第24話{怪しい男 and 彩られるボク}

「悪ィな、少年! ちょっと『上』に目ェつけられちまってよ!」

 その男は、息を切らせながら、集合住宅の七階――おれの部屋を訪ねた。


 無精髭に眼鏡。サイドに流した前髪。ウェーブのかかった長髪。

 四十歳前後の見た目。来ているシャツはヨレていて、ズボンは糸がほつれてボロボロだった。


 明らかに、信用のできない風貌だ。

 おれは玄関の扉から顔を出したまま、何と答えようか考える。


「しばらく居候させてくれねェか? オレを家事代行アンドロイドだと思ってよ。どうだ?」

 男は、隣の部屋に聞こえそうなくらい大きな声で話す。

 もしかすると、下の階にまで聞こえているかもしれない。


 いきなり失礼過ぎないか、この人は。

 おれの父は、AI開発関係の会社に勤めていた(『テセウス』とかいう名前だったと思う)。


 そこではもちろん、清潔感のある服装が徹底されていた。

 こんな風貌の人が、おれの父と友人なワケがない。

どう追い返そうか迷っていると、補助端末ハーネスが独りでに起動した。


「市民、不審な人物を見かけた場合、未来執行局への通報を推奨します」

 助言する仮想アシスタント。すると今度は、

「お願いだ。ただ一枚、描き終えさせてくれ。それだけでいい」

 ポケットから出した絵筆を見せつけ、囁いた。


 別におれは絵画になんて興味は無い。それに、この人が信用できるとも思えない。

 けど、仮想アシスタントに従いたくもなかった。

 だから、おれは、


「一枚描くだけだからな。それに、あまりうるさくするなよ」

 どっちつかずの答えを出した。

 おれは男を招き入れ、リビングへ案内する。


 真っ白な床と壁。真ん中にはソファとテーブル。壁際にはモニターと本棚。

 家族三人には少し広いくらいの部屋だった。今はその時の何倍も広く感じる。


「奥の部屋を使っていいぞ」

 指差したのは、大きな3Dプリンターの置かれた物置部屋。

 プリンターは机よりも一回り大きいから、人が暮らすには少し狭いと思う。

 けど、両親の部屋には入れたくない。それに、無理を言ってきたのは向こうの方だ。

 だから、少し我慢してもらおうと思った。


 しかし、男はリビングのソファに寝転がる、おれの説明を聞き流して。

「へえ、お前、アポロって名前か。良い名前だな」

 壁に貼られた家族写真を見ながら、男はヘラヘラと笑った。


 写真には『アポロ九歳の誕生日』と書かれている。去年の誕生日に撮った写真だ。

 右隣には写真一枚分のスペースが空けられていた。けど、


 その場所はもう、埋まることが無い。

 だって、写真を撮る前に、二人とも死んじゃったから。

 カンファレンス会場で写真撮ろうって、約束したのに。

 おれは何だかイヤな気持ちになった。


「違う。おれの名は『アポリア』だ。知らないオッサンが、勝手に愛称で呼ぶな」

「オレの名はアーサー。これで、知ってるオッサンになったな、アポロ」


 話の通じなさに、おれは溜め息を吐いた。

 おれは何てヤツを家に入れてしまったんだ。

 これじゃまだ、動物の方が意思疎通できるだろう。


「じゃ、そろそろ描いていくか」

