第4話{未来執行局 and 反逆する私}
「あー、くたびれた!」
私は雑巾とバケツを片付け、机に突っ伏した。
時計を見ればもう夕方。今日も一日、図書館で過ごしてしまった。
本来、図書館の中では静かにするべきだけど、この場所は別だ。
受付のカウンター。背丈よりも高い、幾つもの本棚。並んだ机と椅子。二階へと続く階段。
けれど、室内に明かりはついてない。辺りを照らすのは、カーテンの向こうの夕陽だけだ。
この図書館の調度品はどれも古い。それに、古書からは独特のニオイもするだろう。
だからこの場所は、街の発展と比べると少し異様かもしれない。
でも、だからこそ、
私はこの図書館が好きだ。大切だ。
おばあちゃんや私だけじゃない、色んな人の歴史や思い出が詰まってるみたいで。
受付カウンターの内側、私は椅子に座りながら小説を開いた。
もちろん、受付するような人なんて来ない。
だってここは旧世界での図書館――
人間に放棄された場所だからだ。
蔵書のほとんどは人間が書いた本。
だから、世界の指導者がAIに切り替わった時に、図書館としての役割を剥奪されたのだ。
今の役割は私の居場所。私の家は、この──学校に併設された図書館なのだから。
そういえば、どうしてこの図書館の本は保護されないのかな?
「面白い本がいっぱいあり過ぎて、保護を免れてる───とか?」
まあ、そこまで優しくないよね。
でも不思議だ。
内容が面白ければ、AI製でも人間製でも変わらない!
なのに、人間の創作物を全て禁止するなんて間違ってるよ。
だからAIは嫌いだ。いや──
「こんなこと考えても、意味ない。この街が変わるなんてアリエナイから」
今の世界を受け入れるしかないんだ。
がんばったって無駄なんだから。
とにかく、こんな時は本をいっぱい読んで気を紛らわそう。
日課の掃除も終わったんだし、後は自由に過ごすんだ。
私は持っていた本を机に置く。そして、机に積んである別の山から、一冊本を手に取った。
世界が変わらないのと同じように、本の面白さも変わらない。
私は、それで充分だ。
小説の世界と、おばあちゃんの残したこの図書館。
それさえあれば、良い。他のことはどうでも良いんだ。
とにかく、気分転換に何か読もう。
私は新しく小説を開き、初めのページに視線を――
「すいません! ちょっと良いですか……?」
顔を上げれば、目の前には知らない少女。
「わ、わわっ!」
私は小説を閉じ、思わず直立した。
朝に会った子と同じ服。けど、エンブレムの色が違うから、他の学年かな?
本を借りに来たのかな?
じゃあ、興味があるってことだよね、人間の書いた小説に。
「えと、オススメの本はたくさんあって、冒険小説だったりサスペンスだったり――」
「市民、どうやらココは、放棄された図書館のようデスね」
その時、合成音声が会話に割って入った(いや、会話ですらなかったのかもしれないけれど)。
少女の腕、
「学校を散策するのは良い刺激になります。が、その反面、このようなゴミの掃き溜めに迷い込むリスクもありマスね」
この図書館は元々、高校の附属図書館だ。
放棄されたとはいえ、学校の裏手に位置する。
きっとそれで間違えてしまったんだろう。
だとしても、
ゴミの掃き溜め?
この、図書館が? 何千冊もある本たちは、どれも宝物なのに……!
今すぐに言い返してやりたい。けど、
私の言葉なんかより、筆者の言葉の方が何倍も価値があるから……!
私は机の上から本を一冊手に取る。
「試しに借りてみませんか? 蔵書数も結構多いし――」
「けどそれ、人間の書いた小説ですよね?」
少女は途端に嫌悪の表情を浮かべ、一歩後ろに下がった。
「今の時代、AIが作った方が早くて魅力的。それに、個々人の嗜好をベースにした、読みたい本を生成してくれる。それなのに、どうしてこんなたくさんのハズレから、わざわざ選ぶ必要があるんですか?」
「だって、そうやって、自分で探すからこそ――」
「別にいいです。話をしに来たわけじゃありませんし」
少女は踵を返し、図書館の出口へ歩いて行く。
「でも、だからこそ、出会えた一冊との運命が――」
しかし、私の言葉に、彼女は振り向きもしなかった。
代わりに、
ガチャリ。
という扉の閉まる音だけが聞こえた。
でも、うん。
しょうがないよね。
今はAIが書いた本が一般的だしさ。人間が書いた小説も違法扱いされちゃうし。
悪いのは、こんな世界に変えた統治AI。だからきっと、
あの子も、ちゃんと説明すれば分かってくれるんだ。
私にあの子の後を追いかけて、話をもらう勇気があれば――いや、
そんなの、アリエナイだよね。分かってる。私には何も変えられないって。
私は再び椅子に座り、読み途中だった本へ視線を落とす。
その時――
ガチャリ。図書館の扉が開いた。
もしかして、さっきの子が戻って来てくれたのかな? 私の想いが伝わったのかも!
「陰気なところにいるんだな、根暗オンナらしい」
顔を上げると、図書館の入口には一人の男が立っていた。
「そういえば、自己紹介がまだだったな」
深緑色、ツンツンしたミディアムヘア。伸びた襟足。無数の銀アクセ。
黒いミリタリー系の制服に身を包んだ彼は――
「俺は未来執行局の
今朝、出会った茨男。
私の小説を奪い、噴水に突き飛ばしてきた、あの男。
でも、執行局の構成員は、ほとんどがAI制御のロボット――人間は少ないハズ。
その上、見た目は私と同じくらい――高校生程度なのに、そんな大役を?
