間違わない世界と間違いだらけの私
第22話{偽りの摩天楼 and 決戦に赴く私}
「悪いな、シャノン。どうやらここに、イェレーネの秘密は記載されてない」
摩天楼の最上層――私たちは、テセウスの社長室にいた。
三面ガラス張りの壁。漆黒の机に柔らかそうな椅子。応接のためのソファ。
普段目にすることの無い、高級そうな家具が置かれている。
私と五月雨は、パソコンを操作するアポロの傍らに立っていた。
「そんな! この部屋の物理ストレージは全て調べたのにッ!」
「でも、おかしくないか?」
緑の髪を振り、五月雨は首を傾げた。
「テセウスは、AIやそれに付随するデバイス――全てのメンテナンスを請け負ってる。だから、イェレーネは『この都市のAIにバグは無い』って宣言してた。なのに、どうしてだ? ここには、彼の秘密はおろか、メンテナンスの履歴すら載っていない」
確かに、五月雨の言う通りだ。
どうして、イェレーネが持つ能力――拡張デバイスに関して何の記述も無い?
メンテナンスしているなら、何か情報があるハズなのに!
せっかく苦労してここまで来たのに、何の収穫も無いって言うの?
私はデスクから離れ、応接ソファに腰かけた。
って、何だろう、このソファ。少しだけ固いような?
「そもそも、おかしいよな! あの統治AIが、メンテナンスを人間に委ねる? あんな、『人間から全てを奪おうとする統治AI』が?」
その時、一つの違和感が私の電脳――RAMに浮かぶ。
私は立ち上がり、アポロの傍ら――デスク前の床を見た。
だが、そこには傷一つも無い。椅子のキャスターによる擦れも、布の解れも。
「この床、綺麗過ぎるわッ! ねえ、二人とも、これって――」
「ああ、そうかもな。この社長室は、利用されていない」
アポロの口から改めて言われ、ようやく客観視できる。
よく見れば、さっきのソファも、アポロが座る椅子も――
「本革が劣化していないッ! 材質が革のアイテムは、使用するほど『柔らかく』『馴染んで』いくハズ。けど、この部屋の調度品は、そのどれもが新品のままだわ!」
「でも、そんなのありえるのか? 社長室なのに、利用されてないだなんて」
信じられないといった表情の五月雨。
「だって、テセウスはこの都市の主要企業。社長の顔だって、ネットニュースなどで目にしない日はないぞ?」
五月雨の理屈は最もだ。
テセウスの社長――引きこもりがちな私ですら、紙面でその顔を見たことがある。
「なら、この社長室は偽物? でも、そんなもの、何のために?」
「一つあるぜ、その矛盾を解決する答えが」
立ち上がるアポロ。そして彼は無表情のまま、
「社長の存在自体が偽物って答えだ」
「どういう意味だ? 社長の顔は、ネットでいくらでも――」
簡易液晶に顔写真を出して見せる五月雨。
「私もそう思うな、アポロ。社長が存在しなんて、いくら何でもそんな――」
「じゃあお前ら、その社長を写真以外で見たことはあるか?」
「写真以外? そりゃ、直接見たことは無いケド、動画とかなら――」
私も補助端末を操作するが――
アレ?
ヒットするのは、どれも関係の薄い動画ばかり。
アポロの言う通り、写真以外に社長の顔は確認できない。
「どういうことだ?」
「この顔写真も、そもそもこの人物の存在ですら、『偽物』だってことだ」
アポロは自分の簡易液晶を私たちに見せた。
画面に表示されているのは、社長と同じ顔の男。
そしてその男は――
「既に死亡しているッ!」
「これは推測だが――」
液晶を閉じるアポロ。
「イェレーネは、この男の顔を元に、架空の顔写真をAI精製している」
つまりイェレーネは、『自分にバグが存在しない証明のため』だけに、架空の人物を?
自分に起きたバグを修正されないために、そんなことまで?
