第18話 ある小川での出来事
それからも夢にでた。晴香さんと優花の夢を。会いたいと泣いた優花の夢もちゃんと出た。
そして、優花の誕生日の夜の夢にも俺はちゃんと出た。
晴香は優花の誕生日に、俺の秘密を暴露したのだろう。晴香の誕生日プレゼントは、優花が友達に素敵と言った、韓国の限定コスメのセットだった。晴香さんは、中学生に化粧はまだ早いと言っていたが、買ってきてしまっていたので、そのまま渡したのだろう。どういう一日だったか、俺にはわからないが。
夢で、俺は優花に罵倒された。最低だと。そうだろう。優花はそう思うに違いなかった。それぐらいは優花を理解できていたらしい。
次の夢もその次の夢も優花は俺を罵倒した。謝っても何を言っても無駄であった。
そして、次の夢もその次の夢も晴香は俺に謝罪した。不要だといくらいっても無駄であった。
夢に出るのはとうに辛くなっていた。
「無理するものではないですよ。」
そう、先生が言った。だけど、これは俺に課せられた罰だと思った。
自分が人に向き合ってこなかった罰だと。
外はずっと虫も鳴かない夜だった。
次の夢は知らない人だった。もうずっと晴香さんと優花の夢にしか出ていなかった。
”小川の親子 後藤俊春”
全く知らない名前だった。後藤・・・小学校の時にそんな名前のやつがいた気はするが。中身を読んだら思い出すだろうか。
俺はその小説を何度も何度も読んだ。読む手が震えていた。夢に出ると、小説はなくなってしまう。だから何度も何度も読んだ。
どのくらい読んだだろうか。朝の気配に俺は外を見た。美しいまだ夏の朝だった。蝉も鳴く前の。
小説を片手に、俺は先生の所へ向かう。
「失礼します。」
「おはようございます。素敵な朝ですね。」
先生は外の景色を見ていたようだった。
「はい。俺もそう思いました。」
「そんな、素敵な夢だったんですか。」
「はい。奇跡みたいな素敵な夢です。」
先生は嬉しそうだった。
「聞きたいことがあるんです。」
「何ですか?」
「例えば、夢に大勢出る時に、俺のように夢に出ている人と会う可能性はありますか。同じ夢に二人出ているようなことが。」
「あり得ますよ。相手も亡くなっていて、かつ、出る選択をした場合、あり得ます。」
俺は震えた。絶対にこの夢に、相手も出てくれるとなぜか自信があった。これを読んでくれたなら、必ず、必ず。
「その夢に出るんですか?」
「待ってください。少し、あと少し時間をください。話したいことがたくさんあるんです。ああ、そうだ。隣で作業してもいいですか。」
「ええ、どうぞ。」
俺は机に座り、ノートを取り出した。何かまとめたいことがある時は手書きが一番だ。何を謝ろう、何を言おう。書き出してみれば思い出すことが多々あった。思い出がたくさんあった。俺は夢中で書いた。書いて読み返して、大事なところを線で引いて、繰り返し読んだ。こんな作業は晴香さんとの結婚式以来だ。
それはとてもとても愛おしい作業だった。大切な人に想いを伝えるために考えるとはこんなにも愛おしいものであったのだ。
何度も書き直して、何度も読み直して、その様子を先生はニコニコしながら見ていてくれた。
書いた後、一人小川に行って読み直すまでした。こんな時にこそ神司さんが来て添削してほしかったが見当たらなかった。
何度も練習し、俺はまた先生のところに戻ってきた。
「この夢に、出させてください。」
「はい、いってらっしゃい。」
「いってきます!」
目を開けて、すぐに隣を見た。若い頃の親父だった。小学校の頃、俺は時々、親父に連れられて魚釣りに行ったのだ。別に親父は魚釣りがうまいわけでもなく、子供の頃は退屈な時間だったのだか。今思うと、家から出す方便だったのかもしれない。
胸がいっぱいになる。震える声で俺は聞いた。
「・・・親父?」
「・・・道照?もしかしてお前も夢に?」
「ああ。」
「ああ、神よ。」
親父は静かに泣いた。俺も、泣いてしまった。
「親父、俺親父に言いたいことがたくさん・・・!」
「静かに。静かに話そう。後藤さんが起きたら終わってしまう。」
ああ、そうだ。声を整えねば。俺は視線を少しだけ上げる。小川の上の道からニコニコしながら見ているおじさんがいた。自転車を脇に寄せて、ずっとこちらを見ているおじさんが。
この人を俺は覚えていた。ずっとニコニコしながら見ている男の人など、小学生には恐怖の対象であった。俺は親父に、"あの人、なんか怖いよ”と言ったら、親父はその人を一瞥しただけで"あれは大丈夫だ”とだけいった。今ならわかる。親父は警官だったのだから。危ない人かどうか見分ける能力があったのだろう。実際、彼はこんな親子の何気ない日常を夢にまではっきり見てくれたんだから。
もしかしたらあの人は息子を早くに亡くしたのかもしれない。だから、親子で釣りをする姿が愛おしかったのかもしれない。直接言うことは叶わないけれど、本当に本当にありがとうございます。
「ほら道照。前を見て、釣りをしていなさい。」
「・・・はい。」
俺は小川に向き直った。親父は静かに涙していた。
「道照、本当に本当に申し訳なかった。」
散々考えた俺の言葉は胸が詰まって全然出てこなかった。
「梅子はな。最初は警官らしい、勝ち気で正義感の強い優しい女性だったんだよ。俺は、気づいてなくて。子供二人抱えて、引っ越しばかりで周りに助けてくれる人がいない中、一人で育児をすることが当時どんなに大変かわかっていなかったんだ。」
親父は涙を少し啜って続けた。
「正子が産まれて、俺は昇進試験を控えた中でろくに家に帰っていなかった時に、梅子がふっといなくなったんだ。大変だったよ。後にも先にも仕事を休んだのはその時だけだった。俺は正子のおむつがどこにあるかも、乳をどうやって与えてやるかもわからなくて、梅子を探しに行くこともできなかった。そうしたら、1週間ほどして、梅子のやつが戻ってきたんだ。一言言われた。"金輪際、私の育児に一切口出ししないで”とな。それからの梅子はお前が知ってる梅子になった。もうこれは罰だと思った。家を顧みなかった自分への罰だと。だから、何も何も言えなかった。」
そうだったのか。確かに育児がいかに大変かは優花一人でも身に染みている。俺と、正子は1歳差だ。あれを一人で二人分こなすと考えると、確かにゾッとする。
「だけど、子供には何も関係なかったのになあ。正子も、道照にも何も関係ないことだったのに。守ってやるべきだった。俺は、二人を守るべきだったんだぁ。」
言え、言うんだ。今しかきっとチャンスはない。声が出なくても言うんだ。
「そんなことないよ。親父は親父なりに守ってくれたよ。学費、ありがとう。何も知らなくてごめん。あと、俺が迷子になった時に、探してくれてありがとう。あと、あと・・・」
親父と俺は真正面から向かい会った。そうだ。親父はこういう顔をしていた。精悍で目が鋭くて、なのに笑うと優しくて。こういう顔だった。
「・・・俺、親父の子でよかったよ。」
そういうと親父は破顔した。
「俺も、お前の親でよかったよ。本当にありがとう。俺は、幸せ者だな。」
そういって、夢は終わっていった。
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