 物置部屋の中、アーサーはプリンターで出力した素材を用い、絵画用の三脚を組み上げる。

「そもそも、『それ』って、『上』から許されてないんじゃないの? プリンター用の構成データのやり取りも、検閲が入ってるハズだし」

 リビングのソファに寝ころびながら、おれは話しかけた、禁止ワードを言わないようにして。


「だが、素材そのものを出力して、自分で組み上げる分には『上』の眼を掻い潜れる」

 アーサーは悪びれもせず、三脚の上にキャンバスを立てかける。


「ま、細かいことは気にすんな。お前も、こんなオッサンとは、さっさとオサラバしたいだろ?」

 足を組みながら、絵の具を準備するアーサー。

「それは、そうだけど」

 おれは話をはぐらされ、モヤモヤを感じる。


「ンなことよりもよ、お前もやってみるか? どうせ暇してたんだろ?」

 アーサーはおれの傍らに立ち、机の上の教材をアゴで示した。


 机の上には一度も開かれていない教材。AIから出されたものの、無視した課題たちだ。

 確かに、今のおれは何もしていない。

 暇と言えば暇だけど、それは、そんな気力が無いからだ。


 別に興味ない――おれがそう言うよりも先に、

「ほれ、楽しいぞ。課題をやらないのも、『これ』も、どっちも同じ非推奨行為だ」


 アーサーは無理矢理、絵筆を握らせてきた。

「どっちも同じなら、楽しい方をやろうぜ」


 別に、この男の言葉に同意したワケじゃない。

 ただの暇つぶしだった。

 余計なことで頭の中を埋めれば、悲しみが忘れられると思った。


「まずは好きな物を描いてみろ」

 おれは両親の顔が思い浮かんだ。けど、

「そんなの無い。あと、おれに『命令』するな」

 悲しくなるから、二人を描こうとは思わなかった。


「あァ? ヒネたガキだぜ。なら、オレを描いてみろ」

 キャンバスの向こう側、アーサーは椅子を運び、そこに腰かけた。

「カッコよく描けよ」

 おれに向かってウインクし、ニヤニヤと笑う。


「むしろ、お前なんて嫌いだね。うさんくさいし、失礼だし、命令してくるし!」

「じゃあ、嫌いな物を描け。それでいいだろ?」

「そんなに描いてほしいなら、とびきり変に描いてやるからな!」

おれはアーサーを睨みつけ、机の上の厚紙に絵筆を振るった。


 初めて描いた絵は、散々なものだった。

 輪郭はガタガタだったし、手足も直線的で変な曲がり方をしている。

 それにそもそも、初めに顔を大きく描き過ぎて、胴体のスペースが充分じゃない。

 悔しいけど、AIの描く絵の方が遥かに上手だ。


 アーサーはそれを見て、

「なかなかカッコよく描けてンじゃねェか」

と言った。

「はァ? これのどこが……。全然だよ」

「そうだな、実際のオレの顔は『もっと変』だ。アゴは角ばってるし、ヒゲだってもっと汚い」

 ニヤニヤと笑うアーサー。


「でも、そうじゃなくても『良い』んだ」

「はァ?」


 意味が分からない。おれは首を傾げる。

 すると、彼は新しい厚紙を取り出し、鉛筆を走らせた。

「例えば、アポリア、お前を描くとしよう。お前はただのガキだ。今は背も小っちゃくて、細身。服はガキっぽい図柄がプリントされてるし、オマケに口も悪いヒネたガキだ。でも――」