確かに、メンテナンスを受けている言質があれば、市民のフラストレーションも分散する。
「この場で読み取れるデータは、『特別教育プログラム』の詳細くらいだ」
「分かるぜ、言わなくても。記憶を消すだけのプログラムだろ?」
「厳密には、高度に発展したVR技術のようだな。AIが生成した任意のヴィジョンを高速で人間に『学習』させる――記憶の上書き処理 オーバーライティング――それが『特別教育プログラム』だってな」
確かに、それなら辻褄が合う。
五月雨は『昨日の記憶が喪失した』んじゃなく、『昨日の記憶以外』を『何度も学習させられた』んだ。だから、昨日の記憶だけ欠落してしまった。昔の記憶を思い出せなくなるように。
「でも、だからどうだって言うの?」
そのまま床に座り込む私。
「イェレーネの秘密が分からなきゃ、倒せっこないわ!」
展示会でのことを思い出す。
あの時、私は大扉で彼のボディを引き裂いた。なのに、破壊されていたのはリノ。
その秘密が分からないなら、私たちに勝ち目はあるの?
せっかく苦労してここまで来たのに!
「そしてその『特別教育プログラム』を管理するのは、スーパーコンピューター『HERALD』 。この都市で最も大きなコンピュータ―だ」
「そんなの、イェレーネに関係は――」
いや、違う。
私はそこで、彼の真意を理解した。
「この都市を管理するAIなんて、生半可なCPUじゃ管理できねェよな? そして、HERALD は、この都市で最大のコンピューター。どういうことか分かるよな?」
「つまり、私たちが倒すべきはイェレーネじゃなく、HERALD のメインクラスター!」
不敵に笑うアポロ。
「そうだぜ。そして、メインクラスターの場所は分かった。テセウス管理下の研究所。そこにHERALD の心臓部が存在する!」
メインのクラスター。
つまり、イェレーネの棲むスーパーコンピューターの中でも、主要なCPUがそこにある!
イェレーネの秘密は分からないまま。
でも、メインのクラスターに接触できればチャンスがあるかもしれない。
イェレーネがいくら不滅でも、CPUは無防備のハズだ!
「次の目的地は決まったわね! 五月雨も行くでしょ?」
「俺だってお前らに協力したい。だが――」
五月雨は首を横に振る。
「遠慮させてもらうぜ。俺が刺客として送り込まれた時点で、失敗した場合も考慮してい
るハズ。俺が裏切った時の保険として、ダチや家族を誘拐しているかもしれないからな」
確かに、イェレーネはそういうヤツだ。
展示会場だって、人間の心を折るために、色んな交換条件を出してきた。
人質くらいは取るよね。
私の言葉も軽率だったかも。やっぱり、この戦いに、彼を巻き込みたくない。
「分かったわ、五月雨。ここまで付き合ってくれてありがとうね」
「安心しろ。俺はついていけないが、そのロボットアームがついていますわ。それには『とある機能』が備わってるからな。それは――」
五月雨と別れた後、私たちは旧居住地区――
工業地帯に来ていた。
銀色の景色。大小さまざまな煙突。どろどろと蠢く煙。触手のようなパイプ。それは気味悪く伸び、幾つもの建物を繋いでいた。轟く機械音は、私たちの声すら掻き消してしまう。
それ全体が生き物のように稼働している。
けど、構成物にフォーカスを当てると、とても無機質。
その歪さには、吐き気のような物を感じた。
見ているだけで、送風機に機械油が詰まってしまいそう。
そんな気色の悪い工場の傍らに、私たちはバイクを走らせていた。
腕の力を強め――
バイクの上、アポロの背中にくっついた。
「そろそろかな? アポロ」
アポロが見据える先は、真っ白な建物群―― テセウス管理下の研究所だ。
距離はまだ遠い。そんなのは分かってる。
けど、もうすぐだよって言って、私を安心させてほしかった。
何て言うか、旧居住地区――ここは、気の滅入る空気が充満しているから。
「不安か、シャノン?」
私の質問なんて無視して、優し気に囁くアポロ。
「確かに、オレたちが向かう場所は未知の場所。予想だにしないことだって待ち受けてる。でも、これだけは間違いない。そこがどんな場所であろうと――」
アポロは私に背を預けたまま、親指を立てる。
「お前にはオレがいるし、オレにはお前がいる。だから『安心しろ』――これは命令だ」
そうだったよね。
私は一人じゃない。アポロがいる。
それに、五月雨が預けてくれたこのロボットアームもある。
何も不安がることなんて無いんだ!
「でも、どうしてアポロの心はそんなに強いの?」
「心か。それはある創作に救われたからだ。オレの心は、あの時から一度も折れていない」
クレイドルの天蓋――偽物の星空を見上げ、
アポロは語り出した。自分自身が幼かった頃の記憶を。
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