おどろ編

この間、姉の恋人だという男と会った時に、姉がふざけて恋人に撮られた写真を見せてきたけど、背景が葉っぱ一つない枯れ木ですごく良かった。

彼の目には、姉は本当にうつくしい花に見えるのだ。

キラキラ輝くおれの宝物を、透明なレンズを通し閉じ込めて、誰かのものにしてあげたい。

あなたが寂しくないように、風化しないように、硬い硝子の中にしまっておきたい。

楽しかったこと、悲しかったこと、悔しかったことも全部。

おどろちゃん、おれの甘い春の桜、おれの右手の罪悪、おれの幻想を照らす星、おれの魂を焼き尽くした、おどろちゃん。

写真の中にしまい込んでしまえば、この初恋は朽ちることも無く、ずっと綺麗なままだろう。


おれが在学している大学に行くには、最寄り駅から電車に乗って三駅ほどかかる。

最寄り駅近くの小さな公園は、白い仕切りに囲われて、真ん中に木製のベンチと、柵に寄りかかるように設置された自動販売機に加えて、遊具の代わりに妖怪じみた味わいの立派な桜の木があった。

その桜は花の時期になっても奇妙なことに人が寄り付かない。

同級生によると、この桜の木はどうもいわく付きで、二十年ほど前に行方不明として報道されていた女子高生が遺体が土の中から発見されたという。

春爛漫の陽光に照らされる桜の花は白い光を蓄えて、冬の寒さが残る風が頬を撫でた。

公園に生い茂る青草の香りが鼻をくすぐる。


彼女とおれが出会ったのは、甘酸っぱくも儚い出会いと別れの循環すらも感じさせる視界を奪われるほどに舞う桜吹雪の中だ。

瞬きをした瞬間、おどろちゃんはまるで花の霊のようにパッと現れた。

心臓が掴まれたようになって、おれはなにも言えないまま息を飲む。

桜の木の下から、たたっと駆け寄ってきた外側が水色で内側が桃色のツートーンヘアの少女は、橙色の目を丸くしておれを凝視した。

数秒後、その唇から掠れた声が流れる。

「あのね。わたし、おどろって言うの」

「おどろ、さん?」

「むー!他人行儀ー、おどろちゃんって呼んでー」

「おどろちゃん」

おれが呟くと、おどろちゃんは切り揃えられた前髪を揺らして何度も頷く。


春先にしては少し肌寒そうな白いノースリーブのワンピースを着ていた。

「あなたって、この辺りで見ない顔だね」

「ああ……去年、大学の都合もあって引っ越してきました」

「大学生さん!?すごーい!」

「そうですか?」

感激に満ちた可愛い女の子の声は、家族以外の女性と縁がないおれの自己顕示欲を満たしていく。

「ねえねえ、あなたのお話、もっと聞きたーい!だめ?」

「別に、良いですよ。おれは写真学科で学んでいます。将来はカメラマンになる予定です。……そうだ。あなたのことも撮ってあげましょうか?」

「いいのー!?うれしい!」

おれが愛用の一眼レフカメラを向けると、おどろちゃんは目の横にピースポーズを持ってくる所謂ギャルピースをした。


公園の中を風が吹き抜けて、おどろちゃんの髪がぶわりと舞いあがる。

桜の花弁が白雪のように流れ落ちる様を、青空に混じり合う彼女の髪を、春の光を蓄えながら揺れる純白のワンピースを、おれは黙って撮った。

ぱしゃ、ぱしゃり。

一瞬が切り抜かれた。

「今の、すごく、綺麗に撮れましたよ」

「ほんと!?わたしにも見せてー!」

おどろちゃんは身を乗りだし、画面の中で拡大された少女を見ると、はじけるような笑顔を浮かべる。

それから、しばらく写真についての話をして、気がついたら日が暮れて夜になった。

その後も公園に寄る度に彼女と会って、おれが取り留めのない話をすれば、彼女はいつも楽しそうに聞いてくれた。


桜の木の後ろから彼女はひょっこり顔を覗かせる。

おれはコンビニに寄って買ってきた苺のショートケーキを渡す。

「えっ!いいの!?やったあ!ありがとう!大好き!」

大袈裟にそう言ったおどろちゃんに抱きつかれる。

桜を思わせる甘酸っぱい香りに喉の奥がきゅっとした。

おれも早まる鼓動がバレないように願いながら彼女の背中に手を回してぽんぽんと叩く。

おれがこの子を守らなきゃ、その為なら何を犠牲にしても構わない、本気でそう思った。

天真爛漫で純粋無垢、他人を疑うということを知らない彼女を、他でもないおれが守ってあげないといけない。


そう思えば思うほど、おれはおどろちゃんが大好きになる。

言い方が悪いが、頭の足りない彼女はおれがいないと生きられないと思っていた。

でもそんなのは思い上がりだ。

彼女がいないとおれが生きられない。

気づいた時にはもう全てが遅かった。

それまで黙ってニコニコ笑いながらおれの話を聞いていたおどろちゃんが口を開く。

「あのね。わたし、ひとりぼっちが嫌なの」

その日を最後に、彼女は公園に来なくなった。

しばらく雨の夜が続いたのは、あれは梅雨のせいだったのかもしれない。

翌週はとうとう梅雨が明けて、夏の気配が感じられる澄んだ空が広がった。

彼女はちゃんと幸せになれたのだろうか、一人で寂しくないといいな、辛い思いをしていたら耐えられない。


もし、死んでしまっていたらどうしよう。

おどろちゃんは寂しがり屋だから、おれが死後の世界まで彼女が居ないか見に行かないと。

おれは桜の木の下に置いた小さな木製の椅子に乗って、太めの枝を選び縄を結んで、垂らされた輪っかを自身の首にかける。

勢い良く椅子を蹴り飛ばした。

床が抜けたような衝撃と、首から上を血が埋め尽くしていく感覚、視界が霞んで、キーンと耳が鳴る。

そして、それで。

瞼を開けると、おれは薬臭いベッドの上に横たわっていた。

ベッドの脇には重々しい医療器具があり、その機械越しに看護師達の白衣が見え隠れしている。

おれが目を覚ましたことに気づくと、看護師は医者を呼びに行った。


看護師と医者が何かをしていたが、意識は朦朧としていて、よく覚えていない。

ひたすらに首の傷が痛くて、死ねそうにないのにイタズラに苦しくて後悔が押し寄せていた。

「ねえちゃん」

数日後、病室でゼリーを食べながら、おれはお見舞いに来てくれた姉に気になっていたことを尋ねる。

「おれの部屋に貼ってある写真、持ってきてくれた?あの」

「ああ、あるわよ。どうぞ」

姉から渡された束の写真はどれもおれがおどろちゃんを撮影したものだった。

恋しさで視界をうるませるおれに対して、姉は呆れたように言う。

「それにしても、アンタに枯れ木を撮る趣味があったなんてねー。没頭できる趣味があるのはいいけどさー。せめて、花とか。女の子の一人でも撮りなさいよ」


▼ E N D

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