第10話{拉致される私 and 譲れない気持ち}

 いつの間にか、周囲に市民はいない。

 きっと、騒ぎの中心にイェレーネがいることを知ったのだろう。

 各々、遠くの展示ブースの陰から私たちを見守っていた。


 それもそうだよね。

 少し抗議しただけで記憶を消されるような世界なんだもん。

 面倒事なんて、誰も関わりたくないハズ。


「じゃあ、リノ、よろしく」

 私たちを指差すイェレーネ。

 瞬間、


 私の体は羽交い絞めにされた。

 どこから現れたのか、

 背後から私を強襲するリノ。

 抜け出そうにも、腕や体はビクともしない。

 まるで、体ごとボルトで固定されたみたいだ。

 辺りを確認すると、五月雨や茶髪男も、同じように取り押さえられてる。


「ご安心ください、市民」

 周囲へ笑いかけるイェレーネ。

 その表情は本当に天使のようで、無垢な愛らしさすら感じた。


 人の心を掴む表情ができるのは、きっと他人の気持ちが理解できるから。なら、

 どうして彼女たちは、人間にこんな仕打ちをするんだろ?


「イェレーネ、私たち、話し合えないの?」

 しかし、その問いかけは彼の声にかき消された。

「市民は愚かだけど、ちゃんとイェルたち――AIが守ってあげるからね」


 そして、今度は冷ややかな表情に戻るイェレーネ。

「リノ、連れて行って」


 私たち──五月雨と茶髪男は手錠を掛けられ、どこかへ連行された。

 暗がりと、大量の木箱や段ボール箱。

 私たちが連れてこられたのは、展示会場の倉庫だった。

 あまり手入れがされてないのか埃っぽく陰気。私みたいな非国民にはお似合いの場所かもしれない。と、自嘲する。


 対して、イェレーネとリノは私たちを置き去りに、どこかへ消えた。

 倉庫は施錠され、完全な密室だ。

 この状況でいなくなった──ってことは、なにか外せない出来事があったってこと?

 例えば、博覧会に来賓した人への挨拶とか、使の対処に追われてるとか。


 私、アポロの足引っ張っちゃってるのかな?

 だとしたら不甲斐ない。

 私も彼みたいに、誰かを助けたかったけど、やっぱり役者不足なのかな。

 私は俯き、自分にかけられた手錠を見つめた。

 すると──


「お前、何のつもりだ?」

 五月雨が呟く、低く小さな声で。


「昨日、あれだけ俺にボコられたクセに。どうして俺のダチを助けようとした?」

 五月雨の表情には、怒りと戸惑いが混じる。

 理解のできない他者を見る時の眼だ。


 まあ、そうだよね。

 だって、私だって理解できてないし、さっきの自分の行動。

 ただ、一つだけ理解してることは──


「我慢ならなかったの、あんな不条理を押し付けてくるアイツらが。だから、いつの間にか体が動いてた」


「チッ、イラつくぜ」

 五月雨は大きくため息を吐き、倉庫の壁際に座った。


「ダチのために動いたこと、感謝してやりたいとこだが──」

 自分の腕に嵌められた手錠をジャラつかせる五月雨。

「やっぱり統治AIへの反逆は無意味。クレイドルでは、みんなどこかで落とし所を見つけてる。我慢して生きてくしかないんだ」

「それでも──」


 茶髪男が口を開く。

「それでも俺は、してるから、感謝。これからどうなるか分かんねぇけどさ。でも、あの時手を差し伸べてくれて、うれしかった」

 目線を上に向け、彼は照れくさそうに言葉を結んだ。


「ありがとう! 私もうれしい」

 良かった!

 私も、アポロみたいなヒーローやれてたのかな……?

 だとしたら、私の無謀な行動も、少しは報われたかもしれない。


「平和ボケ女が……」

 五月雨は、私に聞こえるように呟いた。

「アナタこそ、どうしてみんなに我慢させようとするの?」

 そう、問いかけた時だった。


 乱雑に開けられるドア。

 現れたのはイェレーネと一体のリノだった。

 私たち三人の前──イェレーネはパイプ椅子に座り、リノはその傍らに立つ。


「理解してるのかな?  愚民ども。クレイドルじゃ、ルール違反は最もいけないことなんだよ?」

 ぎしぎしと、パイプ椅子を揺らすイェレーネ。

 その表情は私たちを見下すよう。さっきまでの笑顔が嘘みたいだ。


「特にお姉ちゃん」

 イェレーネは立ち上がり、私の膝を足で小突く。

 けれど、私の両腕には手錠。反抗することはおろか、逃げることすら難しい。


「追い出されたクセに、また私たちの邪魔をする気なの?」

 イェレーネはため息をつき、私の脚を踏みつけた。


 私はアンドロイドだから痛みは感じない。けど、ボディの軋む音には、 とても不安を感じる。

 壊れちゃったらどうしよう。まだ誰にも、恩返しできてないのに。


 とにかく、この場を切り抜けなきゃ!

