第17話{記憶喪失 and 心折れる私}

 五月雨は首を傾げる。

「俺はぜ、お前となんか」


 『会ってない』?

 そんなのアリエナイわ!

 でも、もし、

 それが本当なら、彼は一体……?


 不意に抜ける力。私は尻尾からドアフレームを取り落とす。

 ガラガラと音を立て、転がるドアフレーム。それは、ハイウェイの遥か後方へ消えて行った。


 会ってない?

 でも確かに、私は昨日、五月雨に会った。そして、彼女に何度も助けられたんだ。

 だから、会ってないなんてアリエナイッ!


「ところでお前」

 バック走行のまま、五月雨は私を指差した。

「その拡張デバイス、どこで手に入れた? どうせ昨日の展示会場から盗んだんじゃないのか? どうにも、俺の所属するグループが作ったものと似ているからな」

「盗んだ? 違う! 私は守りたくて――」


 懐から何かを取り出す五月雨。

 キラリ。一瞬だけ光り、それはボルトと同じ軌道を描く。

 銃口に吸い付いたかと思うと、

 次の瞬間、それは銃弾のようなスピードで、こちらへ投擲された!


「避けろ、シャノン!」

 急ハンドルを切るアポロ。

「え?」

 そうだよね。私、攻撃されてるんだ。だから、避けなきゃ。

 避けなきゃいけないのに、


 私の思考領域は、何の解答も出せなかった。

 矛盾する命題をプログラムされたみたいに、私の思考は止まったまま。

 私に何が起きたのか。あるいは、五月雨に何が起きたのか。

 永遠に出ない問いに、私の回路はグルグルと惑っていた。


 ガチャリ。

 響く金属音。気付けば、私の右腕には、枷が嵌められていた。

 五月雨が射出したんだ、この手錠を、

 最初に会った時と変わらぬように。

 繋がる先は、隣を並走する大型トラック――その側面の梯子部分だった。


 どうしよう。私が呆然としてる間に、またアポロに迷惑かけちゃった。 挽回しなきゃなのに。

 刹那――


 視界の隅、大型トラックのウインカーが灯る。

 その先はジャンクション。でも、その方向は――


「早く抜け出せ、シャノン! ここを曲がったら、摩天楼へは辿りつけねェ!」


 そうだよね。

 ここが分岐点。私はこんな鎖断ち切って、アポロの元へ行かなきゃいけないんだ。

 私は見つめる、ハイウェイの先――五月雨を。けれど彼女は、軽蔑したような表情。

 五月雨はこちらを睨んでいるんだ、昨日起きたこと、全部無かったみたいに。

 まるで栞を挟み忘れた小説。

 五月雨は本当に覚えてないのかな、昨日のこと。その時――


 脳裏に過ぎったのは、展示会場で聞いたリノの言葉だった。

 特別教育プログラム。そして、

 記憶データ初期化フォーマット


 やっぱりあの後、五月雨はその犠牲に?

 完全に記憶が無くなったワケじゃないけど、何か近しいことが起きてるのかも。

 確証は持てない。でも、そうじゃなきゃアリエナイよね、こんな記憶の齟齬。

 きっとそうだ。あの後、五月雨は執行局に捕まって、記憶を改竄されたんだ!

 でも――


 原因が分かった? だからどうしたって言うの?

