第3話{追放 and 小説と出会う私}


「さっきの応援、ありがとうな」

 この人はどうして感謝してるんだろ。私なんて、何もできなかったのに。


「こんな窮屈な世界、アンタみたいな、純粋に応援してくれるやつは珍しい。だからこそ、もう少し話がしたい。どうだ?」

 ライダースーツの男は、こちらに小説を差し出した。私の、大切な本だ。


 純粋に応援してくれる? 全然、そんなことないのに。

 彼の手を取れば、何かが変わるのかもしれない。でも、


 アリエナイ。

 それに足る自信が無いよ、私には。


 私は、がんばることに意味を感じない。

 だから、世界への違和感を涙で飲み下して、その場凌ぎの幸せに浸かるしかないんだよ。さっき読んだ小説の子と同じ。

 するとライダーは、


「大丈夫? 立てそうか?」

 私の傍ら──噴水の水場にしゃがみ込んだ。自分が濡れるのなんてお構い無しに。


 こんな見ず知らずの私に、そこまでする価値ないのに。どうして彼はこんなに優しいの?


 私はふと、おばあちゃんのことを思い出す。

 あの時の私も、今みたいにズブ濡れで、生きる希望を失ってた。

 そんな時、手を差し伸べてくれたのが、おばあちゃんだ。



 あれは、数年前――

 雨の日のこと。


「ごめんね。お姉ちゃんのコト、もう『要らなくなった』から」

 そんな言葉とともに、私は追い出された。


「どうして? 私、何かいけないことしちゃったのかな……?」

 雨だれ。高架下。水溜り。泥のニオイと野ざらしの廃材。

 ターミナルの近く、通路の隅にしゃがみ、私は呆然としていた。


 家に帰りたいな。でも、


 私はまだ『どうして追放されたのか』分かってない。

 きっと、このままじゃ、家族も許してくれない。それに、


 少し怖いな。

 家族が何考えてるのか、私には分からない。

 だから、まだ拒絶されたらって思うと、怖くて仕方がない。


 ため息をつく。と、それは白く漂った。

 私は手をさすり、もう一度息を吐く。

 これからどうしよ。

 その時――


 一本の傘が差し出された。

 そこに立っていたのは――


 『おばあちゃん』だった。

 (まあ、まだその時は私にとってのおばあちゃんでは無かったのだけれど)


 導かれるままに、私はとある建物に連れてかれた。

 そこがここ、図書館だった。


 受付のカウンターに本棚、並んだ机と椅子――

 そのどれもが、キレイに手入れされている。明るい雰囲気の空間だった。


 今の私の境遇には似つかわしくない場所だな。

 でも、


 だからと言って、他に行く当ても無い。

 私は彼女に案内され、図書館の一室に入る。


 用務員室のような、倉庫のような空間だ。

 仕事用のデスク。天井まで届く本棚。積み上げられた椅子・机・段ボール箱。

 デスク上には何冊かのファイル。その傍らにはペン立てが置かれている。


 適当な椅子に座ると、彼女はすぐに温かい飲み物を持ってきてくれた。


 私に何も訊かないのだろうか?

 まあ、でも、それが一番気楽で良い。

 家族にすら不安感を抱く私が、

 赤の他人に心を開けるわけもない。


「ごめんなさい。私、コーヒー飲めないの」

 私は彼女の好意を断った、できるだけ無機質な声色で。

 けれど、彼女は嫌な顔一つせず、コーヒーを下げた。


 悪い事したかな?

 そうは思ったけど、これでいいんだと思い直す。だって、


 私は気持ちが分からないから、

 他人の気持ちも、自分の気持ちも。


 だから、


 例え彼女を傷つけることになっても、もっとヒドイことになるよりはマシ。

 けれど、


 差し出される一冊の本。

 相変わらず彼女は無言のまま。

 だから、その意図は分からない。


 コーヒーの代わりなのか、あるいはある種の抗議なのか。

 でも、その無機質さは少しだけ気楽だ。

 それに、このまま何もしないなら、きっと嫌なことばかり考えちゃう。


 本の情報で頭をいっぱいにすれば、少しは気持ちも紛れるかもしれない。

 そんな逃避の感情で、

 私は彼女から本を受け取った。ちょっと装丁が豪華なだけ。何てことは無い、冒険小説。


 読了には、そう時間がかからなかった。

 とはいえ、熱中したとかいう話じゃない。

 別に、『面白い』だとか『面白くない』だとかの感情は無かった。


 むしろ、余計に分からなくなる、人間の感情が。

 でも、


 この一瞬、主人公は『私』だったなとか――

 この登場人物は『私の家族』と同じなのかなとか――

 ぼんやりとだけ、考えた。


 私が一冊読み終えると、彼女はまた、別の小説を無言で差し出した。


 別に断る理由も無い。

 頭を情報でいっぱいにしなきゃだから――

 一冊、また一冊と、私は本を読んだ。

 そしたら、


 どの本でも『もう一人の私』と出会えた。

 時に、


 彼の喜びは『私の喜び』でもあったし、

 彼女の怒りは『私の怒り』でもあった。

 私は本を読むたびに、色んな自分と出会えた。


 どの人物も私じゃない。

 それなのに、私と同じように喜び、怒り、哀しみ、楽しんでいる。


 どの本の世界にも、私の心の欠片が散らばっていた。

 彼や彼女の物語を読むことで、 私の中の何かが満ちていくのを感じた。

 もしかして、


 家族はこんな気持ちだったのかな?

 私の言動が何か、傷付けちゃったのかな?

 そんなことを考えた時、

 私は気付いた、今まで他人に抱いていた不安感――それが薄れていることに。


 読み終えた小説を閉じ、立ち上がる私。

 すると、おばあちゃんは、傍らで優しく私を見つめていた。


 今の私、すっごくニヤついちゃってるかも。

 何かすごく恥ずかしい。


 読了したハズの本をもう一度開き、私は自分の顔を隠した。



 それが、

 私とおばあちゃんの思い出だった。


 『諭すような言葉』も『厳しい説教』も『導くための試練』も、存在しなかった。


 ただ、本を読ませてくれただけ。でも、私にとってはそれが救いだった。

 だから私は、書物という存在が、尊くて仕方がない。でも、


 おばあちゃんは、それ以上に大切だった。なのに、


 彼女を犠牲にしてしまった、

 私が統治AIに反抗したせいで――人間の創作を認めさせる反政府運動に参加したせいで。

 おばあちゃんは私を庇って、執行局に連行された。思い出したくもない、サイアクの記憶だ。


 私が無駄にがんばらなければ、何も悪いことなんて起きなかったのに。

 全部私のせい。だからやっぱり、がんばるなんてアリエナイ。


 私は立ち上がり、ズブ濡れのスカートを搾った。


 私は、この人の手を取りたい!

 心底そう思う。

 けど、


 私の衝動的な判断で、また誰かを喪ってしまうのが怖い。

 だから私は、この手を取ることができないんだ。

 目を合わせないまま、彼から小説を引ったくる私。


「こちらこそ、ありがとうございます。じゃあ、用事があるので」

 私は彼に背を向けた。


 この世界――統治AIが支配した世界では、 『がんばる』だとか、そういう感傷はアリエナイんだ。

 だから、全部諦めて生きてきた。


 世界は変わらない。

 男が女学生たちを追い払ったって、彼のいないところで嫌がらせされるだけ。

 何も変わらないんだ。だから──


 そう自分自身を納得させて、

 私は、その場を立ち去った。


 もし私が今、彼の手を取っていたら、

 何か変わったのかな……?

 そんなことを考えて、私は少しだけ後悔した。

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