「捕まえてやるつもりだったのに、まさか学校にいないとはな」
コツコツ。
軍靴の音を響かせ、彼は私に近付く。
茨男――五月雨は、受付カウンターの前で立ち止まった。
不遜な態度で机に手をつく彼。そして、
「ともかく――」
もう片方の手で、私の胸ぐらを掴んだ。
「お前をいたぶれば、朝の男は現れるか? お返しをしたいからな」
彼は私を突き飛ばす。朝と同じように。
「わッ……」
バランスを崩した私は、そのまま後ろの棚にぶつかる。
ばさばさと落ちる筆記具や書類。尻もちをつく私。
「ホント、ムカつくぜ、お前らみたいな人間は」
目の前に立つ五月雨。
「コソコソ隠れてまで人間の小説を読む──なんて、ルールを破ることに抵抗は無いのか? みんな我慢して生きてるんだから、お前も我慢しなきゃいけないんだよ」
茨男は憤慨する。けど、その意識は、私ではない何かに向けられたまま──そんな気がする。
「これから俺はお前を痛めつける、お前が小説を捨てるまで。『選ばせてやる』って言ってんだ。ルールと痛み──お前はどっちを我慢したい?」
五月雨は指をパキパキと鳴らしながら、ゆっくりと私に近づく。
痛めつける? 私が小説を捨てるまで?
そんな暴力振るって、執行局が黙ってるワケないのに! いや──
私は呼吸を整え、混乱する頭を落ち着ける。
この暴力男こそが、未来執行局の局員なんだ! クレイドルにおける正義の象徴が私の敵?
それってつまり、誰も味方がいないってことだよね?
彼はどうして、私にこんなことをするんだろう。
これ以上付き合えば、体が持たない。でも、
反撃してどうなる?
きっと勝てない。無駄に終わる。
刹那、こちらへ手を伸ばす五月雨。
とにかく、逃げなきゃ。
逃げて、どこか遠いところで、静かに本を読むんだ。
私は立ち上がり、よろけた足取りで図書館の奥へ向かう。
「オイオイ、もっと早く走れよ。すぐ捕まえちまうぞ?」
背後から迫る軍靴の音。
どうしよう。
私は逃げながらに考える。
図書館に出入り口は一つしか無い。つまり、
彼――五月雨をどうにかしなきゃ、この図書館から出ることはできない。でも、
私があの茨男に勝つなんて不可能。絶対に無理だ!
なら、どうすればいい?
「早く走れとは言ったけど――」
瞬間――
背後から聞こえる、金属の擦れる音。そして、
「足元にも注意しろよ。危ないだろ?」
ガチャリ。
私の足に何かが当たる。
刹那――
踏み出した足がもつれ、私の体は本棚にぶつかった。
床に投げ出される私。降り注ぐ何冊もの本。
何が起きたの?
自分の足首に目をやる。すると、そこにあったのは――
「足枷ッ!」
銀色の手錠が私の両足に掛けられていたのだ。
「知ってるか? 俺は未来執行局のエンフォーサー。つまり、お前を拘束する権限がある。 罪状は『禁書の違法保持』。でも――」
五月雨はこちらに歩み寄る、散らばった本を踏みにじりながら。そして、
傍らでしゃがみ、倒れている私の頬を撫でた。
「悪い子は、おしおきされるのが決まりだよな? だから俺は、お前を拘束する前に教育してやってんだよ」
おしおき? 彼は何を言ってるの?
とにかく、拘束されるのはダメだ。
だってそうしたら、おばあちゃんの遺した本は全て処分──いや、統治AIの言い方に習うなら、保護される。でも――
私は五月雨の靴の下、踏みにじられた小説を見る。
彼に従えば、きっとこれから先、こうやって本を台無しにされちゃう。
どれも面白い本なのに。ただ、人間が書いたってだけで禁止される謂れなんてないのにッ!
なら、どうすればいいの?
彼に抗っても、従っても、未来は変わらない。だったらもう――
その時、私の目に入ったのは一冊の小説だった。
この小説は――そうだ、
朝、ライダースーツの男が私に手渡した本。
あの人、言ってたっけ。
面白そうな小説が蔑ろにされるのはもったいない──だとか。あと、
諦めず、がんばれ――だとか何とか。そんな、無責任なことを。
でも、
あの人の言葉は、決して間違いじゃあない。
ここで私が諦めたら、いずれ失うじゃないか、
おばあちゃんの遺した本たちは。なら――
「覚悟しろよ? お前はもう二度と、『小説を読みたい』だなんて──『自分の意見を持ちたい』だなんて思えなくなるんだから」
五月雨は手を伸ばす、床に伏す私の胸ぐらに。だが、
私はその瞬間――
勢いよく起き上がり、
彼に頭突きをお見舞いした!
床に投げ出される二人の体。私は五月雨の懐に手を伸ばす。
あった!
私は彼から鍵束を奪い取り、足首の枷に手をかけた。
とにかく、早くここから逃げるんだ!
だって私はまだ、人間の書いた小説を──おばあちゃんの愛した小説を、愛していたいから……!
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