 慣れた手つきで、おれを描くアーサー。

 いい加減な性格と反対に、コイツの描く線は柔らかくてキレイだった。

 ムカつくけど、それはAIが描く絵よりもステキだと思った。


「羽根が生えてたって良い。角があったって良い。飛んでたって良い。この、真っ白な空間では、何したって『良い』んだ」

 アーサーは楽しそうに笑いながら、絵の中のおれに、色んなパーツを付け足していく。


「この真っ白な世界に『間違い』は無い。だから楽しいんだ」


 それは、あの時の問いの答えだった。

 『正しい選択』も『間違った選択』も無い、自分の意志で描かれる世界。そこには、仮想アシスタントの指図なんて関係ない。


 おれは、おれの意志を持って『良い』んだ。

 そう思ったら、おれは少しだけ、絵を描くのが楽しくなった。


 一年間、アーサーが一枚の絵を描き上げるまで――

「アポリア、お前、何でもかんでも定規使いやがって! 自分の手を信じろ!」

「枠外にやって誤魔化すな、手足の描写を! 練習すれば良い感じになるからよ!」

「今度は下書きしっかりやり過ぎだ! そろそろ本番行け! もっとユルくやれ!」

「色の混ぜ方? それも感覚で良いンだよ! 良い感じに微調整してけ」

「かと思えばお前、上達早過ぎだ! オレの教えること無くなるだろ!」

 おれは何枚も絵を描いた。


「今までありがとな、アポリア」

 アーサーは真剣な表情で、おれに何かを手渡した。

 シンプルな図柄のラッピングをされた、長方形の何か。

 包装を取らなくても、おれはスグに分かった、

 それが絵画だと。


「描いてたのとは別に、並行して作業したんだ。流石に、何か礼をしたかったからな」


 おれは絵を眺める。

 大きなホール。それを埋め尽くすたくさんの人。展示されたアンドロイド。そして、


 その前で笑顔を浮かべる、おれと両親の姿。


 これは、あの日行けなかったカンファレンス会場だ。

 誕生日記念に写真を撮ろうって、父さんと母さんと約束してた。


「壁の家族写真、十歳の誕生日記念が無かったろ? あそこだけ空いてるのは、なんか寂しいよなって思って描いたんだ。お節介だったらすまねェ。許してくれ」


 お節介なもんか。

 おれはそう答えようとした。でも、声にならなかった、


 涙が溢れて来たからだ。

 親が亡くなった後、仮想アシスタントはメンタルケアプログラムを提案してくれた。

 もちろん、それはありがたかった。けど、

AIの行為は単に、『エラーに対するアンサーをしているだけ』だった。


 おれが今うれしいのは、

 アーサーがおれの気持ちを考え、そのために何かをしたいと思った――

 その『意志』に感動したからだ。


「オイオイオイ、何泣いてンだ、アポリア。オレが描いたのは、お前の笑顔だぜ?」

 アーサーはおれの背中を撫でた。

 おれは鼻水をすすり、呼吸を落ち着かせる。


「いいよ、愛称で。アポロでいい」

「そうだったな。オレはもう『知らないオッサン』じゃない。『知ってるナイスガイ』だからな」

「いいや、違うね。アンタはオッサンだよ。ナイスガイじゃない。胡散臭くて失礼で命令してきてテキトーで、声もイビキもうるさくて、家事も全然しないし床で寝るし……。でも――」


 おれは手元の絵を見る。

「優しい作品を描くオッサンだ」

「そりゃどーも」

 アーサーはニタリと笑い、絵の描かれた帆布を麻袋へ入れた。


「じゃ、またどこかで会おうぜ」

 麻袋を担ぎ、玄関へ行くアーサー。


 おれはその背中に、声を掛けた。

「まだ、アンタの元で学びたい。だから、もう少しこの家に居てくれないか?」

「いや、オレは『上』に目をつけられてる身だからな。あまり一つの場所に長居できねェ」

「なら、おれも一緒に行けば――」


「アポロ、お前にはそいつがあンだろ」

アーサーは振り返り、おれの腕――補助端末ハーネスをアゴで差す。


「オレは元より装着されてねェが、お前はその腕輪をつけられている。お前は、 『上』に目をつけられりゃスグ終わりだ。位置情報がトラッキングされ、簡単に捕まっちまう」

 確かに、一市民にはこの腕輪を外す権限は無い。

「だったら肉を少し切り落とせば――」

「そんな価値は無ェよ。オレはただの胡散臭いオッサンだ。それに――」


 アーサーはポケットから絵筆を取り出した。

「オレたちには『これ』がある。例え同じ場所に居なくたって、『何を描いたか』は分かるだろ? ま、『上』が無視できないよう、色んな壁にでも描いてやるつもりさ、とっておきの名画をな」

 いつものニヤニヤ顔で、彼は何か描く仕草をしてみせる。


「うん、そうだね」

 おれが答えると、

「またヤバくなったら居候させてもらうぜ。そン時、絵筆が無かったら困るな。だから――」

 アーサーは持っていた絵筆をこっちに突き出してきた。


「ここに置いといてくれよ」

 おれは涙を拭い、絵筆を受け取った。


「しょーがねえな。次居候する時は、ちゃんと家事やってもらうからな」

「その節は悪かったな。約束するぜ」

アーサーは改めて麻袋を担ぎ、

「またな、アポロ」

 部屋を去った。

 その、数か月後だった、



 アーサーが未来執行局に捕まったのは。

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