、ふいにジュリアは妙案を思いついて顔を上げた。

 床ではルディがまだ落ち込んでへばりつくようにしぼんでいる。

 思えばこれまでジュリアは裏方に徹していた。

 裏で指示を出してばかりで直接関わるのは部下達に任せていたのだ。

 ここで一歩踏み込んで、真正面からのタイマン勝負をしてみるのもありかもしれない。

 訳のわからない得体の知れない男に精神的に振り回されて疲れていたジュリアには、それはぴかぴかと光り輝く名案のように思えた。


「私、お嫁さんになんかなれないわよ、あんたが嫁いできてくれないと」


 なんの前振りもなくにんまりと笑ってジュリアは地面でしぼんでいるルディに爆弾を投下した。

 不意を打っての奇襲攻撃である。

 その言葉に「はっ」とルディは弾かれたように顔を上げてこちらを見た。

 さて、どう出るのか。


(お手並み拝見といこうじゃないの)


 しかし、予想に反して彼は神妙な顔を作ると深々と頷いた。


「我が家はただのしがない木こりです。兄が跡目を継いでいるので特に問題もありません」


 その返事に拍子抜けする。それを悟られないように表情を保ったまま、ジュリアはなおも言いつのった。


「私、専業主婦になんかならないわ。結婚したからって、相手に領主を譲る気もないの」

「俺は不器用な男です。領地経営などとても出来るとは思えません。ぜひともそうしていただけると助かります」

「私、仕事ばっかりだわ。領民のことをきっと優先させて家庭なんてほったらかしよ。あんたなんかに構わないわ」

「それは悲しいが……、仕事に熱心なのはいいことです。できる限りの手伝いをさせて欲しいと思っています」


 しょんぼりとうなだれながらルディは言う。


「そもそも、俺のようなものが貴方のように立派な方と結ばれようというのが分不相応な望外の望みなのです。出来うる限りのことは尽くす心づもりです」


 ここまで言っても引かない様子に、ジュリアはまたも苛立ってきた。


(なんなの、こいつ……っ)


 普通はここまで言えば、女のくせに生意気だ、だの、せっかくめとってやろうと思ったのに、だのと相手の方から怒り出して話を終わらせてくれるというのに。

 そうでなくても不意打ちでかけられた揺さぶりに、多少は返答を悩むものではないだろうか。


(これじゃあ、まるで……)


 そこまで考えてから、ジュリアは内心で首を横に振る。

 まるで、本心からジュリアとの婚姻を望んでいるようだ、だなんて、あまりに馬鹿馬鹿しい想定だった。

 その時ふと、思いついてジュリアは意地悪くにやり、と微笑んだ。


「私と付き合うならデブ専にならないとだめよ」


 デブのままの私を認めてくれないと、とそう告げたジュリアに、ルディは視線をうろうろと彷徨わせた。

 その様子にジュリアは内心でガッツポーズを決める。


(ほらね!)


 ジュリアのことが好きだなんて言っておいて、このままのジュリアを認める気はないのだ。

 その時、うろうろと彷徨っていたルディの視線が、うろうろと紆余曲折を得て、うろうろとジュリアにまで戻ってきた。

 そのまま捨てられた子犬のような上目遣いで、じっと見つめてくる。


「ジュリアが好きなだけでは、駄目なのだろうか……」

「んんんんんんんんぅ……っ」


 ジュリアは机を叩いてうなだれた。

 なんて返事をしてくるのか、この男は。

 まるで本気で落ち込んでいるように見えるからなお一層たちが悪い。

 自分から勝負をふっかけておいて、これでは負け戦ではないか。


(負け戦……?)


 自分で思ったことに、ジュリアは自分で憤った。

 まさかこのジュリアが、こんな胡散臭い男に負け戦など。


「認めないわっ!」


 がたん、と音を立ててジュリアは椅子から立ち上がった。


「ジュリア……?」

「少し頭を冷やすわ。正確に言うならば領地の見回りよ」


 きょとんとして見上げてくる男を見下ろして、ジュリアは挑戦的に微笑んだ。


「貴方、ついてくる?」

「ぜひ!」


 二つ返事で頷いた男を尻目に、ジュリアは部屋の扉を開け放った。そして、にやり、と不気味に微笑む。


(今に見てらっしゃい)


 絶対にこの男の化けの皮を剥がしてやる。

 この件で一番割を食ったのはジュリアにいちゃもんをつけられたルディでも、ましてやルディに振り回されるジュリアでもなく、たまたま廊下でその二人とすれ違った使用人であったことだろう。


 不穏な笑みに唇をゆがめるジュリアと、その背後を鼻唄でも歌いそうにご機嫌な英雄が縦に連なって歩くのを不幸にも目撃してしまった彼は、そのあまりにも不気味な光景を前に静かに己の死期を悟ったと、のちに同僚に語ったという。

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