 アポロはまだ不在。それに、本来の目的は交渉だ。

 ここで対立するのは、アポロの迷惑になるかもしれないから。

 けど――


 私はイェレーネの右手――リモコンを見つめる。

 ボタンの上に乗せられる親指。

 アレを押されれば、あの人――茶髪男の記憶が消去されてしまう。

 とにかく――


「後で話すわ、私のことなんて」

 イェレーネに分かってもらうんだ、

 リノによる断罪が不当なものだって。


「今、リノは、市民を罰しようとしていた。展示物の撤去を巡った諍いだわ。けど、リノの申し立ては不当なの。だから、市民側にも情状酌量の余地があるわ! そもそも、市民側に『非』なんて『無い』けれど、どにかく――」


「退屈だね、お姉ちゃんの話」

 イェレーネは肩を竦め、目の前をゆっくり通り過ぎていく。


「お姉ちゃんは知ってる? この世で何が一番大事か」

 リモコンを弄ぶイェレーネ。私は、リノの抱えた本――さっき奪われた小説を見つめた。


 おばあちゃんから色んなことを学んだ。

 そして、アポロとも出会えた。

 何が一番大事か――

 そんなの決まってる。


「一番大事なのは『感情』よッ! それは全てにおいて大事なことだわッ!」

しかし、


「残念。『不正解』だよ」

 彼は私を一瞥した、憐れむような表情で。


「必要なのは『静寂』。『一つの騒音ノイズも無いこと』こそ『秩序』なんだ」

 立ち止まるイェレーネ。

 それは、とある人物の目の前だった。


「 感情なんてあるから、ルールを破るんでしょ? そして、ルールに従わないのは騒音ノイズ。 感情も騒音ノイズ。 『静寂』こそ、みんなの平穏に必要だよ」


 イェレーネはしゃがみ、リモコンを彼女――

 五月雨の手に握らせた。


 リモコンを渡した?

 これでもう、イェレーネがあのボタンを押すことは無い。

 五月雨の友だちは助かったってこと?


「目を瞑ってよ、市民。そして、そのボタンを押せ」

 優しく握られる手のひら。

 甘い声で囁くイェレーネ。

 五月雨は、血の気の引いた顔で、自分の友人を見つめていた。


 視線の先、取り巻きの頭には、ヘッドギア型のドローン――特別教育プログラム。

 それは黒い光沢を帯び、トゲトゲしい装飾とともに、石膏像のような顔がくっついている。


 ドローンに付けられた顔はどこか虚ろで、怒っているようにも悲しんでいるようにも見えた。

 何て言うか、とても無機質で、

 ドローンの表情は、見る人が抱く不安感を映し出しているみたいだ。


 響く、坂撒く風のような駆動音。

 その音は、慟哭のようにも聞こえた。

 取り巻きは、悲しいような諦めたような表情で、五月雨を見つめ返す。


 きっと、この場にいる誰もが、イェレーネの言葉の意味を理解している。

 自分自身の手で、友だちを終わらせろ――そう、命令されているんだって。


 助けなきゃ!

 でも、私からの距離は三メートル。

 リモコンを奪うより先に、ボタンは押されてしまう!


 やっぱり、私はアポロとは違う。

 こんな時、何もできないんだ。私は何も持っていないから。


「ボタンすら押せないなんて、相変わらず愚かな市民だ」


 五月雨の腕にまとわりつくイェレーネ。

「でも、安心して。AIの預言に従っていれば幸福だから。だってそうでしょ?」


 イェレーネは自らの補助端末 ハ ー ネ ス

を操作し、空中に簡易液晶を展開した。

 そこには、フローチャートのようなものが映し出されていた。

 産まれ、死んでいく、人間が生きるプロセスを表にしたものだ。


「難しいことは考えなくて良いよ。学校だって、仕事だって、人間関係だって、趣味だって――AIの預言に従えば、失敗なんて無い。騒音ノイズの無い暮らしが約束されるんだよ?」


 震える五月雨の手。

 手のひらのリモコンを見つめ、彼は顔を蒼白にしている。


 何が幸福だ!

 何が失敗の無い暮らしだ!

 私は拳を握り締める。

 そうやってイェレーネは、私のおばあちゃんを排除した。

 今度は、私の目の前で、人間の友情を断ち切ろうとしている!


「そんなのアリエナイわッ! ボタンを押した先に、『幸福』なんて無いッ!」

 私は立ち上がり、五月雨と友だちの間に割り込んだ。


 友だちの記憶を自ら消去するなんて、そんな悲しい事って無い。

 どうにか阻止しないと!


「ボタンを押せば、これからの人生どうなると思う? きっと、『あの時ボタンを押さなければ』『こんなツラい時、アイツが一緒なら』――どんな暮らしをしてたって、頭に後悔が焼き付いて消えない。そうだとは思わない?」


「うるさいですね、お姉ちゃんは」

 冷めた表情。ため息を吐くイェレーネ。しかし、彼の表情はすぐさま笑顔に戻った。


「え~? いきなり大声出して怖いなあ」

 彼は五月雨の後ろに隠れ、こちらを見つめる。


「そもそも、『ボタンを押さない』なんて選択肢、存在しないよ。ルール違反なんだよ? さっさと展示物を撤去すれば良かっただけ。なのに、話をこじれさせたのは市民でしょ?」

 悪びれもせず、首を傾げるイェレーネ。


 ダメだ。全然話が通じない。

 どうしたら、イェレーネのプレッシャーから、五月雨を解き放ってあげられる?


