第11話{相互理解 and 救われる私}

「五月雨!」

 イェレーネを突き飛ばし、私を守ってくれたのは彼だった。


 うれしい。けど、

 どうして私なんかを?

 私は五月雨の顔を見上げた。


「つまり、ここで断罪する権利は、イェレーネ様には無いハズです」

「そんなの詭弁だ! その程度の権利くらい、イェルが申請すればいくらだって――」


「なら、申請してくださりませんか? 俺の処遇は、その後でいくらでも受け入れるッ!」

五月雨の言葉に黙り込むイェレーネ。

親指を噛みながら、彼女は五月雨を睨みつけた。


「それとも、イェレーネ様、その進言を無視して、このまま私たちを『断罪』するんですか?」

 五月雨のこめかみから流れ落ちる汗。

 それだけじゃない。手錠の掛けられた両手には血管が浮き出、彼の興奮が伝わってくる。


 きっと、五月雨もプレッシャーを感じてるんだ。

 友だちを人質に取られ、この都市の最高権力者を目の前にして――

 なのに、それでも自分の生活を天秤に掛けてまで、立ち向かってくれてる!

 その気持ちはうれしいし、彼のことを少し見直したとさえ思う。でも、


 私を虐げてきたイヤなヤツでさえ、私以上に価値のある何かを持ってる。

 そんな、僻むような自己嫌悪のような感情が押し寄せて来て、頭が熱くなった。


「もし、ここで私刑に及ぶのだとすれば、それこそじゃないんですか?」

 イェレーネを見つめる五月雨。しかし、イェレーネは――


「イェルに口答えするのもルール違反だッ!」

 感情に任せ、パイプ椅子を蹴りつけた。


「もういいよッ! 断罪はリノに任せる! これでイェルはルール違反じゃないだろ!」

 リモコンをリノに突きつけるイェレーネ。


「でも、本当にいいのかな、市民。アナタの友だちはこれで初期化フォーマットされる。もし、アナタがボクの言うことを聞けば、二人とも助けてあげるけど?」


 イェレーネは私の襟元を掴み、床に突き飛ばす。

 私は受け身を取ることもできず、地面に打ちつけられた。

「お姉ちゃんの首をへし折って、お前がするんだッ!」


 吐き捨てられるイェレーネの言葉。

 私は顔を伏せた。

 だって、私には自身が無かったから。


「確かに、それは好条件かもな」

 頭上から響く五月雨の声。


 やっぱり、そうだよね。

 さっき、彼は私を庇ってくれた。けど、

 それは、この状況でイェレーネが共通の敵だったから。


 五月雨にとって、私は別に、大切な存在でもなんでもない。だから、

 私を壊せば救われる――

 そう提示された時点で、五月雨がイェレーネと敵対する理由は無いんだ。


「俺はこれまで、AIに従って生きてきた。人間の芸術活動が禁じられたことで、俺の夢は潰えた。それでも、『みんな我慢してるんだ』そう自分を納得させて生きてきたんだ! だからこの平和ボケを見た時、許せないって感情が溢れてきた」


 五月雨は私を一瞥した。

「どうしてこの女はルールを破ってる? クレイドルじゃ、誰もがそれを我慢してるってのに――」


「それで良かったんだよ! 市民、お前は! 私の決めたルールに従ってない、そいつがんだッ!」


 そうだよね。

 五月雨は私を疎んでたんだもん。

 私なんかを助けてくれるワケない。

 最初から分かってたじゃないか。

 そもそも、この場には私の味方なんていなかったんだ。

 きっと私、ここで壊されちゃうんだ。

 壊されるのは嫌だし、怖い。

 でも、


 もう、それでも良いのかな?