 私は再び五月雨を見つめた、変わってしまった――否、変わることを否定された彼女の姿を。

 アポロのお陰で、がんばることの意味を知れた。それは、私にとって大きな変化だと思う。

 疎んでた私を、助けてくれた五月雨。偏見を持ってた人間の小説も、理解を示してくれた。

 どれも、アポロに勇気を貰えたからできた経験だ。けど、


 昨日のがんばりは、全部無駄だった。全部イェレーネに消されてしまった。

 昨日の記憶が、うれしければうれしいほど、ツラい。

 がんばればがんばった分の悲しみ・空虚さ・無力さが私の中でいっぱいになる。


 なら、やっぱり、がんばったって無駄なんだ。

 これから先、同じようなことが立ちはだかるなら、私は耐えられない。

 私なんかが『がんばる』なんて、やっぱりアリエナイんだ。


「アポロ、もう私のことは放っておいて!」

 私はトラックの梯子に飛び移る。だってもう、耐えられそうにない。

 アポロみたいに、強くないから、私は。それは身体的なものだけじゃなく、精神的にも。

 私が一緒にいたんじゃ、彼の足手まといになる。


 曲がり行くトラック。アポロとの距離がドンドン離れていく。

 でも、それでいい。

 元々、私たち二人、一緒にいるなんてアリエナイんだ。


「ごめんね、アポロ。今までありがとう」

 私は俯きがちに呟いた。

 それなのに――


 握られる手。

「オレと一緒に来い、シャノン! これは命令だ」

 目の前には、バイクに乗ったアポロ。彼は私の手を握り締め、真っ直ぐな視線を投げかける。


 何でそんな目で見つめるの?

 自分の罪が糾弾されてるみたい。でも、仕方ないんだ。

 私は、自分の可能性を信じれない。


「早く手を離して! このままじゃ、別の道に入っちゃう! 私のことは放っておいてよ! だって、がんばったって報われるとは限らないんだよ? 昨日がんばったことも全部無駄になった! それに、私なんかが、また五月雨に分かってもらえるワケない! だから――」


 私はアポロから顔を背けた。

「だから諦めるの」

 けれど――


「前を向けよ、シャノン」

 アポロは私の頬に触れ、無理矢理に目線を合わせる。

「お前、昨日は一度、アイツと分かり合えたんだろ? ならきっと、何度だって分かり合える」


「私には無理だわッ! 耐えられないのよ! 何度も挑戦する我慢強さなんて、私には無い」

「何言ってんだ、シャノン」


 アポロはいつもみたいに、不敵に笑った。

「お前、いつも分厚い小説読んでンだろ? ちゃんと我慢強いじゃねェか! 少なくとも、オレにはできないぜ、図書館の本を全部読みつくすなんて芸当。そんな小説好きのお前だからこそ、五月雨は心を開いてくれたんだろ?」


 そんなの詭弁だ。

 本を読むことと、失敗してもがんばり続けることは全然違う。

 アポロは、統治AIの情報を手に入れるために私へ接触した。

 だからきっと、この言葉も、適当に私を繋ぎ止めるためのごまかしなんだ!


 私は必死に考える、熱でおかしくなってしまいそうな頭で。

 だって、何か思い込まないと、ほだされてしまいそうだったから。

 アポロの言葉はいつだって力強くて、信じてしまいそうだったから、

 私は頭を彼への否定でいっぱいにした。なのに、


 アポロは私から目を逸らさない。真っ直ぐな瞳を向け、私に優しく微笑みかける。

 もうやめて! 何も喋らないで!

 あなたが喋る度、私の思考領域はぐちゃぐちゃになる。

 体中の回路が、溶けて無くなりそうだ。


「シャノン、お前――」

 アポロは再び私の手を取った。

「アイツを助けたのは、報われるためじゃねェだろ?」

 瞬間――


 私の全身に何かが漲った。

 そうだ。私、あの時、

 五月雨に感情移入しちゃって、ただ無我夢中で駆け出してた。

 それが報われないとか、無駄だとか、悲しいとか、空虚だとか、無力だとか――


 全部関係無いんだ。

 今、私にとって大事なのは――

 五月雨を助けたい!

 たったそれだけの気持ち。


 五月雨の記憶が消されたってことは、きっと彼の友だちも同じ。

 二人を助けないなんてわッ!


 私はアポロの手を握り返す。

「ありがとう、アポロ。やっぱり私、あなたと一緒に五月雨を助けたい!」

「ああ、待ってたぜ。その言葉を」

 そう言うと、アポロはまた、いつものように笑った。


 ホント、理解できないわ。こんな私のために、血を流して、道を外れて――

 どうしてアポロは、こんなにも、他人のためにがんばるんだろう。

 もしかしたら彼も、目の前で困ってる人を放っておけないのかな?

 だとしたら、少しうれしい。何て言うか、私も少し、彼に近付けたみたいで。


 私は尻尾を使い、トラックの梯子から手錠を引きちぎる。

 そして、バイクの後ろに飛び乗った。もう絶対に降りない。自分の役割を全うするんだ!

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