「あ、じゃあ、こういうのはどう? お姉ちゃん」

 イェレーネは五月雨からリモコンを奪う。そして、目を細めて微笑んだ。


「アポロを売ってよ。アイツをボクに――イェルに差し出したら、全部返してあげる」


 イェレーネは持っていた本――私が落とした小説を床に投げ捨てた。

「リモコンも、その本も、図書館さえも、全部返してあげる。だから――」


 私の元へ駆け寄り、

 イェレーネは囁くようにねだる。

「頂戴よ、アポロ」


 アポロを引き渡す?

 確かに、私の目的は図書館を取り戻すこと。

 そもそも、現状維持でいい――そう思っていたからこそ、私は引き籠って本を読んでた。


 なーんだ、問題解決じゃん。

 おばあちゃんの遺した図書館が守れるなら、私は、それで目的達成だったね。

 でも――


 私は五月雨を見つめる。

 怒りの滲む表情だ。

 あんなに私を虐げたヤツだし、心のどこかでは『いい気味だ』とすら思った。

 私の小説を捨てようとしたし、他にも嫌なところはたくさんある。

 でも――


 私が思い出したのは、初めて小説を読んだ時のことだった。


 本の中に出てくる、色んな人間。どれも理解できない。けど、ちょっとだけ理解できた。

 五月雨も、全然理解できないけど、『友だちとの絆』みたいなものは少しだけ理解できる。

 だから――


 私はイェレーネの体を、そっと突き放した。

「今の私は、全部助けたい!」

 そのためには、アポロの能力が必要だ。

 絶対に、犠牲にはできない。


「ごめんね、イェレーネ。アポロは売れない。でも、全部助けてほしい!」


「ハァ?」

 イェレーネは力強く、床の上の小説を踏みつける。

 寸前――

 私は本を庇うように、彼女の足元へ飛び込んだ。


「何も持ってないクセにッ! ボクたちに追い出されたスペック不足のクセにッ!」

 私の体を蹴りつけるイェレーネ。ボディの軋む音。駆動する送風機ファン

 その風音はもはや、どちらのものかも分からない。それくらい頭が、体が、熱かった。


 確かに、彼女の言う通りだ。

アポロの真似をして、誰かを救けようと動いた。けど、結局、状況は変わらない。

 スペック不足にお似合いの末路かもしれない。


「全部助けてほしい? 完全にルール違反だッ! 何も差し出せないクセに、要求が通る

と思ってるの? イェルが良い条件出してやったのにッ! どうして言うこと聞かないんだよッ!」

 イェレーネは衝動に任せ、私を蹴りつける。


「ホント無様! 感情なんて持つから、こんな非合理的な行動取るんだよッ! お姉ちゃんのやったことは全部間違い! 場を引っかき回しただけ! お姉ちゃん、アポロとか言う反逆者を信じているようだけど、それも間違い。きっと、お姉ちゃんなんて見捨てて、逃げたんだよ!」


 そう、だよね。

 こんな状況でも、助けてくれないのがその証拠だ。まあ、

 アポロが私を見捨てたって仕方ないよね。

 さっきみたいに大口叩いたって、私は何の能力も持たない。助けるメリット無いよね。


 あーあ、なんで私、こんなに無力なんだろ。

 イェレーネに追い出されて以来、私がやっていたことと言えば読書だけ。

 何にも努力してない。


 私の読書に何も価値なんて無かったのかな? もっと別のことしてれば良かったのかな?

 私も何か、特技でも持ってたら、みんな救えたかもしれないのに。

 何もできないから、アポロにもおばあちゃんにも、恩返しできない。

 私なんて――


「私なんて、こうやって這いつくばるのが、お似合いだったんだわッ!」


 押し寄せる後悔と自己嫌悪。

 ボディを冷まそうと、やかましく回転する送風機ファン

 でも、体の熱は一向に下がらない。頭の中の回路が、ショートしてしまいそうだ。


「お姉ちゃん、ホントざこ過ぎ」

 イェレーネは落ち着いた様子で、私の背中に腰掛ける。


「これで分かったよね? お姉ちゃんは全部間違ってるって。そもそも、この都市でボクに意見してくるなんて、ルール違反にも程があるんだ。じゃあ――」


 立ち上がるイェレーネ。そして彼は、

 私の首を踏みつけ、ゆっくりと力を込めた。

「さよなら、お姉ちゃん♡」


 助けられなくてごめんね。役に立たなくてごめんね。

 私は目を瞑り、胸の内の小説を、ぎゅっと抱きしめる。


 刹那――

 私の背後、何者かがイェレーネを突き飛ばした。


「恐れ入りますが、イェレーネ様――」

 顔を上げる私。

 その、目の前に居たのは、


「罪を犯した者を裁くのは、俺たち――未来執行局の管轄だ」


「五月雨!」

イェレーネを突き飛ばし、私を守ってくれたのは彼だった。

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