 アポロにもおばあちゃんにも、恩返しはできなかった。けど、

 私なんかの命で――

 いや、命すら持たない私に、何らかの価値が生まれるんだ。

 それでいいよね。


 ぽたり。

 軋んだボディから零れ落ちる冷却水。

 その雫は、床の上の本にシミを広げていく。


「だが――」

 五月雨は傍らにしゃがみ込み、

「俺の心を救ってくれたのは、そんな彼の言葉だった」

 私の肩を抱いた。


「さっき俺は、ボタンを押しちまうところだった」

 俯きがちに呟く五月雨。それは、とても悲し気な表情だった。


「ダチは大事だ。でも、統治AIの命令は絶対。俺が統治AIに背くことで、親やダチどもの市民ランクが下がったら? 親やダチどもの記憶が初期化フォーマットされたら? 俺はこの先、誰と笑い合えばいい? ダセェ話、そんなことを考えたら、とても不安だった。だが――」


 五月雨は私に視線を向ける。優しい眼差しだ。

「彼女が――彼女の言葉が、俺を勇気づけてくれた! だから、彼女の読んでいた人間の小説も、きっと温かい言葉で溢れている──そう思った」


 五月雨は私に肩を貸し、立ち上がる。

「だから、その申し出は拒否させてもらうッ!」


 イェレーネを睨みつける五月雨。

「俺は、お前の作るルール――人間の創作物を弾圧したり、人と人の繋がりを断ち切るものこそ。違うか?」

 人差し指をピンと突きつけた。


 良かったな。

 無駄じゃなかったんだ、あの時の、私の言葉。

 そう思うと、少し救われたような気持になった。


「申し訳なかったな、二人とも」

 茶髪男と私――二人の顔を交互に見る五月雨。


「気にすんな」

 茶髪男は彼の言葉に、穏やかな表情で応える。


「俺だって、AIの預言に逆らうのは怖いと思う。それに、おれがこんなことになってるのは自分の責任だしな。だから、お前は気にすんなよ」


 五月雨は少しだけ微笑み、イェレーネに向き直った。

 対するイェレーネは、不服そうに眼を細める。


「イェルの言葉に対しては、全部『YES』で答えればいいんだよ! なのにッ!」

 頬を膨らませ、スカートの裾を力強く掴む。

 怒りをどこかにぶつけないと、生きていけないみたいに。


「ならもういいッ! その男の記憶は初期化してやるッ!」


「なら、一つだけ『お願い』してもいいか?」

 五月雨は大粒の汗を流しながら、目を伏せる。


「ハァ? イェルに逆らうだけじゃなく、何かをねだろうって言うのか?」

 イェレーネは距離を詰め、五月雨のネクタイを掴んだ。


「気に入らないヤツ! 親に甘やかされてるから、そんな考えになるんだよッ! ホント、人間って嫌いだ! 気持ち悪いなあッ!」


 聞いているだけで胸が痛い。

 第三者の私がツラいなら、当の本人――五月雨はもっと悲しいんじゃないかな……。


 ちらり。

 私は隣に佇む彼女に視線を向ける。


 けど、五月雨は落ち着き払った様子で、

「一緒に、俺の記憶も消してくれ」

 イェレーネの方へと歩いて行く。


「記憶を失えば、きっと不安でいっぱいになるハズだ。『自分は誰なんだろう』『彼・彼女は誰なんだろう』『記憶を思い出すことへ向けられる周囲の期待』『思い出せない焦燥』――色んな気持ちが頭を埋め尽くすかもしれない。だが――」


 五月雨は振り返り、茶髪男を見つめた。

「その寂しさ・不安感は和らげられる、周囲に同じ記憶喪失のヤツがいれば」

 彼の顔は慈しみ溢れている、昨日の五月雨と同一人物だとは思えないほどに。


 ダメだ!

 せっかく、あと少しで、お互い理解し合えそうなのにッ!

 このままじゃ、みんな記憶を消されてしまう! そんな結末、アリエナイわッ!


「ホント、気持ち悪いよね、愚民はさァ。お望み通り、全部初期化してあげるよッ!」


 リノに目配せするイェレーネ。

 対するリノは、無言で首肯し、リモコンのボタンを押す。

 その寸前――


 私はリノに体当たりした!

 瞬間、リモコンを掠めとる。

 よろけるリノ。イェレーネはそれに巻き込まれ、二体とも床に投げ出された。


 やった! 五月雨が注意を引いてくれたお陰だ!

 イェレーネとリノがよそ見をしてくれたから、チャンスが生まれたッ!

 とにかく、この場から逃げなくちゃ!


「二人とも、早く!」

 私は倉庫の扉を開き、背後の五月雨たちに呼びかけた。


 ここから逃げて、アポロと合流しよう!

 そうすればきっと、何とかなるハズ!

 それまでは私が、アポロみたいにがんばるんだ!

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