第9話{天使な少年 and からかわれる私}

 私はいつの間にか駆け出して、リノからリモコンを奪っていた!


 何やってんだ私! 騒ぎを起こせば、アポロの足を引っ張っちゃうのに!

 とにかく、正体がバレる前に逃げ――

 刹那──


 体を包む唐突な浮遊感。

 私の体は宙を舞っていた。


 リノの警棒で顔を打たれたんだ!

 そう気付いた時には、もう、

 私のボディは地面に投げ出されていた。

 鞄の中身はぶちまけられ、ざりざりとした床が私の肌を擦る。


 とにかく、リモコンは奪った!

 これでさっきの人は無事だ!

 でも、


 気付けば、私の掌には何も握られていなかった。


 視線の先――雑踏の狭間、床に転がるリモコンと一冊の本。

 しまった! 転んだ時、落としちゃった!

 しかも、リモコンだけじゃない。

 図書館を出る時、持ってきたまで。


 それは──おばあちゃんが初めて私にくれた本。そして、アポロが奪い返してくれた本だった。

 もちろん、持ってても何かが起こるワケじゃない。

 だからだ。


 でも、今の状況でそれを落としたのはマズイ。

 だってあれは人間の書いた本――弾圧された書物。

 もし、あれがリノの手に渡れば、言い逃れはできない。


 リモコンと思い出の本――この一瞬で拾えるのは、どちらか一つ。

 けど――


 目の前で誰かが犠牲になる方がアリエナイ!

 私は立ち上がり、リモコンに手を伸ばした。

 その時、


 リモコンを蹴飛ばす雑踏。

 私とリモコンの距離は更に遠ざかり、それは本の傍らで停止した。


 背後から迫るリノの足音。

 ダメだ!

 このままじゃ追いつかれる!

 やっぱり無理だったんだッ、

 私なんかが、アポロみたいに誰かを助けるなんて!


 きっと、みんな記憶を消されて、アポロにも迷惑かけちゃうんだわッ!

 私が引っかき回したせいで、他の人の罪が重くなったらどうしよう?


 やっぱり、諦めて何もしない方が良かったのかな?

 私は唇を噛み締め、目を伏せた。

 瞬間――


 見知らぬ少年がそれらを拾い上げた、リモコンと本の両方を。


 え?

 私は急ブレーキをかけ、彼を見つめる。

 色白の少年だ。

 金髪。癖毛。ミディアムヘア。ツインテール。垂れた目。無機質な肌。純白のミリタリー系の制服とハーフパンツ。

 前髪は真ん中で均等に分けられ、間から艶やかな額が覗いていた。


 天使のような少年だ。

 けど、その理由は見た目のあどけなさからじゃない。


 『全てを肯定されてきた故の全能感』とでも言うような、純然な自信みたいなものが感じられたからだ。

 憂鬱に生きるクレイドル市民とは違う、異質なオーラ。

 それが、まるで天使だと私に錯覚させた。


「大丈夫? 転んでたの痛そうだったケド、怪我してない?」

 少年は私に笑いかけた。


「え、ええ。大丈夫。ありがとう」

 この子、私たちを助けてくれたのかな?

 儚げな風貌だけじゃなく、差し伸べる救いの手――

 まさに天使のような子だ!


 おばあちゃんやアポロ以外にも、他者を思いやる人間がいたんだ!

 助かった!

 もしかして、私、がんばった意味あったのかも!


 ベレー帽を目深に被り直し、私は後方を確認した。

 幸い、リノは人の波に遮られ、道を迂回している。

 まだ、逃げるチャンスはある!


「拾ってくれてありがとうね! 本は私ので、リモコンは悪い人が狙ってるの」

私は幼女に笑いかけ、手を差し出した。


 とにかく、アポロと合流しよう!

 彼の計画とは違っただろうケド、そのことはちゃんと謝るんだ!


「いいよ、お姉ちゃん」

 目の前の少年は私に微笑み返し、リモコンと本をこちらに差し出した。

 私はそれらを受け取る――


 つもりだった。

「やっぱりダメ」

 くすくすと、

 幼女は無邪気な笑みを浮かべる。


 悪戯好きな子なのかな?

 急いでるとは言え、少年から持ち物を奪い取るのはアリエナイよね?

 私はとりあえず笑い返し、彼の様子を伺う。


「ごめんごめん」

 ぺろり。

 幼女は舌を出す。

「お姉ちゃん、表情豊かだし、からかいたくなっちゃって」


「あはは……」

 私は後方に視線を向け、リノの様子を伺う。けど、


 リモコンを追いかけていたハズのリノは、どこかに消えてしまっていた。


 え?

 どこに消えたの?

 リノは反逆者を取り締まる存在。だから、

彼女からリモコンを奪った私を、リノが許すハズがないのに。

 その時、


「ホント、相変わらずジャマだよね」

 正面から響く、甘ったるい声。

 目の前の少年は再び、私に笑いかけた。


「お姉ちゃんなんて、もうって言ったのに」

 刹那――


 私の体の送風機ファンが激しく音を立て、

 あの時の記憶を呼び起こした。

 家族に追い出された、を。


「あなたは――」

「あ、やっと思い出してくれたね。シャノミァーお姉ちゃん♡」


「統治AI・イェレーネ!」

 私と同時期に作られた、地底都市クレイドルの統治プログラム。

 つまり、アポロと私が接触を目的としていた相手が、

 今、目の前にいるッ!

 つまり、


 チャンスだ!

 ここで彼と和解できれば、クレイドルに自由が取り戻せるかもしれない。

 でも、できるの?

 私に、そんなことが?

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